第82話 道
「あちゃー行っちゃったー。まっいいかー。アリスちゃんは今勇香ちゃんのせんこーだしー。どーせあの娘はもう、学園に居場所なんてないしね」
何気なく発したアリスの一言に、勇香はピリッと背筋が凍った。脳裏には、向う側によって学園を追放された女性教師の姿。彼女は今、どこで何をしているか、どんな目に遭ってるすらも勇香は知る由もない。梨花も、同じ運命を辿るのだろうか。
「そうだ!今更だけど、作戦について続報をお知らせするよー」
「作戦、進級試験のことですか?」
「そーともゆー!この度、勇香ちゃんは外面小坊のくせになんか内に秘めてる力激ヤバ……以下略大作戦の実施日が、なんとなんと!一週間後の今日に決まったよ!」
「い、一週間後?」
冷静に聞き返した勇香も、そのまま思考停止に陥った。アリスはのほほんとした表情で、これまたほんわかとした声音で頷く。
「そうだよ~」
「わ、わわわ私……そんなすぐ……なんて……」
「のーぷろぶれむ~!勇香ちゃんはアリスちゃんたちの猛特訓を通して確実に力を手に入れてる。このまましっかりと鍛錬に励めば作戦成功は間違いなしだよ!はい落ち着いてー、しんこきゅー」
「は、はい。そうですよね」
アリスに背中を押され、勇香はすぅっと外界の息を吸い込む。吐いたと同時に、アリスが口火を切る。
「そうだ、一つだけアリスちゃんから注意じこー」
「は、はい」
「通常の進級試験は魔法を臨機応変に扱う能力の他に、状況判断、そしてフィールド把握力も求められるよ。つまり、頭ごなしに魔法を撃ってるだけじゃ、試験は通過できないってこと」
「分かってます」
覚悟はしていたが、仮にも此処は人々の守護という使命を背負った勇者を育成するための機関だ。進級試験もただ惰性で魔法を撃ちまくって合格できるはずがない。先の深呼吸が無意味だったかのように、勇香は息が荒くなり始めた。
「でもでも~さっきも言った通り勇香ちゃんはアリスちゃんたちの下で猛特訓してるわけだしねー。一週間もすりゃぁ、たかが二年に上がるためだけの試験なんて余裕のよっちゃん的な?」
勇香を鼓舞するアリス。気のせいか、その姿が一瞬だけブレた、気がした。
*
「それに、今のはごくふつーの生徒たちが注意すべきことだよ~。例外の勇香ちゃんなら~?どうなるかな~?」
「……」
「何その表情。アリスちゃん緊張解すために言ったんだけどなー」
「え、あっ、いや……」
なんだろう。眩暈というか、頭がクラクラして、平衡感覚がうまく掴めない。地面にしっかりと両足を付けているのに、なぜか私が浮いているような……私が、私がまるで空の上から私を見つめているようなこの感覚。
「そんな緊張すんなって~!そもそもこの試験も勇香ちゃんのあんり得ないッ魔力量をみんなに開示するため、アリスちゃんが綿密に綿密に計画したものなんだからね!さて、ちょーっとハプニングは起こったけどー授業を再開しよー」
「はい」
たしかに地面に立ってて、目の前にはアリスさんがいるのに、不思議と空の上にいるような気がする。そんな気というか、五感の全てが空の遥か高く、大気圏よりもさらに上にいるような感覚。ゆっくりとこの世界に浸透していく。
私は空に……私は世界に……
「では続いて続いて、さっきの魔法の上位互換を……」
バサッ
「ゆ、勇香ちゃん!?」
私は……この世界の……
……
……
……
『ソレガ、オマエ、ダ』
「うっ、うわぁ……はぁはぁッ!」
まるで悪夢を見ていたような、あの日の地獄を見たような顔で勇香は目覚めた。キョロキョロと周りを見回すと、そこは決闘後にもお世話になった医療院の一室だった。ベットが数台置いてある部屋の一角で、勇香は寝ていたようだ。すぐ横にはアーチ状の窓があり、鳥の囀りや生徒たちのわちゃわちゃした声が間近に聞こえてくる。
「お目覚めですか?」
勇香の起床を察知したのか、部屋の外から、スレンダーな女が入ってきた。
「あ、あなたは」
初めて会った時には、自らのことをイオリと名乗っていた。亡き老婆に変わり、勇香の身の回りの世話を担当することになった女だ。年齢は老婆の十歳下くらいの印象だが、ピンクブラウンのふわふわとしたボブヘアが特徴で、スーツは向う側らしく無駄なく着こなされている。
「あの、私……さっきまでアリスさんといたのに」
突然気を失った。そう解釈するのが、今の勇香にできる精一杯である。記憶は梨花が立ち去った後、アリスに計画の日程を伝えられたところで途切れている。いや、アリスと対面していた感覚もその前後きりだ。その後は、何故だか勇香自身がどこか別の場所にいたような……
「心配はありません。あなた様は一度、カズラノ村で《《死亡》》しております。そのため、今のあなた様は蘇生されたばかりの生者と死者の狭間。生き返った肉体に魂がかろうじてしがみついている状態なのです。しばらくは、このように突如として昏倒状態に陥ることがあられるでしょう。蘇生術が故の後遺症とお考え下さい」
イオリはさほど問題はないと言っなど口ぶりで説明を加える。しかし、とてもじゃないがその説明を現実的に納得することなんてできない。
「い、意味が分かりません。魂って、肉体にしがみつくって」
「深く考えすぎると、進級試験に響きますよ。今は試験のことだけお考え下さい」
創作上の設定のような現象を無理に納得する必要はないと言うのか、女は目先の試練に勇香の目を合わせた。
「は、はい。分かってます」
そう頷く勇香の耳に、昼休みを迎えた少女たちの声が聞こえてきた。内容までは聞き取れずとも、その声音は絶望に塗れたこの世界で、残り少ない青春を謳歌するように気さくで軽快で、楽し気なものだ。
この隔離生活が始まってから、勇香はもう三日もアリスを除く学園の他の生徒と会話を交わしていない。もともと友人は皆無と等しい勇香ではあったが、それでも学園に来てから誰とも会話を交わさない日なんてなかった。陽咲乃がいたのだから。
ふと前を見ると、そんな生徒たちに負けず落とらず、夏空に咲く向日葵のような微笑みを放ったイオリがいた。勇香の物憂げな顔を見て、寂寞に浸る勇香を和ませようとしたのだろう。ベットから上半身を起こしつつ、まじまじとイオリを見つめる勇香に、イオリはふと問いを投げた。
「考えるなといった手前で恐縮ですがあなた様。久方ぶりのアリスの実習はいかがでしたか?」
その問いに、勇香は取り繕ったような笑みを広げて応えた。
「た、楽しかったです……というと、先生の授業が楽しくないみたいに聞こえちゃいますね……」
「構いません。アリスを除く我らが担当する実習はすべて、あなた様を肉体、精神、尊厳、共々に痛めつけるような試練ばかり、そう心得ております」
イオリは深々と頭を下げる。カズラノ村での常軌を逸した行いは許せずとも、向う側にその自覚はあるようだ。一概に非難しずらくなってしまう。あれだけの演習を乗り越えてまで、住民を護りきれなかった自分に非があるのは大前提だが。
「しかし、それらは全て経験。いつしかあなた様の糧となり力となる。あの村での猛省を活かし、これから頑張っていきましょう」
味わった絶望も、救えなかった人たちも、全部自分への糧となる。老婆からも、はてはアリスからも、向う側に言われ続けた言葉だ。イオリはパチッと手を叩きながら勇香を鼓舞する。
「皮肉にも、成長には犠牲が付属する。あなた様が英雄となればこの世界は救われるのです。彼らは救済のために亡くなりました。尊い犠牲ですよ」
勇香の胸中を汲み取ったような女性がそう告げる。
そんなの……間違ってる……間違っているというのに……
「あなた様が英雄になりさえすれば、誰一人として命は助かります」
「……表日本での私は、こことは対極の生活をしていました。だから、私は……この世界がどんなに残酷かを認識していなかった。甘く見ていたんです」
「それも全ては過程。英雄になるための積み重ねです」
カズラノ村で犯した罪に、言い逃れできるような自分が生まれてしまう仕方なかったなんて許されないのに。向う側に洗脳されてしまいそうだ。
「そうそう。計画の日程については、もう耳に入りましたか?」
「一週間後ですよね」
「えぇ。来るその日。あなた様は、学園の子らにあなた様の才能を認められ、崇拝され、または畏怖され、最高の勇者──英雄の道に進むべき手筈が整う、いわば始まりの日なのです」
「……っ!?」
──知っちまったところでお前らから見れば問題なんてねェんだろ。アタシらにはどうせ逃げ場所なんてねぇんだからよォッ!!!
──それなら勇香ちゃんの才能は知ってるよね?アリスちゃんも熱いバトルしつかりと観戦してたよー
──どーせあの娘はもう、学園に居場所なんてないしね。
許されないなんて、洗脳されるなんて。勇香の感情など、物語の本筋に比べれば枝葉末節に過ぎない。すべてはシナリオ通り。勇香が英雄になるまでの過程。
できるできない。始めからそんな問題じゃなかった。
やらなきゃいけない。
(ようやくわかった。挫折も、絶望も、なにもかも、向う側の筋書き通り。私が強くなるために、仕組まれただけの経験だった)
梨花にも忠告され続けた。それでも、向う側は本気で勇香を強くするために全力を尽くしていると思い込んでしまった。
向う側は、勇香の内に眠るものにしか興味はない。英雄となった勇香にしか眼中にないのだ。そのためには、カズラノ村の一件すらも経験として無に帰そうとする。ただの道すがらだと完結させる。それが向う側のやり口だ。
それならもう、やるべきことは他にない。
(私はもう、英雄になるしか報われない)
「さ、行きましょうか」
それ以外……それ以外に……
(あぁ、もう私には)
──進むしか道はないんだ
「陽咲乃は、どうしてるかな……会いたいな……」