第22話「…7人目を迎えに行ってくる」
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「…ふぁあ」
朝が来た。
カーテン越しに太陽を見つめながら、同じベッドに寝ているアーニャとコトリの寝息が聞こえてくる。
「…うーん、体が重い?」
肩を回しながら、体の倦怠感に眉をひそめる。
寝ても寝ても、体の疲れが取れない。
おかげで、最近は夜になるとすぐに寝付いてしまうのだ。
「…はぁ。…たまには朝食でも作ろうかな」
そう言って、クイーンサイズのベッドから降りる。
寝不足なのか、頭がボーッとする。
「ダメだ、ダメだ。気合を入れないと。こんなんじゃ、アーニャとミクに笑われちゃうよ」
クローゼットから出そうとしたワンピースを戻して、紺のズボンとワイシャツを取り出す。ついでに、ゴツいバンクルでしっかりと気合を入れよう。
着替えて、朝食ができる頃には、
同居人が目を覚ましてきた。
「おはよー。…あれ、今日はズボンなんだね?」
「う、うん。ちょっと色々あってね」
ボクはざわめく胸のうちを隠しにしながら、朝食のサンドイッチを頬張るアーニャに答えた。
「ははーん。さては…」
「な、なに?」
にんまりと笑うアーニャを見て、背筋が薄ら寒くなる。両手をお腹に置いて、内股をもじもじとさせてしまう。
「…ユキ。男装に目覚めたのね!」
「…ボクは元々、男だよ」
アーニャの見当違いの問いに、思わず肩を落とす。
紺のスラックスに、白のワイシャツ。長い髪は1つに束ねて背中に流している。随分とシンプルな格好だと自分でも思う。
「でも、似合ってるからいいかな。男装の麗人を嫁にするのも、なんか萌えるし!」
「…男装していても、『婿』じゃなくて『嫁』なんだね」
「もちろん。あ、結婚式にはウェディングドレスを着てもらうよ! 私が白のタキシードを着て、バージンロードの花嫁の手を取るの! そして、優しくヴェールを上げて誓いのキスを…。あぁ、なんてロマンチックなの!」
「…男装の麗人はどこにいった?」
ボクは頭を抱えながら、朝食の片づけを始める。
ミクが早朝から出かけてるせいで、アーニャの妄想を止める人がいないのだ。
「それじゃ、ボクも先に出るから」
「え! ちょっと待って! 私もすぐに出るから!」
「出るって、…まだパジャマじゃない?」
「大丈夫! 40秒で支度するから!」
そう言って、朝食を口いっぱいに詰め込みながら、パジャマを脱ぎ散らかしていく。可愛い猫のパンツ姿になって、ドタバタと部屋中を駆け回る。
「さんじゅ~し。さんじゅ~ご。あと、5秒~」
「え~ん。ユキのいけず!」
いつものネコ耳パーカーに袖を通しながら、可愛らしいお尻をふりふりしている。うん、眼福。眼福。
「そういえば、ユキ。昨日の夜、変な寝言を言ってたよ」
「え?」
お尻の猫さんに気を取られてたボクは、その言葉に激しく動揺してしまう。
「あ、あぁ、そうなんだ」
「うん。なんか、すごく艶かしい声だったけど、どんな夢を見てたの?」
「さ、さぁ。お、覚えてないよ。あは、あはは―」
笑って誤魔化す。
既に40秒は経っていたが、アーニャの言葉が気になってそれどころではない。
「…他に、何か言ってた?」
「えーとね。私も眠かったらから、よく覚えていないけど。…人の名前を呼んでいたような」
「ふ、ふーん」
気のないフリをしながら、アーニャの言葉に耳を傾ける。
「あっ、そういえば!」
「な、なに?」
「あの先輩の名前を呼んでたよ。何て言ったっけ? …カンナ、…カンナヅ」
「もしかして、神無月先輩のこと?」
「そう、それ!」
着替え終わったアーニャが、ビシッ指差す。
「なんかね。すんごい色っぽい感じだったよ。…『いやっ、ダメ』、とか、『お姉さま~』とか。…ナニしてたの?」
そこまで言って、アーニャの視線がジド目に変わる。
問い詰めるような目つきで、じわりじわりと忍び寄ってくる。
「もしかして、…浮気?」
「は?」
「浮気なの?」
「…なに言っているの?」
半ば呆れながら見返すが、アーニャの憤怒は燃え続ける。
「キィーーッ、妬ましい! 夢の中で、ユキに言い寄ってくるなんて!」
「…ちょっと~」
「先輩だからって無防備なユキに、あんなことや、こんなことをして。しまいには、あ~んなことまでするなんて。…なんて、なんて。…ぐふっ、ぐへへへ」
次第にアーニャの表情から、ゲスな笑みが浮き出てくる。
「ぐふっ。いいな、いいな、お嬢様プレイ」
「…お~い」
「ぐふふ。さぁ、力を抜いてごらんなさい。お姉さまがゆっくりと高みに登らせてあげるわ~」
…ダメだ。
…腐ってやがる。
ボクは溢れんばかりの呆れを視線に載せる。
それでもアーニャは妄想にトリップしたままなので、諦めて出勤の準備をする。トートバックに財布や家の鍵、そして魔導石駆動の小型通信機(ボクたちはケータイと呼んでいる)を詰め込んでいく。最後に鏡を見て、自分の身なりを確認する。
その時だ。
「…ん?」
それは小さな違和感だった。
首筋に、何か染みのような黒いギザギザ模様がついていた。
ボクは鏡を覗き込み、その黒い染みをじっくりと観察する。
「…なんだろう、これ」
何かの紋様にも見える。
例えるなら、黒い茨。
どこか危ない色香を放つ、漆黒の薔薇。
まだ色が薄いため目立たないが、それは明らかに人為的なものだった。
「…この紋様。…どこかで見たような」
不気味に思いながらも、その柄に既視感を覚える。
ボクは人差し指を唇に当てて考える。
…黒い茨。
…夢。
…神無月先輩。
「…そうか」
ボクは黙って考える。
そして、ようやく正気を取り戻したアーニャに向かって口を開いた。
「…アーニャ。ボクは今日、仕事を休むよ」
「え? いいけど、鋼鉄大臣に怒られない?」
「じゃあ、ジンたちにこう伝えておいて」
ボクは目を細めて、鏡に映った黒い茨を見つめる。
これはたぶん、…彼女からのサインだ。
「…7人目を迎えに行ってくる」




