第10話「十人委員会の『No.10』、岩崎快司(かいじ)」
異様な空気だった。
海洋国家ヴィクトリアが誇る、国内最大のカジノ。国が運営していることもあって、安全性が保障されたこの賭博場には、いつも大勢の人間で賑わっている。…はずだった。
「はぁはぁ」
聞こえてくるのは、壮年男性の掠れた呼吸。
このヴィクトリアで最高の賭博師と呼ばれる『カジノ四天王』。その中でも、『ポーカー』なら無敗伝説を築いてきた男がいた。
その男の名前は『パンドラ』。
この国営カジノでも有名を通り越して、常識とまで言われるポーカーの王。彼の姿を見ただけで、人々は尊敬の眼差しを送り、手放しの賞賛を送る。
…だが、それも今日までのことだった。
「…はぁはぁ」
掠れた息を吐きながら、ポーカーの王『パンドラ』は額の汗をぬぐう。
テーブルに置かれているのは、先ほどの勝負で使用したカードと、山積みとなっているチップの束。1枚が金貨10枚相当という、このカジノで最も高価なチップ。この国の庶民の平均収入が、一月で金貨20~30枚。そのことを踏まえると、目の前にあるチップの山は破格の金額であった。一般の人が見たら、思わず目を輝かせてしまうほどの大金。
パンドラの目の前には、そんな大金が静かに佇んでいた。
だが、問題は。
その驚愕の大金が、たった一勝負で半分に減らされたことだった。
「…ぐ、ぐぬぬ」
パンドラは悔しそうに唸る。
身なりを整えた壮年の男性といった雰囲気が、あっというまに剥がれ落ちていく。その光景に、信じられないと周囲の客たちは何も言えなくなってしまう。
重い沈黙。
静まり返る空気。
常勝ギャンブラーの思いがけない大敗に、誰もが事の成りゆきを見守っている。
「さぁ、次の勝負といこうか」
そんな中、1人の少年が口を開く。
抑揚のない声。白いワイシャツに黒のズボン。まるで学生服を思わせる格好に、感情の揺らぎがない表情。その顔立ちは平凡で特徴はない。もっといえば目を離した次の瞬間には、どんな顔だったか思い出せないような。酷く印象に残らない顔であった。
「…『賭け事なら、神様だって負かせてみせる』。あんたが『カジノ四天王』なんて呼ばれていようとも、オレには関係ない」
そう言って、少年は対戦相手であるパンドラを見据える。
…彼の名前は、岩崎快司。
十人委員会の『No.10』。まだ合流していない最後のメンバーであった。
「さぁ、勝負は続行だ。カードを配ってくれ」
快司はトランプを持ったまま固まっているディーラーに声をかける。黒服にサングラスをかけた男性で、このカジノの店員は皆同じ格好をしていた。
「…は、はい。ですが―」
黒服は言葉を濁しながら、パンドラのことをチラチラを見る。
「…ここで勝負を終わりにしても」
伝説のギャンブラーの大敗に、たった一勝負で得た巨額の大金。黒服が勝負を終わりを薦めるのは、ごく自然なことだった。…だが。
「それはない。この勝負が始まる前に決めたはずだ。どちらかが破滅するまで勝負は終わらない。2人の同意があったときにだけ、勝負を降りることができる」
快司は無表情のまま、先ほど奪ったチップの山に手をかける。
「オレは勝負を降りない。絶対にだ」
快司とパンドラ。
2人の目の前に置かれたチップの総量はほぼ同じ。
違うのは、勝負に対する真意。貪欲に勝利を求める快司と、追いつかれてしまったパンドラ。2人の持つチップは似通っていても、その心境は天と地まで離れていた。
「(…くそう、このガキめ。舐めやがって)」
圧倒的有利が崩れさてしまったパンドラは、外面に見える以上に焦っていた。
だが、冷静でもあった。
純粋な勝負では負けてしまうかもしれない。そんな己の予感を、パンドラは素直に認めた。そして認めた上で、次の一手を繰り出すことに決めた。
「(…青二才め。その涼しげな表情を、すぐにでも血を抜いたように真っ青にしてやる)」
パンドラは汗を拭うフリをしながら、両袖に隠したカードを確認した。このカジノで使われているのと同じ柄のトランプ。パンドラは自分の袖にあるカードの感触を確かめつつ、心の内でほくそえんだ。
「(…くくっ、目にものを見せてやる。たかが、まぐれで勝っただけだ。そんなもの、この俺様のイカサマには無意味よ!)」




