第77話 偶然
勇香がカズラノへ向かった日の翌朝。まだ生徒の姿もまばらな七時ごろに、陽咲乃は連絡棟の生徒会室のあるフロアで右往左往していた。
「あぁ……もぅ!!!」
この日も勇香宅はノックしようがチャイムを鳴らそうが応答せず。吹っ切れたと言えばいいのか、なんとかして勇香に会いたいと、あわよくば委員会の魔の手から奪還したいと一人模索していた。
とはいえ、陽咲乃一人であの委員会から勇香を奪還できるはずがない。下手すれば自分の身だって危ういのだ。なんとか協力者を募らねば。
というわけで生徒会室前にいるのだが、どうしてもこじつけの相談理由が思いつかず踏みとどまっているのだ。ただ“勇香に会いたい”だけで協力してくれるのだろうか。いや、生徒会の面子なら、勇香の内情を一番に知る彼女たちなら一番の理解者になってくれると信じ、陽咲乃は制服の内ポケットを取り出すと、力の入った指先でチャットアプリを起動する。その後、聖奈と麻里亜に手短にメッセージを送り、その場で数分待ち続ける。けれど、二人からの返事は一向に来ず。
(聖奈も麻里亜先輩もLINE応答しないし……なんでこんな時に!!)
電話もかけようかとしたが、会議中のことも考え断念した。
(しゃーなし、ここは生徒会室の前で出待ちして……)
時刻はまだ朝の七時すぎ。生徒会ならば隔日で朝の定例会議が行われているはずだ。
豪勢な木目調の扉の前。壁際にもたれかかり陽咲乃は待機する。スマホを弄りながらなので退屈は凌げたが、待てど待てども扉の先は音沙汰もなく。それよか、生徒会室の前の廊下には陽咲乃一人。足音すら聞こえず静寂が広がるばかり。たまに扉に耳をくっつけて盗聴してみるが、波音ひとつ立たぬほど静まり返っている。麻里亜あたりの声はしていいものだが。
(一人くらい、そろそろ誰かが出入りしてもいいと思うけど……)
結局待ち続けて三十分。陽咲乃は痺れを切らし、失礼を承知で扉をノックすることにした。数回ノックすると、中から顔を出したのは、水色の髪の小柄な少女だった。
(げっ……妃樺……!?)
妃樺、扉の先の陽咲乃を捉えるなり、冷然とした目で陽咲乃を見つめる。その小さな体躯に似合わぬ眼光に気圧されてしまうが、陽咲乃は咳払いして続けた。
「ご、ごめん。いきなりノックして……会議中、かな?」
すると妃樺は何かを話すことはなく、扉をさらっと開けた。察してくれとの合図だろう。中には他に誰もいなかった。どうやら妃樺一人のようだ。
「えっと、会長とか、聖奈とかはどこにいるか、分かる?」
「……裏東京へ出張中」
「え、なっ、なんで?」
「……重大な……任務、のため」
「いつまで!?」
「……二週間前後……」
「なんで妃樺だけが」
「私は……副会長……会長不在時の……生徒会室管理を……一任されている……此処にいるのは当然……」
つまり、今この学園にいる生徒会役員は妃樺一人ということだ。運が良いのか悪いのか。
(でも、役員が一人残ってくれただけでもありがたい。この際妃樺でいいや)
「ねぇ、ちょっと話があるんだけど……」
「……拒否」
「えぇ、なんで!?」
陽咲乃は理由を追求しようとするも、妃樺はバタンと扉を閉めてしまった。
「待って、大事な話だから……!!」
陽咲乃は扉をバシバシ叩くが、それっきり開くことはなかった。
「なんで、もう!こんな時に!!!」
妃樺は陽咲乃を嫌悪しているのは前からであるが、これほどまでに相手にされないとは思っていなかった。
陽咲乃は陰鬱になりながら、生徒会室に背を向けた。生徒会の手助けなしに、自分一人だけで委員会に立ち向かいことなんてできるはずがないだろう。陽咲乃はとぼとぼと廊下を歩き、エレベーターホールに着いた。その時、陽咲乃はおもむろにエレベーターの右手に掲示された各階案内を見やる。
(この下の階が委員会の事務室)
委員会に話を聞けるはずがない。行ったところで無駄足を踏むだけだろう。
(それでも……ちょっと、様子を見に行くだけでも)
陽咲乃はやってきたエレベーターに飛び乗り、下階のボタンを押した。
はっきり言って、敵の本陣に乗り込むのは自殺行為である。前例には女性教師もいる。生徒なら……という軽い気持ちで乗り込んではいけないのも委員会の組織像。それでも、陽咲乃はその階でエレベーターを降りた。漠然としていて、れっきとした理由もない。エレベーターの中で計画を立てる余力もなかった。話しかけるわけでも侵入するわけでもなく、ちょっと覗くだけだ。
その階は、陽咲乃も代表委員の仕事で数回訪れたくらい。それでも、階に降り立った時のピリピリとした雰囲気の変わりようは深く身に染みている。
(ただ前を通り過ぎるだけ……前を通り過ぎるだけ)
事務室の前の廊下は一直線に続いており、身を隠す場所はどこにもない。生徒らは滅多に訪れることもないため少々不自然だが、これが今の陽咲乃にできる精一杯。
道中、高貴なスーツを着た初老の女性たちと何度かすれ違う。その際、当然ながらただならぬ視線を感じ取った。だが、話しかけられないだけマシだろう。陽咲乃は不信がられないよう、ただ前を向いて突き進んだ。しばらくして、事務室であろう鋼鉄の扉が見えてきた。白を基調した廊下の内装にはひたすらに目立つ。
(前を通り過ぎるだけ……)
陽咲乃はちらりと覗きながら、ゆっくりとした速度で扉の前を抜ける。だが、特段誰かが出入りする様子はなく。何なりと通り過ぎてしまった。陽咲乃は数メートル歩いて再び引き返すが、扉は開くことはなく。防犯カメラに不審者を晒すだけで終わってしまった。
(そう簡単には行かないか……)
陽咲乃は渋々とエレベーターホールに戻った。気づけば時刻は八時頃。いつもなら、勇香や聖奈たちと登校してきた時間だ。それに加え、今日は代表委員の仕事もあった。その仕事も、意味のない訪問でサボってしまった。
ピーンとエレベーターの到着を告げる鐘が鳴る。扉が開くと、陽咲乃は安全圏へと逃げるようにエレベーターに乗った。
(アタシったらだめだめだぁ)
つくづく自分の不甲斐なさには頭がくる。こんなことで生徒会に──
ボタンを押そうとすると、廊下からカツカツと足音が聞こえてくる。誰かが閉まるエレベーターに急いでいるようだ。
(うわ、委員会の奴らだったら気まずいな)
来る前に閉めてやりたいが、それほどができるほど冷徹な人間ではない。
(昔だったら……)
足音が次第に大きくなると、その者が姿を表した。気まずいからと、陽咲乃はエレベーターの隅で縮こまるようにスマホを触りつつ、目線を上げてその人物を一瞥し……
「あ、アンタは……!!!」
「お前……!!!」
その者は、スーツを着た恰幅の良い老婆でも、スレンダーな初老の女性でもなかった。大きめの段ボールを抱えたところどころが跳ねた黒髪の少女。少女が翻った時には、エレベーターの扉は閉め切っていた。