第68話 絶望
あけましておめでとうございます!
「我らが秘密裏に入手した情報によると、学園近くの小村で魔獣警報が発令されたようなのです」
(秘密裏……なんか怖っ)
魔獣戦を終えた午後。老婆を先頭に勇香が歩いているのは、どこまでも続く深い森の中のあぜ道。
学園を出るとすぐに照葉樹生い茂る薄暗い森に入ってしまったため、ここがどこなのかもさっぱりだ。
上を向いても林間から太陽光がわずかに降り注ぐ程度。もう黙って老婆に付いていくしかない。
だが、老婆は時折地図を開く所作もなければずっと進行方向に目をやっている。本当にカズラノへの道を熟知しているのだろうか、だんだんと不安が募ってくる。
そんな勇香の気を察してか、老婆は閉ざしたままだった口を開いた。
「ま、魔獣警報って?」
しかしながら聞き慣れない言葉が出てきたので、勇香は首を傾げたまま問いかけた。
「魔獣の動力源は魔力、ということはお分かりですね?魔獣は魔王軍のみが持つ特有の属性、“魔属性”の魔力が動力源となった生物兵器です。そのため、人間の住処に膨大な魔属性の反応の接近が確認された時、無属性魔法の“魔力探知”によって、その襲撃をある程度前から予測することが可能なのです」
竜級魔獣のようなを例外を除き、魔獣は基本的に“群れ”を形成して人間の集落を襲撃する。なので裏日本のほぼ全域に張り巡らされている魔獣警報の情報網はかなり精度で群れの進路を特定し、何十時間も前に進路上の集落へ避難命令と勇者の出動、または派遣を行うことができる。
「……そ……そうなんです、か……」
「確定ではないと言葉を濁しておきますが」
「ふっぐ……」
今の会話でこれから行われるであろう演習が大体想像できた。
人の住まう街中であれば、朝方に老婆が言っていた魔獣討伐というのは、村の防衛に簡潔する。つまり、そこには人の命がかかっているのだ。
となれば、まだまだひよっこ勇者の勇香は現役の勇者と共に活動することは必然。
つまるところ、現役の勇者から得るものは大いにあるはず。集団戦……ゲームで言うところのマルチプレイは勇香にとって未知の領域だが、ここで協調性を学んでおかなければ先には進めない。
「そして、その魔力量は魔獣の脅威度によって異なります。最下級の獣級は我らの平均的な魔力量の三分の一程、竜級魔獣はあなた様クラスではないにしろ、人間の数千倍の魔力を体内に有していると言われています」
「ふっ……はぅ……」
「ちなみに、今回のカズラノに迫っているのは魔力反応から……獣級と推定できますね」
「ふぅ……ぐっはっ……」
老婆の説明を熱心に聞いていた勇香だが、徐々に息遣いが荒くなり、先頭を行く老婆との歩調を合わせられずにちょっとずつ距離が離れていく。
「一旦、休憩いたしますか?」
それを見た老婆は足を止め、勇香の傍に寄るなり近くの倒木に座らせた。
「すみません。まだ、学園を出て十分くらいしか経ってないのに……」
「構いませんわ。体力の増強がこれからの課題として明確になりましたね!」
「ぅぐ……」
溌剌と言う老婆に、勇香は若干引け目になってしまう。
「命じる──異空武具廠《開錠》」
と、老婆は魔法で空中に別空間との門を開き、そこからティーポットとマグカップを取り出す。そして、ティーポットから焦げ茶色の液体をカップに注いで勇香に渡した。
「閉場。さあこれを」
「あ、ありがとうございます」
色を見る限り、液体は麦茶であろう。それよりも、勇香は老婆がティーポットとマグカップを取り出した魔法に興味を寄せた。
「い、今のは……」
「今のは異空武具廠。魔法で作り出した第三の異空間に武器や魔法具を収納し、必要に応じて取り出せるという見えないバックのような魔法です。あなた様もその便利さ故、次期に習得なさるでしょう」
「だから先生は学園を出た時から手ぶらだったんですね」
老婆は水色のスーツをビシッと着こなしているものの、持ち物という持ち物は腰に携帯されている魔杖のみ。
今の時代は持ち物すら異世界に保管取り出し可能なのかと胸を躍らせる勇香だが、
「申し訳ありません。カズラノはまだ我らにとっては未開の土地で、馬車道が整備されていないのです。転送魔法師を呼びつけることも考えましたが、いろいろな理由でこのような形となってしまいました」
学園近くなのに未開の地とは変な話ではあるが、そこには何らかの理由があるのだろう。
それはともかく、勇香はマグカップの麦茶を一気に飲み込むと、一息ついてバサッと立ち上がった。
「大丈夫ですか?まだ息が上がっているようですが」
「も、もう平気です。早くしないと魔獣がやってきちゃいますよね」
そう言う勇香は、まだ途切れ途切れに激しい息を吐いている。
魔獣の襲撃は何時間後かは知らないが、村人の生死がかかっている状態で道中でへこたれていては、現地で勇香を待つ勇者には到底顔向けなんてできない。
「少しずつ、勇者の風格が出てきましたね。成長が楽しみです」
「あ、ありがとうございます!」
「魔獣の襲撃は今から十時間後の深夜と推定されています。順調に行けば、四時間ほどで到着しますわ」
「はい……へぇ……へ?」
(よよよよよよよじよじよじ四時間!?!?!?!?)
「順調に行けば、ですが」
後味の悪い言葉を残した老婆。ただ、その理由は簡単に勘づく。
「魔獣、ですか……?」
「当然ですが、学園周辺は魔獣の巣窟。この森にも凶悪な種が犇めきあっております。かつて、入学したての生徒三名が“肝試し”と称して学園を抜け出し、数分後……確か七分後くらいにたまたま巡回だった勇者が肉という肉を食い荒らされた人骨を発見したと報告がありましたね。この世界とは、悔しくもそういう摂理なのです」
弱肉強食。それがこの世界の秩序であり構造である。
思えば、学園での勇香の日々はこの魑魅魍魎とした世界に比べれば平穏無事もいい所。学園を出る際、出入り口のような大きな門に差しかかると、学園を守護する大勢の勇者が荒野に蔓延る魔獣に向け研ぎ澄まされた瞳を光らせていた。
勇香が学園で平穏な生活を送れているのも、彼女らの命がけの警護のおかげなのだ。そして、そんな世界に一人放り込まれてしまった女性教師は……
「……っ」
「どうしました?」
女性教師の身を案じ、シュンとやさぐれた顔になってしまう勇香。しかし、勇香はそれを考える時は今ではないと払拭するように大きく返す。
「な、なんでもないです!」
「また、少しずつ足が遅くなっていますね。休憩を要する場合はまたお声がけください」
「平気です!村に着けばどうせ休めますし……四時間ですけど……今は一早く村に向かう事を優先しましょう!」
「そうですね。では私も、早急に野暮用を片付けておきましょうか」
「へ?」
刹那──老婆の目がキッと引き締まる。その視線は、あぜ道の奥の茂みに向いている。
それからすぐの出来事だった。ガサガサと茂みが揺れ動いたかと思えば、形も判別できないほどの速度で黒塊が飛び出してきた。
「ひぎっ!?」
やがて、魔獣はその巨躯を天空へ踊らす。大空で湾曲を描いた魔獣は、次には標的を勇香へと移した。
木漏れ日に照らされ、魔獣の全体像が明らかになる。それはまさしく、二対の頭部を持った黒毛の魔獣。
「双顎蛇狼!?」
「《命じる》──ファイアアロー!!!」
固まってしまった勇香の顔すれすれに、老婆の魔杖から発射された弓矢がすり抜けた。
弓矢といえどその身は火炎。蛇狼に着弾すると延焼し、空中の魔獣を容赦なく焼き焦がす。地面に着地する前に、蛇狼は黒焦げとなりあっけなく勇香の傍に落ちた。
「い、一撃で……」
「中級魔法ファイアアロー。一条の矢と変化させた炎が対象に着弾すると、そこから炎が身体中を覆い、皮膚を焼き焦がし、やがては内部までを灰燼に帰し、あっという間にこのような焼死体を作ってしまうという魔法です。あ、黒豹には効かないのでご注意を」
と、老婆は今度は魔杖を森の茂みの中に向けると、目を瞑って詠唱を始めた。
「顕れよ──《地より噴する炎の柱》」
瞬間、老婆の魔杖に、深紅の光輪が纏う。
「命じる───フレイム・ピラー!!!!!」
アリスに教わった詠唱魔法。
森の奥から、大噴火を思わせる炎柱が噴出。魔法は噴出地点から遠く離れた此方までの樹木を根こそぎ灰と化すと、おびただしい熱気が肌を伝う。
初夏だとはいえ、冷暖だった照葉樹の森の中の空気が、魔法ひとつで灼熱の火山地帯になる。
破壊的な魔法だが、魔法を撃ったのはその地点に魔獣がいたからだろうか。
「えっと」
「お気を付けください。双顎蛇狼は群れを成す魔獣。しかもその群れは厄介なことに複数の《《小隊》》に分かれている、そう教本には載っておりましたね。まだ周辺に潜んでいる可能性を視野に入れておきましょう」
「えっ……は、はい!」
「生憎、今は群れを一掃する時間はない故に、“襲われない”ための処置を行いましたの」
要は魔法である程度此方の戦力を示し、蛇狼の群れに本能的な危険信号を発現させたのだろう。魔獣を寄せ付けないための一種の“虫よけ”のようなものだ。
(ち、近づいてきてるって気付けなかったけど……次は私も……)
「では、行きましょうか」
前に立つ老婆の目くばせに静かに頷く勇香。
魔獣の襲撃を受けたことで、勇香と老婆は一言も発せずに耳音に集中する。
森の中の鳥の囀り、風に揺れる草木。時折動物が通ったのか揺れる草むらに、勇香はびくりと肩を竦める。
「魔獣演習でモデルにした魔獣のほとんどは、この学園周辺を生息域としているのです。生息と言っても奴らは兵器、昼夜問わず活動しております」
魔獣の動向に目を光らせつつも、勇香に淡々と説明を加える老婆。けれども勇香はその説明も耳に受け付けない程、真剣に辺りをきょろきょろしていた。
(だ、ダメだ……怯えちゃダメだ……今日までの地獄を忘れるな……なんのためにあの人形は、本物と見間違うほど精巧な風貌と挙動をしてたんだ)
脳裏に浮かぶ人形との死闘。勇香は目を瞑り、静かに自らに言いつける。
(本番で尻込みしないためだろ!)
森の澄んだ空気を深く吸い込み、勇香は遅れていた足を速める。
これから行われる実践。現役の勇者に少しは勇者の才を認められるように。ここで委縮してはいけないのだ。
歩き始めて一時間を刻んだ頃。魔獣の襲撃を阻止するために老婆は定期的に威力の段階を上げて魔法を放っていたが、本能も慣れてしまえば効果が薄れるのだろうか。
「か、囲まれちゃいましたね」
「ふふっ、最近の魔獣は危機察知能力が欠如しているのでしょうか」
勇香と老婆の行く手を阻むように、十を超える飢えた蛇狼が牙を剥いている。
「わ、私も加勢しますか?」
「あなた様はまだお力を温存くださいませ。此処は私が」
「温存って……」
その時、村の中の一体が地を蹴ると、それを皮切りに蛇狼たちが我先にと突進を開始する。互いの頭部の知能をぶつけ合う蛇狼は、群れであろうと仲間を押し切ってでも獲物を襲う。
その瞬間、老婆の手にした魔杖が紅く光る。
「命じる──クラウドバースト・イグニアス!!!」
炎の中級魔法。その中でも法則と言う呪縛を解き放った魔法群を反立魔法と呼ぶ。
老婆の号令とともに空が紅蓮に染まると、そこからゴオオと轟音が周囲一帯を轟かせる。
巻き起こった風圧により、辺りの木々が激しく揺れる。生物は危険信号に身震いし、一帯から逃げ出す。
双顎蛇狼と言えば、暴走を止められもせず突っ込んだまま。
「あなた様、私の傍へ」
「は、はい!」
老婆の指示に、勇香は疑問を抱きながらも老婆に付く。
次の瞬間、天空から双顎蛇狼に向け振ってきたのは──隕石を彷彿させる巨大火球。
(焔驟雨!?)
火球は一撃のみではない。紅蓮に染まった空から何発もの火球が森を焼き焦がし、次々と焦土としていく。
(そんな魔法あったんだ。私ももっと頑張らないと)
剣幕な表情で魔法を放ち続ける老婆。その顔は険しく、魔杖を持つ手はガタガタと震えている。
そして、
「ぶガッ!!!!!」
途端、老婆は口から大量の鮮血を噴き出した。
「だ、大丈夫ですか!?」
「なんのこれしき!!」
血に濡れる唇を空いた手で拭いながらも、老婆は魔法の手を緩めない。
「で、でも……」
「この身老いぼれにつき朽ち果て寸前……ですが死してなお戦地を彷徨う戦士の亡霊の如く、未だ勇者の血は騒いでいましてよおぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
老婆は発狂レベルの狂声で自らを鼓舞し、火球のをさらに上げる。
魔法を放ち始めてから数分。すっかりと老婆と勇香の周囲から緑は消え失せ、そこは火球の残骸やクレーターだけの荒野となっていた
「これで一先ずは」
「あの、どうしてこうなるまで……」
「本能を再び発現するという意味合いもありましたが、一団を消滅させただけでは危険を振り払ったとはいえませんので」
「そ、そうですね!」
煙立つ荒野には、双顎蛇狼と思われる黒焦げの焼死体がゴロゴロと転がっている。
「近くにまだ別働隊が潜んでいる可能性があります。気を付けて参りましょう」
「は、はい」
「なんだ、何が起こったんだ!?」
その叫びは、焦土の先の森から聞こえてきた。
「っ!?」
「人間!?」
低い男の声。森の中で姿は見えないが、銀色に光る鋭利な刃物を此方に向けていることは分かる。
「誰か、そこにいるのかい?」
勇香は怪訝な面持ちで老婆に呟く。老婆は応えない。
「それとも、神獣様か?」
「──っ!!!」
ブオンッ!!!!!!
一瞬にして、老婆の姿が消えた。違う、移動したのだ。ものの数舜で声のした森の中へと。びゅわんと空気の鳴動で勇香の髪が揺れる。
「せ、せんせ……」
「父ちゃん……父ちゃん!!!!!!!!」
次にした声は、幼い少年のような声音だった。
「父ちゃ……ひゃ!」
呆然と聞こえてきた頃場を繰り返す勇香。
と、蜂に刺されたかのような感触で、プスッと何かが背中に突き刺さった。
「痛ったッ!」
うぐっと涙目になってしまうが、勇香は衝動的に背後を振り返る。
「うぅ……なんか、背中に刺さっ……」
「……た」
目に入ったその光景。
「──っ」
血の滴った毒蛇の尻尾を納めた、双顎蛇狼。そして、背中にぽっかりと空いた穴と、禍々しき紫紺に変色した自らの皮膚。
『ガァァッ!!!』