第65話 執着
多数の魔獣相手に、勇香一人が対峙する。老婆は後ろでニコニコと見守っているだけ。魔獣は容赦なく勇香を襲撃し、その度に恐怖で涙がいっぱいになる。
「はっ……はぁ……」
それでも、昨日よりは戦い慣れたつもりだ。
「……はぁ……くはっ……」
魔法、肉体、頭脳。持てるだけの手段を駆使し、魔獣の猛攻を回避し続けた勇香。
相手は三十を超える魔獣である。今の今まで生きながらえているのが誇らしい。昨日、地獄を見たおかげだろう。
だがここまでを無傷で駆け抜けたはずがない。一体の魔獣に上腕から胸部にかけてを引き裂かれた。患部からは鮮血が滴っている。正直、今にも泣き出したい気分だ。
しかし勇香は必死に堪えた。本能が、地獄をなんとしてでも回避したいと自棄になっているのだ。
「ふぅ……」
現在、勇香は魔法で氷の巨塔を作り出し、そのうえで眼下の魔獣の動向を伺っている。眼下ではのうのうとフィールドを彷徨う魔獣もいれば、氷塊により身動きを封じられた魔獣も無残に倒れている。
此処には、黒豹のように討伐が一筋縄ではいかない魔獣たちしか存在しない。なので討伐は視野に入れず、あくまで動きを止めることだけに専念。
ついでに前回の反省を生かし、今回はある仕掛けも用意した。
「……っ」
氷塔の周囲に展開された光球から、無秩序に降り注ぐ雷の雨。それは命中地点にいた魔獣を丸ごと焼き焦がす攻撃手段のみではなく、巨人に破壊されてしまった前回を教訓とした、魔獣を寄せ付けないための牽制である。
即興──雷霆の豪雨。梨花との決闘時に勇香が生み出した連鎖技だ。
だが、この十分で仕留められたのはたったの二匹。最初は氷塔に寄り付いてた魔獣を一掃するはずだったのだが、連鎖技を発動した途端に魔獣が四方八方に散って行ってしまったのだ。
魔獣は兵器ながら、本能的に危機察知能力が備わっているのだという。自然の猛威では倒されまいという、魔王軍の執念だろう。
巨人のような魔獣が、今のところ塔に近づいてこないのはラッキーではあるが。
余談だが、今回は事前に時間は考慮に入れないと老婆から告げられた。五分という制限がない以上、策を凝らして戦闘に臨める。最も、前回の勇香は五分というタイムを脳内に刻み込むほどの余裕すらなかったわけだ。
「ふぅ……」
勇香は小さく息を吐きながら、固く手を握る。
(やりたい……)
勇香は目を瞑る。そして、脳裏であの時の光景を映し出す。
(また、あれをやりたい……)
勇香が編み出した連鎖技、我武者羅氷撃波。それによる魔獣の大規模氷結と、解氷時に襲来する無数の氷刃の雨。
前回は不発に終わったが、今度こそ──
失敗したままではいられない、あの巨人に一矢報いたい。
それ以上に、勇香にはこの技をどうしても成功させねばならない理由があった。
卑怯な手ではあるが、この技は詠唱もせずに魔法をただ放つだけなので、上級魔法には該当しない。膨大な魔力を継続的に消費するため勇香にしか扱えず、勇香の才能を一撃で世に知らしめるであろう大技だ。
なにが言いたいかというと、今後に行われるであろう試験での手段の一つになり得るのだ。会場がこの演習場のような障害物のない平面とは限らないが、うまくいけばウィスプを一掃することだってできる非常に有効打のある技だ。その時のためにも、いち早く習得しておきたい。
(でも、失敗したら……)
脳裏によみがえる草資の罵倒──地獄。専属講師は変わったものの、あれが委員長の女による《《教育》》だとすれば──
(大丈夫、魔獣を凍らせることまではできた。巨人の行動パターンも前回でだいたい把握してる。仮に失敗しても別の手を考えられる)
なによりあれを成功させれば、地獄を見ることはまずないはずだ
(でもどうすれば、どうやって現出させればいいのかな)
凍らせるという段階なしに、最初から決闘で見せた雷の雨のようにすることも考えられる。そうすると、やはりただの氷塊をどのようにして、魔獣の皮膚を引き裂くほどの切れ味のある氷刃とするかが問題になってくる。
(来た、巨人)
どうやら、またもや思索する時間は与えられなかったようだ。それを考慮しての、時間無制限だろう。
巨人も学習したのか、雷の雨などお構いなしに氷塔に突っ込んで来る。
あの巨体である。一発二発喰らっただけでは一部が焼け焦げるだけだ。
勇香は氷塔が崩れ落ちる手前で、自ら身を投げた。
「《命じる》──ウィンドクレイド!!」
落下する寸前、勇香は風の魔法を眼下に向けて放つ。高度から落下した際に使用される着地魔法。落下地点に小規模の風の渦を生成させ、揺りかごに包まれるように対象をゆっくりと着地させる。
スタッと足をつくと、勇香は雷の雨を消失させて巨人を振り向く。その時にはすでに、巨人が氷塔を破壊し尽くしていた。
巨大な氷塔の欠片が、辺り一帯に降り注ぐ。勇香はその好機を逃さない。
魔力を感知し、巨人が勇香を向いた瞬間──
「《命じる》──機能付加【追躡】」
落ちてくる欠片一つ一つに、追尾魔法を付与する。その対象は、巨人だ。
「──機能付加【重力】」
それだけではない、欠片に横向きの重力を付与することによって、接触時の威力を更に底上げする。あの体躯の巨人だ、ただ欠片が衝突させるだけでは効果は無に等しいだろう。
「投擲!!!!!!」
勇香は前回の報復とばかりに、叫びながら欠片を巨人に向けて射出。
振り向いたが最後、無数の欠片が巨人に直撃した。
「……っ!?」
しかし数メートル吹っ飛んだだけで、四本腕の巨人は立ち尽くしている。
(これでも、無理なの!?)
『ガアアアアアアアア!!!』
「はっ……!!!!!」
やはり勇香が落下したことで、魔獣は勇香を標的にして暴走する。
先陣を切ったのは黒豹の群れで、背後から勇香の頭部を狙って突進してきた。
「や、やめ……ッ!!!」
沸き上がる恐怖。勇香は身体がガクガクと震え、黒豹が迫っているというのに尻込みしてしまう。
(違う!恐怖に呑まれるな!!!)
自分に言い聞かせるが、身体は言う事を聞かない。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
一辺倒な黒豹の猛襲。牙を剥けた大口を開き、飛びかかるように勇香に襲いかかる。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、……」
『ガアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!』
「……っ」
『ゴアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!』
眼前に迫る魔獣が、何故かスローモーションのように見えた。
『ガアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!』
魔獣と一緒に、何故か此処にはいないはずの少女の声が聞こえた。
──だから勇香も、それまでに力つけて、自分を変えなさい
ずっと後ろ向きだった自分が、初めて少しだけ前を向けた言葉、彼女の激励。
「……っく」
二度目だ。また助けられてしまった。
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!」
咄嗟に魔獣に向けた両手から、氷の魔法を放つ。獅子鳥を倒した時のように、我武者羅に、無鉄砲に。
氷撃はあっという間に黒豹を包み込み、ガタっと盛大な音を立てて落下した。
「はぁ……はぁ……」
勇香は自分の意志のままに、恐怖に強張った身体を立ち上がらせる。
何のためにさんざん地獄を味わったと思っている。ここで固まったまま、野垂れ死ぬためではない。
(……私は、約束を果たすためにここにいる!全部、全部……今までの“惨め”も、イラつくほどの不甲斐なさも……どうしようもない私の弱さも……約束を果たすための礎だと思え!!自分に言い聞かせろ!!!)
「約束を!!!!」
バシュン
「……っは!!」
気を抜いている暇はなかった。背後には巨人が迫っている。
勇香はシュンっと巨人に視線を変え、戦闘態勢を構える。
「……っ!」
巨人はまたもや欠片を掴み投擲。先程よりも細かな欠片が華麗な投球で勇香を襲う。勇香は氷塊に押し潰された黒豹を氷壁とし、欠片から身を守る。だが、その反対側からは黒豹の群れが襲ってきた。
(もう悩んでる暇はない!あれを、やる……!!)
もう一か八か。何が何でも成功させる。
投擲が止んだと見計らうと飛び出し、一目散に駆ける。その後も下敷きになった魔獣に身を隠し、間に合わなかった場所では氷壁を生成して欠片を防ぐ。襲ってくる魔獣には初級魔法、黒豹には我武者羅氷撃波で迎え撃つ。向かう先は、このフィールドの全域を眺めることのできる結界の隅。
(あの人……み、見てる……私を……幻滅されたかな……)
油断は禁物だが、無意識にも結界の外の老婆を一瞥してしまう。
自分の哀れな姿を見て、草資同様に勘当されてしまった可能性が頭を過る。
(私は……)
哀れだなんて、自分が一番よく分かっている。
それはもうれっきとした事実だ。いくら逃げようとも付きまとう。いや、自分は無意識にその道に進んでしまっている。
哀れでもいい。老婆には惨めだと思われたって構わない。
もう逃げない。その道と真っ向から向き合うと決めたのだ。
それで、彼女みたいな強さを手に入れられるのなら。
彼女との約束が果たせるのなら。
(約束を……)
約束を──
約束を──約束を──
約束を──約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を約束を!!!!!!!!!!
「約束を果たすために!!!!!!!!!」
約束という言葉に、勇香は囚われていた。それはまるで執着とでも言うように。地獄を回避するなんて前座に過ぎない。
約束という獲物を追い続ける獣のように、今はただ走るだけ。
『ふぉおおおおおおおおおおお!!!!!!!!』
その巨体は突如、上空から襲ってきた。
「へあ……!?」
四本腕の巨人。双腕巨人。
巨人は遠くから氷塔の欠片を投擲していたはずだ。それが今や、勇香の上空から拳を叩き落そうとしている。
「嘘、なんで!?」
跳躍したという方が正しいだろう。それでも巨人との距離はかなり距離を取ったはずだ。やはり恐るべきその身体能力には感服する。
『ふぉおおおおおおおおおおお!!!!!!!!』
勇香は巨人に向け、いや巨人を含めた結界内の全魔獣を標的に手を翳した。
集中しろ、今こそ己を研ぎ澄ませ。欲望を腸の奥から唱えるのだ。
なんのために戦う。何のために魔獣を迎え撃つ。
氷を硬く、高密度に。堅牢たる檻とするために。
(このフィールドごと凍らせるように)
「みんな、凍れえぇぇーーーーー!!!!!!」
瞬間──勇香の手から氷波が射出された。それは瞬く間に巨人を覆い尽くし、それよか辺り一帯を氷土と化し、巻き込まれた魔獣を氷漬けし、結界全体を包み込んでいく。
巨人は氷に飲み込まれ、中で藻掻くように蠢いているが、氷は亀裂一つ入らず、それどころか濃密になる。数秒足らずに、氷はどんどん結界内を埋め尽くしていく。
(この氷の排出量、昨日とは全然……)
そろそろタイミングかと、勇香は脳内で魔法を遮断するよう想像する。そう、魔法の遮断方法も想像なのだ。より具体的に、魔法を果物ナイフで真っ二つに切り刻むように。しかし──
(あ、あれ……?)
目に映る景色が、膜が張られたように不鮮明になっていく。身体は急激な温度の低下で凍えてしまい、鳥肌が立つ。
(魔法が……止まらない!!)
気付いた時には、もう遅かった。
(あれ、私……)
「……カ」
(閉じ込められる……?)
勇香が放った氷撃は、皮肉にも勇香を捕える檻となった。
何もできず、ただ自分の体温の低下を肌で感じながら、その檻の中へ静かに消えていく。
「……ノカ」
無念にもそこで、意識がプツンと切れた。