第24話「神無月有栖とは(前編)」
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「は? ユキが行方不明だと?」
「そうなの! 昨日から家に帰って来ないのよ!」
十人委員会の会議室で、アーニャが泣きそうな声を上げている。
「鋼鉄大臣の個人講義から逃げ出して、早めに帰ろうと思ったんだけど、その途中で見かけた下着屋で、ユキにぴったりなランジェリーを見つけてね! スケスケで向こう側が見えるやつとか、大事なとこが全然隠せてないやつとか! あ、あと、鍵のついた首輪とか、ピンクの手錠とかとか! もぉ~、欲しくて欲しくて―」
「…話が脱線していないか、アーニャ殿?」
会議室の円卓に座っているゲンジ先輩が呆れたように言う。
「はっ、そうだった! それでね! 持ちきれなかったから宅配にして、帰るころには『夜の調教グッズ』が届く予定だったの! ユキの夕食に睡眠薬を盛って、眠っているうちに装着してしまおうと―」
「…サイテーだな、お前」
そばに立っていたミクまでが、ドン引きしている。
「でもね! 帰ったら、ユキがいなかったのよ! 戸締りもしてないし、玄関なんかあけっぱないだったんだから!」
「…それは、ただの家出です。そこまでされて、逃げ出さない人間はいませんよ」
眼鏡を上げながら、誠士郎が淡々と言い放つ。
「そんなことないもん! そりゃ、最近はあっちのほうはご無沙汰だったよ。布団の中で全裸待機してても、完全にスルーされてたりするけどさ! ユキが何も言わず出て行くはずはないのよぉ~」
うわ~ん、と子供のように泣き出すアーニャ。
会議室に集まった十人委員会のメンバーは、互いに顔を見つめ合った。
ユキを除いた5人。ゲンジ、誠士郎、ミク、コトリ、ジン。彼らは黙ったまま、円卓の片隅で無言の会話を繰り広げる。
「…なんというか、大変だな。ユキは」
「そうですね。アーニャさんの愛は常軌を逸しています。ユキ君のことが心配になってきましたよ」
「ちょっと、心配するのそっち!? っていうか、ゲンジ社長と副会長さんにだけは言われたくないんだけど!」
深刻そうな顔をするゲンジと誠士郎に、アーニャが噛み付かんばかりに怒りを露にする。
そんな3人を見て、ミクが肩をすくめた。
「そーなんだよねぇ。こいつと一緒に暮らしているあたしの身にもなってよ」
はぁー、とため息をこぼす。
だが、ゲンジは無表情のままミクの言葉を否定した。
「否。御櫛笥の立ち位置に、同情などできんな」
「は? なんで?」
「なんでだと? 貴様はすでに、ユキと一つ屋根の下で暮らしているではないか。百合の間に挟まれる。これ以上の幸福がどこにある。…否! 断じて、否だ!」
「その通りです! ゆきりんと一緒にくらすなど、我ら『ゆきりん親衛隊』が許すはずがないでしょう!」
「ふん、よかったな、御櫛笥よ。貴様が男だったら、我が愛剣『ベルセルク』で肉片に変えてやるところだったぞ」
「ええ、そうですよ。地下の強制労働施設に送り込んで、1050年くらい働かせてやりますよ」
ふふふ!
はははっ!
不気味な笑みを浮かべている『ゆきりん親衛隊』の2人。彼らは誰からも邪魔されることなく、まだ見ぬ敵への制裁を算段する。
そんな2人を放置して、ミクがボリボリと頭をかきだした。
「…まぁ、真面目な話。ユキが帰ってないのは本当なんだよね」
「そうなのよ! どんなに遅くなるときでも、その日のうちに帰ってくるはずなのに!」
アーニャも円卓に身を乗り出して声を上げる。
すると、それまで黙っていたジンが、ゆっくりと口を開いた。
「…ユキの奴、何か言ってなかったか?」
「何かって?」
「例えば、…誰かと会いに行くとか」
ミクは腕を組んで答える。
「いんや。そんなこと何も言って―」
「あっ! そういえば!」
だが、そんなミクの声を遮って、アーニャが思い出したかのように言った。
「誰かを迎えに行くようなことを言ってたよ!」
その言葉に、ジンが眉間に皺を寄せる。
「…誰だ?」
「えーとね。確か、7人目を迎えに行くとか言ってたかな?」
「…7人目? 誰だ、それは?」
そう言ったきり、ジンは黙り込んでしまう。
この会議室にいる十人委員会のメンバーは5人。ユキを含めたら、現在この世界に集結しているメンバーは6人になる。
「7人目ということは、他の仲間が見つかったのか?」
「どうせ、カイジ君あたりじゃないですか? 彼は1年生のせいか、少しばかり協調性に欠けています。遅れて集合しても不思議ではありません」
それまで妄想に耽っていたゲンジと誠士郎が、会話に割り込んでくる。
「そうだな。あのバカは一度、性根を叩き直してやる必要があるな。野球部の部長のくせに、花札や麻雀ばかりしおって」
「最後に注意した時は賽子でしたね。いくら野球グラウンドがないとしても、やれることはあるでしょうに」
ため息まじりに話すゲンジと誠士郎。
2人の発現で会議室に弛緩した空気が広がっていき、惰性的な会話を続けられる。
そんな中、1人だけ深刻そうな表情を浮かべている人物がいた。
「…ちょっと、ヤベぇかもしれねぇな」
ジンだった。
その銀色の狼男は眉間を寄せたまま、他のメンバーを見渡す。
「たぶん、その7人目は。…神無月有栖だ」
「は?」
「神無月先輩?」
ジンの言葉に首を傾げるアーニャとミク。彼女達は何が深刻なのかわからないまま、ジンの次の言葉を待つ。
だが、それよりも先に口を開いた者がいた。
「…陣ノ内。貴様、神無月と会ったのか?」
ゲンジの唸るような声が会議室に響く。
その問いに、ジンは重々しく頷いた。
「あぁ。数日前にな」
「なぜ、その時点で我らに伝えなかった?」
その問いは、ジンを責めているようにも聞こえた。
そしてジンも、叱責を受ける者のように、苦々しく答えた。
「…俺のミスだ」
銀色の鬣を揺らしながら、額に手を当てる。
「…ここ最近。宮殿の重要人物が立て続けに襲われる事件があっただろ? その襲撃事件の裏で手を引いていたのが、元老院の連中だったんだ」
「元老院か…」
「はあ!? あのクソジジイ共、まだ私に恨みでもあるの!?」
ジンの言葉に、アーニャが声を荒らげる。
「奴らは、自分達が返り咲くために、邪魔に人間を排除しようとしていた。大臣や宮殿の中枢に関わるもの。当然、俺たち十人委員会も標的だったわけだ」
「だが、なぜ今なのだ? 元老院が解散してから、もう3ヶ月は経つぞ?」
「後ろ盾を得たんだよ。俺たちが動き出しても、簡単には潰されないくらい。強力な後ろ盾を」
「…まさか、それが」
「…あぁ。神無月有栖だ。俺が奴に会ったのも、元老院の隠れ家を強襲した時だった」
その言葉に、ゲンジは表情を暗くさせる。
はぁ、と誠士郎が眼鏡を上げながらため息をつく。
「…やはり、俺のミスだ」
「え?」
「神無月有栖がユキを狙っていたことはわかってたんだ。その時点で、皆に知らせるべきだった」
「それよ。なんで神無月先輩はユキを攫うようなことをするわけ?」
先ほどから頭に疑問符を浮かべているミクが口を開く。
「神無月先輩って、ユキに告白して振られてなかったっけ? なんで今更、手を出そうとするのよ?」
「今だからだ。この世界だからこそ、行動を起こしたのだろう」
ミクの問いに答えたのは、ゲンジであった。
「つまり、【スキル】とか、『神官』の力を使って、ユキを誘拐したってこと?」
「それもあるだろうが。…事の真相は、もっと別のところにある」
「どういうこと?」
「神無月の、…心の問題だ」
ゲンジは腕を組んだまま、対面に座るジンのことを睨みつける。
「陣ノ内。貴様も気づいているのだろう? 神無月の心の『歪み』を」




