第20話「変えられていく、心と身体(前編)」
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「今日の体育がプールでよかったよねぇ~」
「ホントホント。こんな暑いのに、外で動きたくないよね」
「聞いた? 男子って、今日はマラソンらしいよ」
「うわぁ~、お気の毒って感じ」
「私達は水泳でよかったね、御影さん?」
「…え?」
唐突に問われて、『私』は返事に窮する。
慌てて辺りを見渡す。
昇った太陽。
強すぎる日差し。
プールの水面には太陽の光が反射して、キラキラと輝く。
そうだ。今日は体育が水泳になったんだ。男子は外のグラウンドでマラソンに、女子はプールで水泳に―
「…なったの、かな?」
「御影さん?」
「あ、うん。そうだね。こんなに暑いのにマラソンなんて、男子は大変だね」
私は愛想笑いを浮かべて、クラスメイトの問いに答える。
水泳の授業といっても、ほとんど水遊びのようだった。皆、紺のスクール水着を身に着けて、楽しそうに笑いながら水を掛け合っている。中には、プールの中に入らず、日陰から見学している子もいる。数は半々といったところ。そういう私も、水着が濡れていないことから、まだプールには入っていない様子だった。
「ほら、御影さんも。プールに入ろうよ」
「う、うん…」
そういいながらも、二の足が出ない。
スクール水着の肩紐を弄りながら、水の中に入るのを躊躇してしまう。
…おかしいよね。
…なんか、水着に着慣れていない気がする。
…学校指定のものなんだし、いつもの授業で着ているはずなのに。
「…」
改めて、自分の姿を見下ろす。
普段と変わりない紺のスクール水着。
肩紐も紺色という、少し古い形状。紺の布地が吸い付くように、胸、お尻、お腹を包み込む。まるで地肌と一体になっているようで、触れただけで鳥肌が立ってしまう。
服を着ている、という感覚はない。腰からお尻のラインがはっきりと出てしまい、胸の双房にもわずかな隙間もない。
それにサイズが少し小さいのか、ちょっとだけ窮屈に感じる。お尻の隙間から指を入れて、水着を直しても、すぐにお尻がはみ出しそうになる。
「御影さん?」
「ひゃう!?」
背中を撫でられて、思わず声が出てしまった。
ぞくり、と妖しい感覚が走り抜ける。
…おかしい。
…こんなにも敏感になっているなんて。
「大丈夫、御影さん?」
「う、うん。なんでもないよ」
動揺している胸の内を隠しながら、クラスメイトの子に笑いかける。
最近の自分は、どこかおかしい気がする。
まるで、夢の中にいるような。そんな気分になる。
「…」
私は用心深く、辺りを観察する。
だが、妙なところなどまるでない。
いつも通りの授業風景だ――
「あ~、御影さん。また、ぼーとしてる」
「ほらほら。皆と一緒に遊ぼうよ」
…まただ。
…何か違和感を感じ始めると、必ずクラスの子が話しかけてくる。
…まるで、それ以上を考えさせないようにしているかのように。
「でも、しょうがないか。あの方と恋人になったんだもんね。恋の病も当然かぁ」
…え?
「あ~あ。羨ましいなぁ。あの方とずっと傍にいられるなんて」
「でも、御影さんなら納得だよね」
「そうだね。御影さんの可愛さに、あの方もきっと気に入られたのよ」
…なんて、言った?
…私に恋人?
…誰が?
「いいな~。私にも御影さんみたいな出会いが―」
「ちょ、ちょっと待って!」
私は堪えきれず少しだけ大きな声を出してしまう。
「恋人!? 私に!? 悪いけど、全然話が見えないんだけど?」
その言葉に、クラスメイトの子は互いに顔を見つめあう。
だけどすぐに、その表情を緩ませた。
「またまた~。昨日だって、あの方と一緒に下校していたじゃない」
「そうそう。これ見よがしに手なんか繋いじゃってさ」
「きゃ~。私もあの方と手を繋ぎたいよ~」
「えっ!?」
たまらず私はクラスメイトの子に問いかける。
すると、彼女達はクスリと笑いながら、さも当然のように答えた。
「誰って、そんなの決まってるじゃない」
「麗しい乙女。学園の華」
「この学校で一番美しいと言われている」
「『神無月有栖』様よ」
…ぐらっ。
神無月有栖。
その名前を聞いた瞬間、足元が急に揺らぎ始めた。
「…え」
眩暈のする頭を支えながら、なんとかその場に立っている。
瞬間。
すさまじい勢いで、過去の映像が頭に流れ込んできた。
フラッシュバック。自分の過去が走馬灯のように駆け巡る。
その映像に必ずいる1人の女性。
撫子色の髪を持つ、優雅な女生徒。
優しく微笑みながら、いつも校門で待っていてくれた。
…待っていて、くれた?
「っ!」
…おかしい!
…こんな過去、私は知らない!
「っう!」
激しくなる頭痛。
抗えば抗うほど、頭がガンガン鳴り響き、吐き気までこみ上げてくる。
まるで、何かに侵食されているようだ。
飲み込まれてしまえと、次から次へと見知らぬ映像が頭を過ぎる。
これが自分の過去であると、無理やりにでも認めさせるように。
変えられていく。
私の過去が、記憶が、心が。
何か別のものへと、変えられてしまう。
…自分を見失うな。
誰の言葉だったかわからないが、それを道しるべに自我を保ち続ける。
「んあっ!」
霞む視界にクラスメイトが写る。
こんなにも自分が苦しんでいるのに、誰も手を出そうとしない。
さきほどまでも同じように、薄い微笑を保っている。
そのクラスメイトの微笑みが、背筋が凍りつくほど不気味だった―




