72-2話 営み(2)
「ぐふっ!!!」
農夫の言葉と同調するように発した胸の疼き。それを抑えるように胸に手を当てながら、勇香はテーブルに額を付いた。
「だ、大丈夫か!?」
「どうしたんじゃ?胸痛か!?治療院ならすぐそこじゃぞ!?」
「いや、アンタらみたいに老人じゃないんだから」
「ほら、ロウも食べなさい」
冷静にツッコみを入れつつ、勇香を背中に抱えようとした農夫をロウが制止する。ついでにテーブルに置かれた焼き魚を一口摘まんでいると、ふと一連の光景を悠々と眺めていたもう一人の農夫が、席の後方にどっしりと置かれた風呂敷の封を解き始めた。
「……?」
中にあったのは大量の野菜。農夫はそれらを両腕で持てるくらいには取り出すと、流れるように勇香に差し出した。
「ちょうどいい。ワシも、ウチの畑で採れた野菜だよ。持ってきな」
「へぁ!?」
唐突過ぎたために、勇香は農夫と手にある野菜の量を一瞥して喉の奥から出したこともない声を上げる。
「ちちちちょうどいい、で渡す量じゃないででです!!!」
「そうかい?」
「こんなに悪いです!!!」
「縁だよ縁。君の故郷の家族にも分けてあげなさい」
「い、いや縁とかじゃなくて……」
またもや縁を理由にし、勇香が断ろうともぐいぐいと野菜を差し出してくる農夫。
そんなこんなで勇香と農夫の押し問答が続き一分弱、断ることに罪悪感が芽生えた勇香は大人しく受け取ろうとした時、救世主が現れる。
「そんな量一人じゃ持ちきれないでしょう。余計なお世話なんだからやめときなさい」
「むっ、た、確かにな」
救世主たる店の女将は、農夫に釘を刺しながら料理を運んできた。
「はぁ……(よかった)」
「ほら、ハラワタの素焼きだよ!」
女将が運んできたのは、先程渡した虹色の大魚。ただの素焼きだが、臭みもなければ塩加減が絶妙で、匂いを嗅ぐだけで涎が出そうになる。
(こ、この魚ハラワタっていうんだぁ……)
「さて、何頼むんだい?」
「あ、えっと、その……」
「ロウくんはいつもの?」
「うん」
女将の問いかけに、ロウはコクっと頷く。
「そっちのお嬢さんは?」
「わ、私は水で……」
「えっ、水でいいの?」
「いやだって……お金、持ってないし……」
そうは言うものの、目の前の大魚をどうするかと考えあぐねていると。
「あらっそういうこと?ふふっお金なんていらないいらない!たんまりと食べて頂戴」
「そそそそういうわけにはいきませんよ!?」
「ほら、そこの爺さんも言ってたでしょ?縁よ縁」
「いや、その言葉一つで片づけちゃっていいんですか?」
「旅人さんはとことん歓迎するってのがウチの店の方針なんだ。何しろ新鮮だからね。村の外の人が来るのは」
そう言ってガハハハッと大笑いする女将。
「で、ですが……」
「この村に昔から伝わる言い伝え。縁を一つ作れば獣神様がお喜びになり、二つ作れば村にお恵みを齎される。十作れば村は百年安泰が続くってね!だから気にしないで、なんでも頼みなさい」
女将は微笑みながら勇香に言う。これも秘境の村ならではのおもてなしということだろう。勇香は潔くそれに屈するように、メニュー看板を見た。
「じ、じゃあお団子で」
「はいよ、待ってな」
勇香が小声で注文を告げると、女将は調理場へと舞い戻っていく。
「いいの団子で?」
「は、はい。お魚もあるし、普通に少食だし、あと悪いし」
勇香は大皿に盛りつけられた大魚の白身を、利き手でもない左手で不器用に箸を駆使し、口に入れる。
「う、うまっ……ロウさん、美味しいですよこれ!」
「し、知ってるよその味くらい」
数分後、女将は勇香とロウが頼んだ料理を持ってくる。勇香の前に置かれたのは独特の形をした蓬色の団子。一方、ロウは巨大な両生類を素焼きにしたものだった。
「そ、それって食べていいものなんですか?でもここは裏日本だし……いいのかな」
「食べる?美味しいよ」
ロウは素焼きをバクバクと口に入れながら勇香に勧めてくる。
「わわわ私結構お腹いっぱいになったから大丈夫かな……」
「なんだ残念。美味しいのに」
(ん、団子も食べたこともない味だけど美味しい……)
*
太陽も地平線に沈み始めた夕刻。村の入り口という大きな煉瓦の門の前にたどり着いた勇香は、そこで気さくな衛兵に弄られているロウに話しかけた。
「あの、なんでカズラノには長年魔獣が現れなかったんですか?」
「ほ、他の村は年中魔獣が襲ってくるの?」
学園から出たことはこれが初。裏日本の事情を碌に知らない勇香には、その質問は答えようがなかった。
「わ、分かんない、です、けど……カズラノ村は先生が勇者には未開の地って言ってたし、そうだと思い、ます」
「おれも分かんない。でも多分、あの川が護ってくれてるんじゃないかな」
そう呟きつつ、門の前を流れる大河川を眺めるロウ。
「大水神様がワシらを見守ってくれる限り、この村は安泰よ」
「逆側にはどでかい大山神様もいるもんだし、極めつけは獣神様もお守りなさってる。まさに自然の大盾だべ」
門の近くに座り休息をとっていた中年の衛兵たちは、哄笑しながら勇香にそんなことを告げる。
「こ、この村の奴らは人間の手に負えないものを神様扱いするんだ」
「風習があるんですね」
そうなると、カズラノ村は地形的に魔獣が寄って来れない特殊な立地にあるのだろうか。だから勇者が村を護る必要はなく、必然的にこの村を認知する機会がなかったというわけだ。
「で、でも……十時間前から発令されている魔獣警報が、カズラノ村を進路にしてるって断定してるんだし、勇者が村を発見できなかったのは別の理由があるんですかね」
「難しいことはおれにも分かんない」
「へへっ、この世界はたくさんの脅威に晒されてるのに、この村だけが平和に満ち溢れてますね。なんだかここだけ世界が切り取られたみたい」
「平和に生きてたから、おれも父ちゃんも考えられなかったんだ。外の世界があんなに怖かったなんて」
ロウの言葉の先がだんだんと潰れてくる。
「ご、ごめん……ユーカと村を巡って、少しでも父ちゃんの事忘れようと思ってた……でも、無理だ……」
案内中にずっと平穏を装っていたのにも、勇香を心配させまいと気を張っていたのだろう。それでも、忘れきれないのが人間の性である。
「か、家族を忘れろなんて言われても、そんなの無理だと思いますよ。積み重ねた記憶の量が大きすぎますから」
「おれ、兄ちゃんと母ちゃんまで失ったら……」
言葉を綴るたびに、涙がぽろぽろと落ちる。その様は、十つを迎えたばかりの子供同然の姿。早すぎたのだ。年端も行かない少年が、大切な人をなくすのは。
勇香はロウを直視できずに、ベンチで酒瓶を片手に談笑している衛兵に目を寄せた。もし見続けていれば、こちらも涙が流すのは必至だからだ。
とはいえ談笑に浸る衛兵を見ていると、これから村人たちに起こりうる災厄を予感できてしまう。彼らはロウの父の一件を知らない。裏日本の脅威なんて知る由もない。この先、魔獣が彼らを襲った時。もしこの先、彼らが魔獣蔓延る森の中に迷い込んだ時。
必然的なのか。思いもしなかったたった一つの可能性が、勇香の脳裏を障った。
もしも、もしもだ。
妹も裏日本に渡り、ロウの父と同じ境遇になったとすれば──
「……っ!!」
途端に身の毛がよだつ。背筋が冷え込む感覚に、勇香は身体を震わす。
いやだ。そんなことあるはずない。肝試しで学園を抜け出した少女らの一人が妹であるはずがない。この世界へ来た妹はきっと、勇者として活躍を遂げているに違いない。勇香は首を振って考えを否定する。
そんな時、
「休憩か?お疲れさん」
「あぁ……ん、ロウじゃないか?」
「兄ちゃん!」
門の外を守護していた赤髪の青年がロウに近寄ってくる。歳はかなり離れているみたいだが、その容姿はどことなくロウと似ている。
「ロウ、父さんと出かけたんじゃなかったのか」
「えっ、それは……」
「彼女は?」
青年の目線がこちらに向き、凍っていた背筋がピンと張ってしまう勇香。
自己紹介すべきなのだが、どうすべきかを悩んでしまい、
「えっ、えっと……ゆ、勇者です!!」
(誰!?お兄さん?ロウさんのお兄さん!?おおおお父さんのことなんて言えば……ひひひひとまず素直に伝えるとか!?いやでもそんな……)
ありのままを伝えた勇香だが、今度はロウの父親の伝え方に戸惑い、ロウたちを差し置いて熟考に耽る。
「勇者?何故カズラノに勇者が……」
「どうした?」
「そんな急いで、なんかあったか?」
と、ベンチに居た二人の衛兵の元に、村の方から一人の衛兵が駆け足でやってくる。
「いやな。村長が村人全員を広場に集めろってさ」
「なんだ?集会でもすんか?」
なにやら衛兵たちの様子がよそよそしい。見るとそこかしこにいた住民たちがみんな村の中央に向かっているようだ。
「もしかして、先生が魔獣襲来を村の人たちに伝えるのかも、です」
「そっか。村の平和も、今日で終わっちまうんだな」
ロウは哀愁深い言葉に、勇香は自らの左手をぎゅっと握って決意した。
(私たちがまた、平和を取り返さないと……)
これ以上、ロウを悲しませるわけにはいかない。そのためには、残されたロウの親族は然り、ロウと共にこの地を生きる村人もただ一人として血の雨を降らせてはならないのだ。
ひたすらに縁を求め続ける村人たちが、また平穏に縁を探し求めることができるよう、勇者として尽力しなければならない。
でも、利き手を失った自分に、これから先何ができるだろうか。他の勇者たちの足枷になり、あわよくばそのたった一人の村人を巻き添いにさせてしまうかもしれない。葛藤が勇香を支配する。
「お前たちも、行ったらどうだ?」
衛兵の話を聞いていた青年も勇香とロウに促す。
「い、行きましょうか」
「あ、あぁ」
とりあえず今は広場へ行くことが優先だと、勇香はロウとともに村人たちの奔流に乗った。