第49話「君の全てを肯定しよう。…その脆弱な心も、人に好かれたくて仕方ない孤独も、誰にも嫌われたくないという我侭も」
「…はぁはぁ」
手にした大型の魔導杖で体を支えながら、碓氷涼太君は壊れてしまった扉の前に立つ。
普段から全く喋ろうとしない。冷静を絵に描いたような彼だったが、このときだけは荒い息を吐き、苦しそうに顔を歪めている。
よく見れば、脇腹からポタポタと出血している。
それだけではない。
額からは冷汗をびっしりとかいて、全身に疲労が蓄積しているようだった。
こんなになってまで、彼がここに来る理由とは。
「…碓氷君?」
ボクが固唾を呑んで見守っていると、彼は部屋の片隅で震えている神無月先輩を見つけた。そして、ゆっくりとした足取りで彼女へと近づいていく。
「…いやっ!」
その瞬間。
悲痛な声が響いた。
神無月先輩が、自分に歩み寄ってくる彼に脅えていた。
「…来ないでください! あっちにいってください! …もう、誰とも話したくありません!」
薄手のケープを皺にさせながら、もがき苦しむ様に胸元を掻きむしる。
「あなただって、私のことが嫌いなのでしょう! 心のどこかでは、私を嘲笑っているのでしょう!」
「…」
碓氷涼太君は何も言わない。
ゆっくりと、恐怖に震える彼女へと歩み寄る。
そして、神無月先輩の目の前に立つと、黙って見下ろした。
穏やかで。
とても澄んだ目だった。
「どこかに行ってください! あなたのことなんて大嫌いです! いつも黙ったままで、声をかけてもろくに返事もしてくれなくて! なんで、いつも私のそばに―」
突然。
悲鳴が止んだ。
その光景を見ていたボクたちも、驚いて言葉もでない。
…碓氷君が、神無月先輩を抱きしめていた。
「…なっ、離してください! 私はこんなことをして、いったい何が目的なんです!」
碓氷君の腕の中で暴れる神無月先輩。
逃げだそうと両手を振り回し、長い爪が彼の頬に傷を作っていく。
それでも、碓氷君はその手を離そうとしなかった。
黙ったまま、静かな表情で彼女を見つめる。
そして―
彼はゆっくりと、口を開いた―
「…君の全てを肯定しよう」
碓氷涼太が、…喋った。
初めて聞く彼の声に、ボクたちは目を見開いていた。
「神無月有栖。君を肯定する。その脆弱な心も、人に好かれたくて仕方ない孤独も、誰にも嫌われたくないという我侭も。それら全てを、自分が肯定する」
「…え」
神無月先輩の暴れていた手が止まった。
「そして、君を肯定した上で、…ちゃんと叱ってあげよう。君が悪いことをしたり、他人に迷惑をかけたら、自分が君を叱ろう。道に迷ったり、何が正しいのかわからなくなったら一緒に悩もう。もし誰も傍にいない孤独に耐えられなくなったら―」
そっと、彼女の頭を撫でる。
柔らかいピンク色の髪が、くしゃりと形を変えた。
「…自分が傍にいよう。君の孤独が癒えるまで、いつまでも傍にいる」
「…碓氷、…くん?」
神無月先輩が顔を上げる。
そして、まっすぐ見つめる彼と視線を交わす。
「…君も、自分も。未熟な人間だ。他人との関わりを煩わしいと思う、未完成な人間なんだ。だから、君の心のある穴は自分が埋める。自分の心にある穴は―」
端正な眼差しが、彼女の心に突き刺さる。
「…君に埋めてもらえると、嬉しい思う」
氷のように冷たいと思っていた眼差しだが。
今は、その眼差しが嘘ではないことを語っていた。
嘘偽りのない想いが、彼女へ突きつけられる。
「…なっ! な、な、なっ!」
見る見る神無月先輩の顔が赤くなっていく。
人の善意と悪意を嗅ぎ分けてしまう彼女にとって。
彼の言葉は、…強烈過ぎた。
嘘だと疑ってみても、口ではなんとでも言えると嘲笑ってみても。
彼女にはわかってしまう。
今まで積み重ねてきた、人の気持ちを見定める観察眼が。
彼の、…碓氷涼太の言葉が本心であることに。
「はぅ! はわわ!」
逃げ場はない。
差し出された愛情に、神無月先輩は逃げることができない。
他人に脅え、恐怖し、逃げ出そうとして彼女にとって。
碓氷涼太の想いこそ、…神無月有栖が求めていたことなのだから。
「ど、どどどどうして、なのですか!?」
恥ずかしそうに赤くなった顔を隠しながら、神無月先輩は問う。
「なんで、そんなことを言うのですか! 私は、こんなにも愚かな人間なのですよ! 人が怖くて、信じられなくて。でも、独りだと寂しくて。こんな私に、どうしてそんなことを言うのですか!?」
指を隙間から、ちらちらと彼のことを覗く先輩。
既に、その答えはわかっているはずなのに。
最後の抵抗といわんばかりに問い詰める。
だが―
「…君を、愛しているから」
とどめの一撃。
一点の曇りもない愛情が、彼女へと押し寄せる。
顔は林檎のように赤くなり、瞳からは涙が滲み出す。
口をぱくぱくと開いては、声にならない言葉を搾り出す。
そして最後には、碓氷君の腕の中で悶えはじめて―
「きゅん!」
…気を失った。
…神無月有栖は満たされていく幸せに、…絶頂したのだった。




