第36話「私、穢されちゃった…。と、捕らわれた姫は甘い溜息をつく」
「…はぁ、はぁ」
私はミクに手を引かれる形で、薄暗い屋敷の廊下を走っていた。
「アーニャ、大丈夫?」
「…だ、だいじょうぶ。…はぁ、はぁ」
力強く手を引く赤髪の少女は、肩に羽織った着物を靡かせながら、迷いなく駆けていく。
その常人離れした脚力にどうしても追いつくことができず、文字通り足手まといになってしまっていた。
私も幼いときからスラム街で育ったから、体力には自信があるけど、この人たち『十人委員会』と比べてしまうと目も当てられない。
「たぶん、あの部屋だ」
息切れ一つしていないミクが、廊下の突き当たりにある部屋を見つめる。
豪華そうな扉に、派手な装飾。
2階より上は、階段が崩壊しているので上りようがない。
恐らくあの部屋が、この屋敷の主の自室に違いない。
「…はぁ、はぁ!」
私も必死に追いすがりながら、その扉を目指す。
そして、数秒もしないうちに廊下を渡りきると、ミクはおもむろに右足を突き出した。
「ふんっ!」
ガンッ!
走っている勢いのまま、その扉を蹴破った。
すさまじい音がして、扉は蝶番から外れてしまう。
私はというと、そんなミクの勢いに振り回されて、無様に両足が宙を舞っていた。
「きゃ!」
「…よっと」
体制を立て直したミクが、私の手を握ったまま優しく抱きかかえる。相手が男だったら惚れてしまいそうなシチュエーション。…まぁ、男なんかに興味はないんだけど。
「…さぁて、鬼が出るか蛇が出るか」
ミクの両腕から降りて辺りを見渡す。
豪華な装飾の部屋だった。
金や宝石をふんだんに使っており、細かな嗜好をあしらえている。だが、どしても私には、馴染めない雰囲気であった。
部屋の中は、甘い花の香りが漂っている。
そんな部屋の中心に。
彼女達がいた。
「…え」
その光景に思わず声が出る。
まるで恋人同士のように身を寄せ合っている。
彼女たちは互いの顔を近づけて、唇と唇を重ねているように見えた。
…いま、あの女の子たち。キスしてたの!?
私は動揺すると一緒に、言いようのない不安を感じた。
2人の内、イスに座っているほうの少女には、どこか見覚えのある気がしたから。
「うふふ、ごきげんよう」
その鼻にかかる甘ったるい声は、部屋の中心にいる女性のものだった。
ピンク色に近い明るい髪色。ハーフエルフと思われる尖った耳。女性らしい豊満な肉体が実に艶かしい。薄いケープから覗く肢体に、ごくりと生唾をのんでしまう。
そんな甘美な色香を放つ女性は、優雅な素振りをしつつ挨拶をした。
「初めまして、姫様。私の名前は神無月有栖。姫様もご存知の通り、『十人委員会』の一員ですわ」
神無月有栖は不敵な笑みを浮かべつつ、私の隣いる赤髪の少女に目を移す。
「お久しぶりですわね。御櫛笥さん。…今は、ミクと呼んだほうがいいかしら?」
「…ちっ、気安く呼ぶんじゃねぇよ。神無月先輩よぉ」
ミクは苛立ったように返事をする。
私の手を握る力が、痛いほど強くなる。
「うふふ。それでは、あなたも挨拶をしなさい」
神無月は妖しく微笑んで、イスに座っている少女に言う。
すると、その少女はビクッと肩を震わせた。
顔を俯かせたまま、こちらを見ようとはしない。
「あら、どうしたのかしら?」
神無月はそんな少女を見下ろしながら、自分と同じ撫子の髪を梳く。
「…ふふ、恥ずかしいの? それとも、『命令』しないとダメかしら?」
「っ!」
少女は脅えるように肩を震わせた。
よくよく見れば、その少女はとても淫靡な服装をしていた。
黒のワンピースは前面が開かれていて、格子状の紐が辛うじて胸元をかくしている。両肩と背中からは白い地肌を覗かせて、裾は腰辺りまでしかない。黒のショーツが太股の隙間から垣間見える。
清楚で、美しく。
…穢されていた。
「…見ないで、ください」
それが最初の言葉だった。
消えてしまいそうな声は、鈴のように澄んでいて可愛らしい。
とても。
とても、聞き慣れた声だった。
「…え?」
私とミクが言葉を失っている中、その少女は顔を上げる。
美しい顔立ち。
大人のようで、少女のようでもあり、清楚と可憐さをあわせ持っている。
熱でもあるのか、頬を赤くさせていて、息づかいも荒い。
淡いピンク色に濁った瞳。
そして、同じくピンクに染まった髪の中に、一束ほどの黒い流線を見つける。
この世界でただ1人の、黒髪を持つ少女。
その、成れの果て。
「…うそ、…でしょ」
その少女を。
自分が愛して止まない女の子を見て。
私は、愕然とした。
「…ユキ? …噓でしょう。だって、その格好は」
「っ!?」
脅えるように肩を抱く、撫子色の髪の少女。
自分のあられもない姿を隠そうとしているのかもしれないが、その恥らう姿が余計に妖しく見せてしまう。
「…見ないで」
ユキは恥辱に塗れた表情で、視線を下へと向ける。
そんな仕草でさえ、見るものを虜にする淫力めいたものを感じる。
ぞくり、と背筋に妖しい感覚が走った。
「うふふ。可愛いわよ、ユキ」
瞳に屈辱の涙を浮かべているユキに、神無月有栖は手を伸ばす。
そして、自らの胸元へと誘った。
あまりの自然な行動に言葉もでない。
そして、さらに衝撃的だったのは。
神無月に抱きしめられているユキが、恍惚な笑みを浮かべていたことだった。
目を垂らして、顔は赤くぼぅとしていている。
唇も妖しく濡れていて、まるでキスをせがむ恋人のように。
「…やめて」
口から、想いが零れる。
…やめて。
…そんな顔をしないで。
見ていることが辛くなり視線を外そうとするが、そのあまりにも倒錯的な官能に目が離せない。
「ふふっ、わかって頂けましたか? 私たちの関係を。あなた達のようなお遊びとは違うのです」
神無月は余裕の笑みを浮かべる。
「ユキは自分の意志でここにいるのです。あなた達の迎えなど必要ありません。…そうですよね、ユキ?」
確認するように、ユキに訊ねる。
すると、撫子の髪の少女は、熱にうなされたまま答える。
「…はい。私は、自分の意志でここにいます」
「ふふ、それじゃ。皆さんにお別れの挨拶をしなくてはね?」
「え?」
ユキの濁った瞳が僅かに開かれる。
「うふふ。だって、ユキは私のもの。他の人なんて、忘れてしまって構いませんよね?」
「…で、ですが、神無月せんぱ―」
「呼び方が違くてよ!」
ユキの言葉を、神無月が強い口調で遮る。
「…すみません、お姉さま」
そう言って、撫子の髪の少女は脅えるように頭を下げた。
…お、お姉さま!?
ユキの神無月に対するの呼び方に、私は数日前の記憶が蘇る。夢でうなされていたユキも、確かにお姉さまと口にしていた。
「ふふっ、いいのよ。…それじゃ、私が教えたとおりに言えるわね?」
「…はい、お姉さま」
ユキは名残惜しそうに離れると、両手を胸に抱いてこちらを見る。
そして、濡れた唇をゆっくりと開いた。
「…アーニャ、ミク。…ごめんね」
頬を高揚させて、涙で瞳が揺れている。
「…私、…穢されちゃったの」
豊満な胸を抱きながら、そろりそろりと片手が下腹部へと降りていく。
「…もうね、お姉さまのものなっちゃった。この身体も心も、お姉さまのものなの」
ふぅ、と甘い溜息をつく。
快楽に溺れる。
豹の顔をしていた。
「…だからね、さようなら。これからは、お姉さまだけを愛して生きていくの」
穢された撫子の髪を揺らして、ユキは神無月の元へと戻っていく。
そんな光景を見せられて、私が膝から床に崩れ落ちた。
「…こんな、ことって」
私は胸から込み上げてくる絶望に、ただただ屈していた。
涙すら出ない。
声にならない嗚咽だけが、口元に当てた手から零れだす。
「ふふっ、いい子ね」
「…はい、ありがとうございます。…お姉さま」
甘い2人の会話が、耳障りで仕方ない。
今すぐにここから逃げ出したい。
奪われてしまった。
愛する人を、目の前で奪われてしまった。
「うふふ。それでは仕上げですわ。ユキ、あなたの手で、彼女たちを排除しなさい」
「…お、お姉さま?」
そこには冷徹な下知に戸惑う、ユキの姿があった。
「…ど、どうして?」
「うふふ。どうしてですって? 簡単ですわ。あなたに不要なものは、あなたの手で排除しなくてはいけないからよ」
にやり、と神無月が嗜虐的な笑みを浮かべる。
「さぁ、やりなさい。あなたの手で、あの2人を消し去るのよ」
「…で、ですが。私には―」
「あら? 私を失望させないでね?」
「…っ!」
肩を震わせるユキ。。
撫子の髪の少女は懇願するような目で、神無月を仰ぎ見た。
「…も、申し訳ありません。…それだけは、ご勘弁ください」
「うふふ。どうしてもできないと言うの?」
「…ほ、他のことなら何でもします。ですから―」
「ダメよ。言ったでしょう? あなたは私のもの。あなたは私に逆らってはいけないの」
「…お、お姉さま」
困惑するユキ。
そんなユキに、神無月が冷たく言い放った。
「さぁ、やりなさい。…『命令』よっ!」
「ひやっ!」
ビクン、とユキの体が波打った。
まるで電気が走ったかのように、背筋をのけ反らせる。
「あ、ああっ!」
撫子に染められた髪が、妖しく靡く。
熱い吐息を零しながら、自分の体を抱きしめる。
艶かしい声。
もはや喘ぎ声と言えるような声を上げて、ユキは恥ずかしげもなく背筋をそらした。
その時。
ユキの首筋に刻まれている、黒い茨の刺青が見えた。
ズリュリ、ズリュリ、と鼓動するように蠢く。
「ゆ、ユキ?」
私は慌てて声をかけるが、まるで反応がない。
ユキはさらに体を艶かしく揺らして、拘束衣装の中に手を入れた。
腰の辺りを探りながら、それを取り出した。
「…っ!」
ユキは手にしたその銃を私達へと向ける。
龍の細工が施された中折れ式の銃器。以前、ユキに見せてもらったことのある、『炸裂銃・青龍』だった。
「…はぁ、はぁ、はぁ」
荒い呼吸。
震える両手で、ユキは『青龍』を握り締めている。
よくよく見てみると、ユキの体には黒い茨のような刺青が、全身に刻まれていた。先ほどまでは目立っていなかったものが、神無月の『命令』という言葉に反応したように、禍々しい刻印となってユキを締め付けている。両手に刻まれた枷のような刺青が、見ていてとても痛々しい。
「…はぁ、はぁ。…ごめん、なさい」
我慢できないというように、内股を擦らせる。
もはや、まともな思考など残っていないようであった。
「…に、にげて」
かすかな声に、私は意識を取り戻す。
「…逃げて。アーニャ、ミク。…もう、私。…だめ」
口元からは、色っぽく涎を垂らして。
濁った瞳は苦悩するようで。
甘い苦しみに声を漏らしながら。
…ユキは、引鉄に指をかける。
「…もうダメ! すぐに逃げて! このままだと、私!」
甲高い声で啼きながら、ユキの体ががくがくと震えだす。
あはは、という神無月の耳障りの笑い声を聞きながら、私は身動きが取れなかった。
自分に向けられている銃口など関係なく。
大好きな人が穢された姿に、不覚にも、…見惚れてしまっていた。
「ふふっ、これで―」
神無月が笑い。
ユキが引鉄を引く。
…その瞬間―
「せーの、どっせいっーーーーーーーーーーッ!」
赤い髪をした少女が、まるで閃光のようになってユキへと向かっていき。
その少女を、力いっぱいに。
…殴り飛ばしていた。




