第9話「我ら、闇の仕事人!」
『アクア・アルタ』から数日後。
ヴィクトリアには、いつもの活気を取り戻しつつあった。
アクア・アルタがもたらした高潮も少しずつ引き始め、それと同時に国全体を覆っていた緩んだ空気も薄れていく。高潮が引ききる頃にはあらかたの店舗が再開し、サンマルコ広場やリアルト橋にも喧騒に包まれつつあった。それでも、所々にある窪みには水溜りができていて、多くの人が箒などを持ち、水を掃う作業に追われている。
「いやー、この時期は大変ですな」
「そうですなー。毎年の事とはいえ、人手がいくらあってもありませんよ」
国中に掃除をする人の談笑が飛び交う。
そんな中、倉庫のような場所で密談を交わしている男達がいた。男は3人。
リーダー格の冷酷そうな男。
顎に傷のある大柄な男。
育ちの良さそうな細身の美男子。
彼らは倉庫の一角に陣取り、周囲を警戒する素振りすら見せずに、物騒な会話を繰り広げていた。
「くくく、やはり我らは大義をなす器というわけだ」
「流石だ、兄貴。俺らにもツキが回ってきたということだな」
「前の仕事で盗み出した宝石は、全て国外で売りさばきました。これで私達の仕業とは誰も思わないでしょう、兄上達」
細身の男が悪人のような笑みを浮かべると、他の二人も同じように薄く笑う。
彼らは、この国で悪事を働く、裏の仕事人だった。
金さえあれば、どんな依頼でも請け負う
強盗、誘拐、脅迫。国外逃亡に手を貸すこともあれば、依頼金の額によっては事故死に見せかけた謀略さえ手に染める。彼ら3人は緻密な連携により、これまで無数の依頼をこなしてきた。
三位一体から繰り出される悪事の数々。裏の世界では『闇の仕事人』と呼ばれ恐れられていた。
「では、兄貴。次の仕事はなんだ?」
顎に傷のある大男が聞くと、リーダー格の男は冷たい笑みを浮かべる。
「ふふふっ、次の仕事の依頼主はな。かつてこの国を裏から支配していた『元老院』からだ」
「なんと! それは素晴らしいことですよ、兄上!」
細身の男は興奮したように口を開く。
「内容は、…とある人物を『消す』ことだ。方法は問わない。可及的すみやかに、目標を排除すること」
「なるほど。実に、俺達に向いた依頼だ」
大男がにやりと笑うと、リーダー格の男が冷笑を深める。
「そういうことだ。では、いつのもように我々の本名は伏せていくぞ。仕事が終わるまでは、何があっても名前で呼んではいけない。いいな?」
「うむ」
「はい」
リーダー格の男の提案に、他の2人は深々と頷く。
彼らは依頼をこなしている最中は、別の名前を名乗っていた。足取りや痕跡を残さない。それが今日まで悪事を働けてきた理由でもあった。
「…かつて、戦争があった」
リーダー格の男が遠くを見つめながら呟く。
「世界を2つにわけた遥かなる大戦。アドリア海の周辺諸国を束ねる連邦と、大陸にそびえる偉大な大公国。連邦軍と公国軍にわかれた戦いは苛烈を極め、その争いは一年続いたという。…一年戦争と呼ばれる戦いだ」
男は拳を握り締める。
「我々兄弟は、かつての栄光ある公国の血を引く者と言われている。今こそ、我々は襟を正し、この極貧生活を打開せねばならない!」
「うむ、その通りだ!」
「こんな倉庫みたいなところを、いつまでも寝床にしたくはありません」
リーダーの男に呼応するように、他に二人も力強く頷く。
「兄弟よ! 哀しみを怒りに変えて。立てよ、兄弟よ! 1つのコッペパンを、男3人で分かち合うような惨めな生活を変えるのだ!」
「うむ、腹が減ったな」
「あ、さっき宮殿からコッペパンの配給が来てましたよ。食べますか?」
「「よし、貰おう!」」
末弟である美男子が紙袋を取り出すと、兄弟の2人は貪るようにコッペパンに飛びついた。次男の大男は口一杯に詰め込んで、長男は薄い笑みを浮かべたままコッペパンを噛りつく。
「もぐ、もぐ。…それにしても、最近は配給がずいぶんと良くなったな」
「おう、兄貴。パンだけでも腹いっぱいになるぜ」
「王女が宮殿に戻られてからですね。いやー、この国の未来も明るいですよ」
末弟がそう言うと、長男が冷笑を浮かべる。
「ふふふ、…圧倒的だな。この国の生活保護は」
そう言って、すっと立ち上がる。
コッペパンを握った手を強く突き出して、高らかに宣言する。
「腹も満ちた! 今こそ『十人委員会』の無知なる者どもに思い知らせる! 我らの明日の未来のために、今こそ立ち上がるのだ!」
「「おぉ~」」
男達は諸々立ち上がり、その手にしたコッペパンを高く突き上げた。
そして、自ら高揚させるかのように叫ぶのだった。
「「我ら闇の仕事人! サビ兄弟に栄光あれ!」」




