第15話「いまは亡き『王女』と、元老院」
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「つまりね、国王が亡くなってから、この国の治安は一気に悪くなったの」
ゴンドラを漕ぎながら、アーニャため息をつく。
「今は、国王に代わって『元老院』が国を治めているんだけど、年寄りたちは自分の利益にしか興味がないからね。一部の貴族が富を独占して、真面目に働いている人がどんどん貧しくなっているの」
「ふーん、そうなんだ」
ボクはアーニャの話を聞きながら、オールを漕ぐ彼女の姿を見ていた。
『ゴンドラ』とは、長細い手漕ぎボートだ。
漕ぎ手は船の後ろに立って、一本のオールだけで船を操作する。
ヴィクトリアに住んでいる人たちにとって、主な移動手段はこのゴンドラだ。この国は運河の国でもあるので、細かい水路が国中に行き渡っている。そのため歩くよりも、ゴンドラを漕いだほうが簡単に目的地にたどり着けるほどだ。このゴンドラがないと、日常生活に支障が出るほど。
アーニャの巧みなオールさばきによって、細い水路を縫うように進んでいく。彼女自身は大らかな性格のようなので、その繊細さは意外だった。
「本当は国王には一人娘がいて、その人が後を継ぐ予定だったんだけどね。数年前から行方不明なのよ」
「行方不明?」
「そ。噂じゃ、この国の実権を握るために、『元老院』が王女さまを亡き者にしたんじゃないかって」
「…なんか、物騒な話だね」
「まぁ、王女が一人いたところで、この国が良くなるとは思えないけどね」
アーニャがオールを漕ぐ手を止める。
ゴンドラのスピードを落としてから、ゆっくりと左に曲がった。古いレンガの壁に挟まれた水路が、どこまでも続いている。
ボクたちはカフェを出て、着替えるために一度の部屋に戻っていた。さっきの一件で、どうしてもふりふりのメイド服で出歩く気にはなれなかった。
「…まぁ、この服装ならメイド服よりはマシだよね」
アーニャの選んだ服から、なるべく普通に見えるものを選んだつもりだ。
黒の肩だしノースリーブに、黒に赤いチェック模様が入ったプリーツスカート。その上から、黒の外套を身に着けている。
この服装なら、メイド服のように悪目立ちすることも、変な男に襲われることもない。…と思いたい。
一応、護身用ということで腰に銀色の銃『ヨルムンガンド』と、スカートの中に暗器銃の『白虎』を隠し持っている。
「ユキ、見えてきたよ。サンマルコ広場だ」
細い水路をくぐり抜け、大運河の本流に差し掛かる。
視界は一気に広がって、太陽の光に目を細める。
目の前に石畳でできた大きな広場が見えてくる。この国で一番大きな広場、サンマルコ広場だ。広場には、先ほどのリアルト橋よりも大勢の人が行き交っていた。この広場は四角い形をしており、入口には時計塔が建てられている。
「ゴンドラを停留所につけるよ。揺れるから、掴まってて」
「うん」
アーニャは器用にゴンドラを停留所につけると、船番のおじいさんに小銭を数枚ほど渡した。どうやら、ゴンドラの停留料らしい。
彼女はそのまま広場の方へ歩いて行ってしまうので、ボクは慌てて彼女の後ろ姿を追いかける。
「まったく。ここはいつも辛気臭いわね」
ふぅ、と不満気にため息をこぼす。アーニャに追いついたボクは、その理由について聞いてみた。
「どうして? こんなに賑わっているのに?」
ボクがアーニャの言う、辛気臭いの意味が分からず首を捻っていると、アーニャがこっそり耳打ちをしてきた。
「…宮殿の前にいるやつら、見える?」
「宮殿の前?」
ボクは宮殿のほうを見ていると、青い制服を着た男たちがたむろっていた。昼間から酒を飲んで、周りの迷惑を考えずに大声で騒いでいる。全員、肩から銃をぶら下げている。木製の単発式の銃。マスケット銃だった。
「あの青い制服を着ている人たちのこと?」
「そう。あいつらはこの国の警備隊なの。町中での犯罪を取り締まっていた。…数年前まではね」
「…どういうこと?」
聞き返しながら、ボクはアーニャのほうを見た。すると、アーニャは男たちから視線をそらしながら俯く。
「…この国の治安が悪くなっているって話をしたでしょ。あれは、国の警備隊も関係しているの。国王が倒れてから警備隊を取りまとめる人がいなくなってね。今じゃあ、何をしても警備隊に賄賂を渡せば、見て見ぬふりをするようになってるわ」
「…そんな」
「それに、あいつら自身も盗みとかしょっちゅうしてるの。他の警備隊が逮捕しても、身内ごとだから、いつもうやむやにされちゃうのよ」
アーニャはさみしそうに呟くと、猫耳のフードを目元が隠れるほどに深くかぶった。飾りの耳が立って、本当に不機嫌な猫のようだった。
「…昔は、違ったのよ」
アーニャの声がいつもより弱々しい。顔を見ようとするが、フードをかぶっているせいで、彼女の表情がよく見えない。
「…国王が健在なときは、役人だって貴族だって、悪いことをすれば罰せられたんだから。…『十人委員会』が解散しなければ、『元老院』がここまで力をつけることもなかったのに」
…え?
突然、聞き覚えのある単語が出てきて、思わず口をつぐんでしまう。
『十人委員会』
それは、ボクが《カナル・グランデ》というオンラインゲームで所属していたギルドの名前と同じ。
十人だけで構成された、最強の戦闘系ギルド。それがボクの知っている『十人委員会』だった。
…この世界では、違うのか?
奇妙な疑問を抱きつつ、ボクは彼女の顔を見る。
だが、何も言えなかった。その時の彼女の顔が、普段からは想像もできないくらい寂しそうだったから。




