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ゼロから始まる勇者学  作者: ホメオスタシス
入学編
71/125

第66話 行方

 芋虫のような何かがうねうねと胎動している。そんな奇妙な感覚が背中越しに伝わってくる。

 不思議と寒さは感じなくなり、凍えで立ちに立っていた鳥肌も今はぴたんと静まりかえっている。

 それ以前にだ。寒さどころか聴覚、嗅覚といった五感がぴしゃりと止んでいる。それはまるで、自分の存在自体がこの世から消滅してしまったかのよう。残された感覚は視覚、そして背中の触角のみだ。その感触も、この世のものとは根本的に何かが異なる。自分の一部のような感じもする。

 目の前の景色は、雪のように真っ白だ。それでいて形という形はなく、果ての無い白き空間が広がっている。


 あれから、どうなってしまったのだろう。氷に幽閉され、体温を失い、あっけなく命を落としてしまったのが勇香にとっての常道だ。自らの魔法に身を滅ぼされるなど、皮肉な話だ。


(あれ、なんだろう……)


 この無限に広がる白の世界は、勇香にはどこか既視感があった。


(初めてじゃ、ない気がする……)


 此処へたどり着いたのは、一度ではない気がしてやまないのだ。

 

 そう、視線の奥には人影が。


「……ノカ」


 声ならざる声が聞こえる。聞こえるという表現自体が意味を成さないかもしれない。なぜならその声は、勇香の心臓の奥底から響いてくるのだ。 


 高く透き通るような高音でも、野太く感情に訴えてくるような低音でも。果ては機械音でも、()()()()()()()異なる。まるで勇香の心臓の奥底にいる意識が、声として語りかけているような。


「あなたは誰?」


「イイ……ノカ……」


 勇香は問いかける。声は同じ言葉を綴るだけ。

 

「イイ……ノカ……」


「な、何?」


「ノカ……イイ……ノカ……」


「やめて……しないで……」


 勇香も声にもならない声を、感覚もない喉の奥から紡ぎ出す。身体の感覚もないので自分の表情も読み取れない。しかし勇香は、その声ならざる声が自分への当てつけのように聞こえた。


「……イイ……ノカ」


「邪魔、しないで!!!」


 声はだんだんと、勇香を糾弾しているように聞こえてきた。


「ソレデ……イイノカ……」


「なんで、そんなこと言うの!?」


「……イイノカ」  


「私は……」


 涙すら感じないのに、奥底で泣きじゃくる勇香がいる。そんな勇香を上から見下すように、声は繰り返す。


「イイノカ」  


 声なき声は勇香に問いかけてくる。

 いいのか、それでいいのかと。選択を違えていないかと、問いかけてくる。


 けれど勇香にはもう答えは決まっている。その問いは無用だ。


「いいの……私は……」


「イイノカ……」


「もう決めたから。こんな私でも、初めて誰かに信頼してもらえるから。後悔なんて、しないから」


「……ノカ」


「だから、心配される必要はない」


「……カ」


「もう、話しかけないで」




 声なき声は消えた。これが勇香の決意。勇香の約束。

 約束のためなら、なんだってする。もう決めたことだ。




「……ブ」




「へ?」



「……オマエ……ハ……ジゴク……ホロブ……」


 声なき声に、勇香の意志を否定されたようだった。背中に感じる胎動が激しくなる。やがて、それはもごもごと勇香を呑み込んでしまう。真っ白だった世界が、漆黒の闇に染まっていく。

 

「そんなわけない……私は陽咲乃のために強くなる」


「ホロ……ブ……」


「だから、私に話しかけないで」 


「コノ……マ……ホロ……」


「話しかけないで!!!!!!」


「ミ……ホロ……」


 勇香は自らの意志で、真っ黒な海に沈んだ。


 未練はない。後悔はない。


 約束を、果たすために。


 

「あぁ……はぁ……はぁ……」


「ただいま治癒いたします!気をしっかりと!!」

 

 目を開けると、そこには剣幕な顔をした老婆がいた。


「……あれ、私」


 問う前に激しい光が視界を覆った。光が消えると、勇香は体温が徐々に戻ってくるような感覚に包まれ、上体を起こした。

 そこで心配が晴れたかのようにニコニコと微笑んでいる老婆を見て、状況を思い起こす。


「す、すみません!!!私……」

「いえいえ、これもあなた様を教育する私の責務ですから」

「あ、ありがとうございます」

「それよりも……まずは私に説明すべき事柄があるのではないですか?」

「……っ!」


 老婆の目つきが変わった。

 草資と似かよった目をした老婆。その先に老婆から出る詰問は、勇香は直感で分かった。覚醒したばかりの曖昧な思考で、乗り切ることなどできないと。


「最後のむしゃくしゃはどういうおつもりで?」


 老婆はニコニコしたまま勇香を見下ろしている。

 恐らく氷の檻に閉じ込められ意識を失ってしまった勇香を、老婆は身を挺して救い出したのだろう。助けてくれただけましだ、この相手が草資であったら……想像するだけで胃が痛くなる。


 あの地獄は嫌だ。けどここで嘘を重ねたとて、起こってしまった事実は巻き戻せない。


 自らの失策で、地獄を招いてしまった。


(また私……何も考えないで……)


「あなた様?」


 老婆は返答を欲しがっているようだ。勇香はありのままに伝えることを選んだ。


「私、自分の力に妄信して、できると錯乱して……私の身の丈に合わないことを……」


 ぽつりぽつりと涙が湧き出る。勇香は最後まで言い切ることができなかった。これから来る地獄以前に、自分の不出来さに胸が締めつけられたのだ。

 これが委員会に認められた才能を持つ、“聖ヶ崎勇香”という人間の本質。いや、才能など自分には一滴も存在しないと思えるからこそ、自らを信頼の内に置いてくれた委員会へ何一つの恩返しもできないことへの非力さが、涙として溢れ出てくる。


 それなのに、どうして老婆はそんなに和やかな笑みをする。醜態を晒したというのに、老婆の顔はいつの間にか蔑視することもなく微笑んでいた。その顔が勇香の涙をさらに助長させる。勇香は涙ながらに、老婆を見上げた。


「素晴らしいです!あなた様の才能をお生かしになった見事な戦法です!」


「へ……?」


「しかしながらもう少し魔法の構築に集中することが大切です。あなた様の行った戦法は諸刃の剣。先ほどのようにあなた様にも被害を被ってしまううえ、周りの勇者も巻き込んでしまうかもしれません」


 老婆の発言は、草資とは正反対だった。地獄とは程遠い、まるで極楽のような。


「まあ、他の勇者のことは考えなくとも構いません。あなた様は孤高の勇者。今はご自分の魔法でご自分に危害を加えないよう努力をいたしませ」


「は、はい」


「では、総評へと参りましょう」


 次の言葉は、勇香も覚悟していた。しかし老婆は──


「ふむ、やはり対人戦の経験がある分、魔獣に対しても模範的な動きができていますね!ですがあなた様ならもっと伸ばせます。このような少数など、先刻のような戦法を駆使すれば膨大な魔力の差で圧倒できるでしょう!」

「ぇ……」

「諦めずに頑張りましょう!私もあなた様の雄姿をこの眼にしかと焼き付けます」


 老婆の言葉に、勇香は気が抜けたようにとろんと顔を綻ばせる。醜態は無駄ではなかったということなのか。


「あの、何かアドバイスとかは……」

「いいえ。委員長からは好きにやらせろとだけ仰せつかっております」

「え?」

「私は要所以外では口出しはしません。あなた自身で突破口を切り開くのです」


 戦闘中何も口を出さなかったことには、そんな理由があったらしい。


「心配しなくても構いません。あなたは最高の勇者になれる。その“運命”なのです」


 老婆のほんわかした声音で、勇香は身体の緊張がすっと抜け、空気が抜けた風船のように仰向けになる。そんな勇香を、老婆は優しい顔で仰ぎ見て、


「休憩いたしますか?」

「取ってもいいんですか?」

「えぇもちろん、あなた様のご気分のままに」


「……っ」


 やっていることは昨日と同じだ。人間としての尊厳を斬り捨てられたような魔獣演習。


 それなのになぜか、昨日とは違った。


 *


「……ぐっ」


 灯篭一つが灯されただけの暗がりの部屋。そこは、委員会の矯正室。

 草資が目覚めた時には金属の椅子に座らされており、縄で縛られていないにも関わらず手足一つ動かせなかった。

 違う。見えない“魔法の楔”が身体中に打ち付けられている。それは覚醒した直後に全身を奔った激痛と絶叫で直感した。


「ぐっ、があぁぁぁぁぁ!!!!!!」


 草資はだらだらと汗を漏らしながら、沸き起こる激痛を堪えながら歯を噛み締める。血の一つも垂れていないのに、その痛みは死の淵を彷徨っているかのよう。


 そこへ、草資の背後で声がした。


「気を付けてくださいね。これでもまだ甘々ですが、あんまり身体を動かすと痛みますよ?」


 声と共に草資の眼前に姿を現したのは見知らぬ女。少し若いが、風貌を見るに委員会の一味だろう。新参者と言えど、委員会に在籍している草資すら知らぬ委員会のメンバー。それは矯正室の管理人ただ一人しかいない。

 その人物が目の前にいるという事は、自分は矯正室で監禁されているという結論に簡潔できる。しかし理由を問われれば全くもって答えられない。


「何故、私はそなたにこのような醜態を晒しているのです」

 

 女は応えなかった。草資は歯をギリギリと軋ませ、激痛をもろともせずに声量を上げて詰問する。


「答えなさい!!何故私に辱めを!!!」


「ふふっ、流石は元勇者隊副隊長ですね!首を掻ききった上に追撃まで入れたのに、この通りピンピンでいらっしゃる。普通は出血多量で死んでいましたよ?どのような小細工をお使いになったのでしょう?」

「そなたも元勇者ならお判りでしょうが!!!」

「ふふっ。その力も、この部屋では使えませんよ?」


 草資の怒号を前にしても余裕を醸し出す女に、草資の怒りのボルテージはさらに上昇する。


「前置きは無用!!!私が委員会に無礼を働いたとでも仰るのですか!?でしたらその証拠を差し出しなさい!!無礼というなら、あの女はどう弁解するのです!!あの木偶が“才能”があると私に瞞着(まんちゃく)を吐いたあの女を!!!!!」


「残念ながら、あなたが望んでいた“愉悦”は、委員長殿には通用しなかったみたいですねぇ」


「はぁ!?」


 女と草資の会話には齟齬が生じた。女ははなから草資と会話を交わす気はないようだ。


「学園内部の人間がやらかしちゃった場合、通常は即放流なんだけど、あなたには需要があると委員長が仰っているんです。そのため、今回は“矯正”で手打ちというわけなんですよ」


 女は草資の顔の目の前でそう呟くと、目の前の大スクリーンに目を移した。


「な、何をするつもりだ……!!」


 草資は詰め寄るが、女は黙々とスクリーン脇の機器を操作し始めた。


「答えろ!!何をするつもりだ!!!!!」


 その後の草資の詰問も老婆は応えず。激痛のみが環境音のように刺激する。


「準備は整いました。この先あなたが行える行動は瞬きのみ。首を動かせば“死”を体感するほどの痛苦があなたを襲います」

「貴様ッ!!この私に何を見せるつもりだ!?」


「そうですね……」


 女は首を傾げて数分、ふと鬼のように顔を歪めた草資に応える。


「我々の行く末……終末、ですよ」



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