第80話 強くなる
「アリスちゃんが思ったよりへヴぃな内容だったねぇ……ふざけまくったこと後悔しそう……タックルかましてごめんね?」
腰を低くして謝罪したアリスに、勇香は顔を隠しきった前髪の奥から喉を掻き切ったような声で呟く。
「……何もかも私が未熟なだけです」
自分には才能があると信じ込み、強くなれる妄信した。向う側の言葉を鵜呑みにし、できもしない茶番で多くの人を死なせた。言い訳のしようがなく、それだけが、此処に立つ聖ヶ崎勇香が起こしたれっきとした事実。そして罪。
「勇香ちゃんには才能があるよ。それは間違いない」
きっぱりとアリスは言い切った。当然、勇香にはその聞き飽きた言葉に感情は高揚することなく、耳にかすりとも入らない。否定に足る根拠は今の話で十分すぎるくらい提示したはずだ。
「……っ」
「勇香ちゃんがカズラノ村の一件、その罪全てを背負うことはないよ。仕方なかったんだ」
向こう側がこぞって口にした「仕方ない」。村人の命を軽視してまで、自分を英雄に仕立て上げたいという、一種の気持ち悪さすら感じる向う側の歪んだ信念。血濡れの英雄なんているはずがないのに。
「アリスさんは腐っても向こう側なんですね」
「勇香ちゃんはもっと気を引き締めていれば、もっと演習を頑張っていれば、もっと何かをしていれば、村人を護ることはできたと思う?」
そんな熟考しきった質問を、今更投げかけてほしくはなかった。
「それは……そんなの……」
あのとき、別の手段を取れたかもしれない。もし逃げ場のない氷塔に村人を閉じ込めなければ。最初から村人たちを村から避難していたら。不可能だ。どう対策してようが、あの巨人を討伐する、巨人から逃走する道筋は浮かばない。技量もない。
「これが格の違い。仕方ないって自分を納得させないと、余計な後悔と思索を生むだけ。どんなに人を護ろうとヤケになっても、灯ってのは簡単に消えてしまうからね、この世界では」
「そ、そんなことない……せ、生徒会長だったら、そんなこと……」
「会長も同じだよ。或いは今現在、最前線で活躍してる勇者だって。格の外れた魔獣相手に敗北し、どれだけの命を救えず絶望したか。数えることは歩みを止めるだけ。この世界で《《強くなる》》を遂行するためには、《《犠牲》》を覚悟して挑み続けるしかないんだ。灯という犠牲をね」
慰めのつもりだろうか。あれほど信頼に足りていたアリスの助言も、今では向こう側の妄言と同一視するようになってしまった。間に受けて頷くことなんてできない。
「でも、大事なのは灯が消え、燃え滓となるその瞬間を君の肉眼ではっきりと見届けることだよ。目を背けているままでは勇者なんて務まらないからね」
「私に勇者を名乗る資格なんてありません」
勇者の役目は、魔獣という脅威からこの世界の人々を護ること。したがって、守護の対象である人々の死は、勇者の存在意義の死を意味する。ずっとそう自覚し、勇香は“強くなる”を追求してきた。したつもりだった。しかし、それは理想でしかないのか。
「勇香ちゃんは偉いね」
「え?」
ぽつりと吐かれたアリスの言葉に、勇香は目を丸める。
「普通そんな経験をしたら、今頃自分を見失って塞ぎこんで、二度と立ち上がれない子だっている。表日本出身の子なんて、そんな子がほとんどだよ。中にはトラウマに耐えきれなくなって身を投げ出す子だっているのに……。だけど勇香ちゃんは、それでもここにいる。アリスちゃんの前に立っている」
「違う……私、あれからずっと……ロウさんたちを夢に見て、それで……」
ずっとベットの上に引きこもり、なんのやる気も起きずただ寝てるだけだった昨夜。あの時のことを、まるでロウたちが呪いをかけるように、夢に出てきたりもした。目覚めてからも、やっていることは表日本にいた頃の惨めな自分のまま。今もそれは変わらない。向こう側に説得され連れてこられただけだ。自分の意思はないに等しい。
「……うぷっ」
今となっては、ロウを思い出すだけで臓物がひっくり返る感覚に陥る。喉の奥から胃酸が込み上げてくる。アリスの目の前だからと、我慢しようにも一足遅かった。
「勇香ちゃん……!」
四つん這いで芝生に向かい、吐瀉物を吐き散らす勇香。たちまちアリスが近寄ると、勇香を楽にさせるように背中を摩った。けれど安静になるにつれ、今度は枯れていた涙が溢れて出てくる。
「夢の中で……ごめんなさい……って、ずっと謝ってるんです……でも、ロウさんたちは許してくれるはずもなくて……それどころか、私の身体が、どんどん消えていく感じがして……私みたいな弱虫が、あの場にいるべきではなかったって……もっと私を、理解していればって……ひっ!?」
雨のように降り落ちてくる村人たち。地面と衝突した瞬間、爆弾が爆発したように身体が弾け、血液がびしゃっと辺りに散る。朦朧とする意識でも、その光景ははっきりと覚えていた。思い出した今この時にも、全身の体温が下降し、正気を失うくらいには。
バクバクと鼓動する心臓を抑えように、胸元をやや強引に掴む勇香。それでも鳴り響く心音に、あの時のロウたちの絶叫が重なった。罪はもう、限界を超えていた。
勇香はしどろもどろに立ち上がると、容態を気にしているのか、あわあわと口に指を添えたアリスに言い放つ。
「アリスさん」
これが通ってしまえばどんな制裁を受けるか知れない。運命を押し付けられたのだ。今更中途半端に引き返すなんてできるとも思えない。しかし、この世界の人々を、自らの惨めさで死んでしまうのなら。自分の罪を、これ以上積み重ねないために。
勇香は素足で人工芝に正座すると、これまた両手を翳すように人工芝に付け、無様に額を乗せた。
「お願いします。私をもう、戦わせないでください」
もし勇者が、犠牲なくして人を護れないのであれば、なにもかもが茶番で終わってしまう、勇香のような人間はどれだけの灯を消すのだろう。
「私は惨めだから、戦えば戦うほど人が死ぬ。護るなんて、成長なんて、できっこないです」
今となっては、二つの約束すら果たせるのか疑問になる。陽咲乃との約束も、英雄すらも夢のまた夢……
「でも、勇香ちゃんは此処に来たんだよね」
それでもアリスは、勇香に光を差し伸べてくる。証拠はすべて出し終えた、これから先、向う側は何を望むのだろうか。
「だから、今日は半ば強制的に」
アリスは勇香に付き添いながら立ち上がらせると、その小柄な顎に手を添える。
「それでも此処に来た。偉い、偉いよ。勇香ちゃんは強くなれる。魔法で誰かを救うことができる」
そう言うアリスは、直視できないほど眩しい。
「何でそう言い切れるんですか」
「言ったよね。最高の勇者になれると、アリスちゃんが保証するって」
「だから、なんで保証なんて……」
そう呟く勇香に、アリスは向き直りながら応えた。
「アリスちゃんが、勇香ちゃんを英雄にしたいからね」
いつにもないキリッとした表情のアリスは、根拠なんてまるでないのにいつにもなく説得力があった。
「アリスさん?」
「さーて!気を取り直してーペンタグラムぅ行ってみよー!!!」
唐突にいつものハイテンションさを取り戻したアリスは、勇香の前に堂々立ち、並木街道に目を向けた。そして、そこに一点に左腕をふわりと広げる。
「あ、アリスさん?」
「上級魔法に詠唱は必要ないって言ったけど、ここへきて詠唱必須の魔法が登場するよー!」
「ぅへ?」
「《来たれ、来たれ、五つ星よ。星を繋いで線とせよ。線を繋いで星を連ねよ。連ねた星をまた繋ぎ、遍く宇宙の描き手となれ。星は素なり。素は炎、水、風、雷、霊。以上の素が星を連ねる媒介とし、魔を滅する神たる子宮であらん。打ちひしがれ──》」
詠唱はとてもシンプルだった。
「《命じる》──五属性詠唱」
アリスは広げられた手は、並木街道の一角に向かっている。
「アリスさん、その方向は!?」
途端、アリスの掌に五芒星の紋様が浮かび上がったと思えば、その頂点に、紅、藍、黄、深緑、紫紺、それぞれの属性を模った色の小球が出現した。
アリスの周囲から轟音が響くと同時に、五芒星がアリスの身長を遥かに超す勢いで、巨大化。小球たちから極大威力の属性エネルギーが放出された。五つのエネルギーは並木街道に衝突すると、激しい噴煙を上げる。
「こんな感じで、属性エネルギーをそのまま放ってもいいし、いろんな魔法にアレンジして発動してもいいよ」
「アリスさん!!」
「なあに、いざという時のためにADFも張っておいたから平気平気」
アリスはパチンと指を鳴らす。そうすると噴煙が晴れ、そこにあった景色は、ボコボコと崩れた運動場の端とその先にある瓦礫一つない街道。
「じゃあ何故……」
「だってー《《見学者》》にも、アリスちゃんたちがどう思われてるかって聞かないとじゃん?」
そう言ってアリスが並木街道に視線を移す。勇香もそれに釣られて目をやると、魔法の命中地点の先にある木陰から、一人の少女が姿を現した。その少女は、勇香も顔なじみのレモンイエローの髪が特徴の少女で。
「藤堂……さん」
「ぷぷぅーわざわざ結界阻害の魔法具まで使っちゃってー。そんなに勇香ちゃんの特訓風景を見学したかったのかな?」
アリスはぷくくと嘲笑しながら梨花に近づいていく。梨花はというと、先の魔法を恐れてか大量の汗を流しながらアリスを見て驚愕していた。
「アリス、先輩……」
「うん?あれーキミ、どっかであった気ぃするけど覚えてない?」
アリスは梨花に顔を近づけ、その顔を観察する。
「ないかー、アリスちゃん興味ない生徒ちゃんは名前すら覚えてないも~ん」
「……っ」
アリスから平然とそう告げられ、梨花はぐっと手を握る。
「あ、アリスさん!」
アリスの挑発を止めようと寄ってきた勇香は、その手を引っ張る。対してアリスは、すぐ終わるから待って~と勇香の手を払い、梨花に向き直った。
「それで~?なーんでキミは見てたのかな~?もしかして勇香ちゃんのファン?」
「……」
「もー、ファンなら隠れてないで最初から言ってくれればいいのにーそれで、感想は?勇香ちゃんのとんでもない才能を目にした感想は?」
梨花はアリスの挑発にも下を向いたまま一向に口を開かない。そのことに目をパチクリさせていたアリス、だが。
「……酷いっすよ……アリス先輩……」
「ん?なんか言った?」
「なんで、そいつだけ上級魔法なんすか……アタシらは、中級もまともに教えてもらってないのに」
梨花はぶるぶると震えながら、ぼそりと呟く。だが、アリスにか聞こえなかったのか、掌を被せた耳元を梨花に近づける。
「なーに言ってんの?アリスちゃん全然聞こえなーい」
「なんで、そいつだけ優遇してるんすか……」
「ちょっとーアリスちゃんをおちょくってる気ぃ?ぷぷぅーキミ、まさかあの大根役者ちゃん?アリスちゃん思い出したよー。ちょーっとだけ印象に残ってた……」
「なんで嘘ついたんだよ!!!アタシに才能あるって!!!!!!」
アリスだろうとお構いなしに叫び散らす。梨花の目は確かにそこにいる敵を捉え、燃え滾っていた。