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ゼロから始まる勇者学  作者: ホメオスタシス
入学編
73/125

第67話 順応

 朝起きたら、勇香の目にはなにも映っていなかった。


「はっ……私……」


 映っていないは語弊がある。次第に眼が慣れると、そこにはごつごつした岩の空間が広がっていた。覚醒したばかりの勇香にも直感で分かる、洞窟である。背中越しの感触がどうも冷たいので、自分は洞窟の地面に横たわっているようだ。


「ここ、どこ……?」


 しかし、何故洞窟にいるのかは皆目見当もつかない。昨夜の記憶は自室のベットで寝落ちしたところで途切れている。そもそもだが、学園から一度も出たこともないのに、迷った果てにこのような場所に辿り着くなどありえないだろう。この洞窟が学園施設でないとも言い難いが。


 簡素なTシャツとショートパンツ姿の勇香。寝相は大して悪くないと自負していたが、まさか夜中徘徊するまでに至ってしまったかと……まぁ、そんなことあるはずもないので一先ず腰を上げると、ずっと固い地面に横たわっていたからか、背中がズキズキと痛んだ。そのせいか完全に目が覚めたので、勇香はまずこの状況を整理しようと動いた。

 勇香がいたのは、どうやら広く暗い空間の中にぽっかりと空いた小穴のようだった。生物の足音も、果ては水の音もしない、不気味さはひしひしと感じられる。

 とりあえず、状況を把握することが先だ。勇香は魔法で照明を生成させることにした。


命じる(コマンドセット)──導光(リーディング・ライト)


 松明代わりの一般的な初級魔法。ぼわっと炎の塊が出現し、辺りを仄かに照らす。

 これで、穴の外を覗いてみよう。そんな時だった。

  

「え……?」


 勇香の前に、()()()ヌルっと顔を出した。






「おやおや」


 演習場をはるかに凌ぐ巨大空洞。その空間の巨躯なる主は、獲物を捕らえるなりぐっすりと深い眠りについてしまった。

 主は獲物が生きた状態での捕食を悦とする。しかし、身の丈に釣り合わないくらいの小さな獲物は、棘のように生え揃った牙で一噛みするなり動かなくなったので、獲物が再び動き出すまでこうやって待っているのだ。

 もちろん、獲物は自力で傷を治癒する術など持ってなどいない。倒れた獲物の背後には今までに捕えた多数の獲物の死体が山のように詰まれている。


「まだ息はありますね」


 その空間に颯爽と現れた老婆は、眼前で大量の血を流し倒れている獲物──勇香の口に自らの耳を添える。微細だが息はある。心臓の鼓動も止んではいないようだ。なんという奇跡だろう。


命じる(コマンドセット)──癒光(ヒーリングライト)


 老婆は勇香に向けて手を伸ばす。そこから淡い光が発せられると、勇香の傷がじわじわと塞がっていく。

 

「お目覚めください。あなた様はこんな場所で消えてよいお方ではございません」


 主が目を覚まさぬよう息継ぎは慎重に。しかし、勇香を治療するために老婆は研ぎ澄まされた集中力を発揮する。余談だが、委員会に所属する者たちは治癒を専門とする職業でなくとも、現役時代にそれらを一時期だけ齧った者がほとんど。それもこれも、次代の英雄をサポートするために相応しい人物を、と委員長の女が厳正なる人選を行ったためだ。 


 治癒の対価として、魔力が砂時計のように失われていく。手も震え、老婆の額からは汗が浮き出る。

 それでも老婆は手を止めることはなかった。未来の英雄を、この世界の人類の希望を、そこにあるだけのちんけな脅威に絶やされないために。


 老婆の懸命な処置のこと数分、勇香はすっと目を覚ました。


「わ、私……」


 起き上がろうとするが、激痛に絶叫しかけたところを老婆に口を押えられる。



「ぅが……っ!!」

「まだそのままでお待ちください。ヤツの牙が内臓を貫通し、中がぐちゃぐちゃになっておりますので!!今は魔法で掘っ立てレベルの臓物を生成し、瀬戸際で命を繋ぎ留めている状態にあります」


「ぐちゃっ……!?」


 衝撃の発言に勇香の顔は真っ青になる。だが、老婆の言われるがままに、勇香は現実から目を背けるように力強く目を瞑る。老婆は切羽詰まった表情で勇香に魔法を放ち続けた。

 目を覚ましたとはいえ、勇香の容態は瀕死の重傷。魔術師でも使用を許された治癒魔法、そして治癒魔術師が開発した人体組織を再現する魔法では、この傷を癒すのにどれだけの魔力が必要であろう。

 勇香と比べれば、老婆の魔力は著しく乏しい。草資は案外余裕ぶっていたが、老婆は魔力が削られる様子が額の汗に顕著に現れている。それでも治癒魔法を行使するのは、勇香を救うためならば魔力の大量消費も厭わないという老婆の信念だろう。


「治癒は完了しました。これでもう動けますよ」

「あ、ありがとうございます……あれ、あの人は……」


 勇香は自分の腹を手で摩るが、そこに痛みはない。

 立ち上がると、ニコニコする老婆に頭を下げる。


「あの、ここは?」

「朝練にと思いまして、奇襲に対するゲリラ訓練をお一つ」

「奇襲?」

「魔獣はいつどこからあなたを襲ってくるか分かりません。野中で露営している最中、一人就寝後に魔獣が襲ってくることもありましょう……ですから僭越ながら、あなたがご就寝したのを確認したのち、()()()()()()()()()()()()()()()()()


 老婆は平然とそう口にする。


「そ、そうですか」

「心配することはございません。深手を負ってしまうのも今はやむを得ないことです。経験を積めば必ず、実りますわ」

「は、はい……頑張ります」

「お疲れでしょう。ご朝食にいたしますか?」

「……はい」

 


 今日の朝食は、クロワッサン二つ、コーンスープ、生ハムのサラダにハムエッグ、デザートにはイチジクのジャムがたっぷりかけられたヨーグルト。それらが、いかにも高級そうな食器に盛り付けられている。

 数日前までも、一週間に数回は麻里亜の絶品朝食にありつけたものだが、目の前にある食事は言っては何だが格が違う。麻里亜をちょっと手の込んだ家庭料理とするならば、こちらはホテルで出されるような格式高い高級朝食。それを毎日食べられるというのでこれほど贅沢なことはない。


 極めつけは、勇香が食事を摂るこの場所。連絡棟、委員会が丸ごと一層を占める階の一室。元は会議室だったらしく、その広さは勇香一人だけの部屋にはもったいないくらいに大きい。天蓋付きのダブルベットに、ロイヤルという言葉がこれほどまで似合うものはない家具一式。勇香を迎えるために急遽揃えられた突貫工事の客室ではあるが、そこはまるで王宮の寝室だ。

 さらに、奥には壁一面に大窓があり、そこから裏日本の雄大な山岳をいつでも仰ぎ見れる。気分はまるで極楽にいるよう。


「特別棟での生活はどうですか?」


 向う側による「隔離教育」が始まってから、四日を経た朝。当然ながらこの部屋に慣れず、緊張の解けないままちょぼちょぼとコーンスープを啜っている勇香に、専属教師の老婆が明朗な声で尋ねた。


「良くも……悪くも……」


 勇香は気力の薄い声で言葉を返す。

 この四日間。勇香は委員会以外の誰とも面識せず、向う側の専属講師を名乗る者たちの指導の下、個別授業や演習を行ってきた。もちろん、魔獣人形との対戦演習も欠かさずに。

 魔獣戦では、何度深手を負い、血潮を流し、生命の危機に身を震わし、治癒魔法の世話になったのか。今では計り知れない。

 さらにここ数日では、勇香が瀕死の重傷に至るまで、教師が勇香を止めることはなくなった。今日のような前例ができてしまったからには、これからは寝ている間にどこかの怪物の巣穴に放り込まれることも見込まれる。これをはたして教育と言えるのだろうか。向う側は命を弄んでいるだけではないか。

 でも、この生活を脱出したいとは考えなかった。できなかった。


「突拍子のないことで私も胸を痛めております。ですが、あなた様にとってこの生活が、英雄になるうえで必要な過程(プロセス)なのです」

「過程って……明らかに私を、他の生徒から隔離させてるだけですよね?」


 平然と口にする老婆に、勇香は眉をひそめながら問い返す。


「それが何か……?」


 だが、またもや平然と返す老婆に、勇香は思わずコーンスープを掬う手を止めて目を丸くした。 


「誰の介入も入らず、誰にも干渉されず、誰にも成長を邪魔されることもない……我らの下で快く鍛錬に励む……これほどまでに最高の環境はございません!」


 老婆の耳をつんざくほどの声量に度肝を抜かれたのか、勇香はスプーンをコトッと落としてしまう。


「す、すみません」

「大丈夫ですか!?」

「い、いえ」


 老婆は魔法で取り出した布巾を、飛沫が付着した勇香のTシャツに押し当てながら話を続けた。


「そうです!誰の干渉も入らないならば、あなたの立派な新芽を、千年の時を生きる大樹に成長させることができます!」


「……っ」


 勇香は今更になって、向う側の組織の“在り様”を思い出した。

 己の目的のためなら、いかなる手段も躊躇わず、他人の感情は優先せず。

 向う側とは、こういう組織なのだ。

 

「どうか我らにあなた様の全てを委ね、ご快諾くださいませ」


 老婆は中腰になり、低姿勢で勇香に手を差し伸べた。此方に拒否権などあるはずがないのに、茶番もいい所だ。だがこの数日で、勇香も変化を遂げた。身体だけではない、“観念”すらも。


「必要、ですか?」

「もちろん」


 誰の干渉も受けないのであれば、陽咲乃が女性教師のように、向う側にいいように扱われることもない。 


 巻き込まれることもなければ、邪魔されることもない。


 向う側でもなんでも利用する。強くなるために。

 それが勇香の決意に繋がるのなら。約束が果たせるのなら。

 勇香はコクっと頷いた。その瞬間、老婆の顔が晴れやかになる。


「では、ごゆっくりご朝食をご堪能ください」


 老婆は、空になった食器をまた魔法で取り出したお盆に乗せる。勇香はそれを、憂いを込めた瞳で見送りながらクロワッサンを一齧りした。

 去り際に足を止めた老婆は、何かを思い出したように勇香を振り向く。

 

「そうでしたわ!食事中ですが、本日の予定をお伝えしてもよろしいでしょうか?」

「……は、はい!お願いします!」


 すると、老婆は食器を乗せたお盆を風の魔法で浮遊させると、空いた両手でスーツの内ポケットから手帳を取り出す。そしてどこからか眼鏡を取り出すと、手帳を開いて仏頂面で中を読む。相変わらずデジタルとアナログが混在していると困惑しながらそれを見ていると、


「本日は魔獣戦後、とある場所……カズラノと言いましたか。そこで魔獣討伐を行ってもらいます。本日からいよいよ実践です!」

「じ、実践?」

「今までは魔獣を模しただけの“偽物”で鍛錬を行っておりましたが、英雄には偽物なんてつまらないでしょう。お待たせしましたわ!今日からは“本物”との戦闘でございます」

「……っ」

「人形も本物よろしく精巧な挙動をしておりましたが、やはり本物はその迫力はもちろん、動きも桁違い!きっとあなた様の成長を促してくれるはずです!」


 言い忘れていた。向う側の辞書には、時期尚早という言葉は存在しない。

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