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第1話「『家なき子』の臭い」


――◇――◇――◇――◇――◇――◇―― 


 小学校の帰り道。

 夕陽。

 地面に伸びる影。

 遠くから聞こえてくる蜩の鳴き声。


 俺は、この時間が嫌いだった。


 一歩、一歩。

 自分の足で家に帰るのが、すごく嫌だったのが記憶に残っている。

 家に帰っても、いいことなんて1つもない。


 煙草の臭い。

 床に転がるビールの空き缶。

 酒を飲んでは暴力を振るう父親。そして、母親ではない女を連れ込んでは、散らかったリビングのソファで絡み合うのだ。


 …気持ち悪かった。

 …人間が、気持ち悪かった。


 幼心から、自分は必要のない人間だということは気がついていた。

 望まれずに生まれてきた子供。

 育児などできない若い母親は、現実から逃げ出して。

 子供など育てる気のない父親は、俺の存在を煙たがった。

 酒を飲んでは喚き。

 気に入らなければ酒瓶で殴り。

 情交の後始末までやらされる。

 …そんな、毎日だった。


「あはは。じゃあ、おれんちでゲームしようぜ」

「いいぜ。おれ、まけねーし」

「おれもまぜてよー」


 遠くから聞こえてくる同級生の声。

 彼らは家に帰ったら、ゲームとやらで遊ぶらしい。そして、お腹がすくまで遊んだら、母親の作った暖かいご飯を食べて、テレビを見て、風呂に入って、布団で寝るのだろう。


 …羨ましいとは思わない。

 …羨ましいと思えるほどの幸せに、触れたことがないから。不幸しか知らない人間は、自分が不幸であることに気づかない。


 頭を低くして、淡々と毎日を消化していく。

 不幸ではなかった。

 ただ、不自由だった。

 背中を丸めながら近くのスーパーに立ち寄っていく。

 そして、ポケットの中のわずかな小銭を数えては、買えるものはないのかと探し歩く。

 あんぱんは105円。

 コロッケは82円。

 大好きなチョコ棒は21円。

 手のひらにあるのは、10円玉と1円玉がふたつ。


 …お金が、足りなかった。

 結局、何も買うことができずスーパーから出る。ぐーっという空腹が妬ましかった。


 夕陽。

 伸びる影。

 蜩の鳴き声。

 俺はこの時間が嫌いだった。

 どうしようもなく、泣きたくなるから。


 …泣いても無駄だ。

 …意味のないことは、必要ないことだ。


 この頃から、俺の考え方は屈折していて、自分に必要なことか必要ないことなのか考えるようになっていた。


 それこそが、俺の生きるための知恵だったのだ。

 家への帰り道。 

 いつものように、背中を丸めて歩いていた。


 …それは偶然だったのか?

 …今にしても、それが偶然なのか必然なのか判断できない。

 …背中を丸めて歩く俺に。

 …話しかけてくる奴がいたのだ。


「ねぇ。もしかして、おなじクラスの『じんのうち』くん?」


 俺は驚いて、声のするほうへ振り向いた。

 もじもじとした両手に、肩口まで伸びた髪。最初は女子かなと思ったが、ランドセルの色で男子だと判別できた。後ろにいるのは、こいつの姉だろうか。何歳か年上の女子が、興味津々といった感じで覗き込んでくる。


「あれ? 優紀の友達?」


「うん! おなじクラスなの」


 その女みたいな男子は、俺のことを見てはにこにこと笑うのだった。


「ねぇ、じんのうちくん。いっしょにかえらない?」


 正直、その笑顔が煩わしいと感じた。

 だが自分でも不思議なくらい。

 すんなりと、そいつのことを受け入れてしまった。

 自分と同じ臭いを感じたのかもしれない。


『家なき子』の臭いを―


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― 新着の感想 ―
[一言] マジで辛い過去だなあ
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