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ゼロから始まる勇者学  作者: ホメオスタシス
入学編
124/125

第116話 太陽に咲く(2)

 アタシは、取り巻きの一人に内部告発され、日向ちゃんをいじめた中心人物として中学校を停学になった。

 学校側とお母さんは何とかして隠蔽を図ろうとしたが、日向ちゃんのお母さんはそれを許さなかった。学校側の隠蔽工作を告発し、事を裁判沙汰にまで引きずり上げたのだ。それによって、アタシの罪は世間に知れ渡った。


 アタシは児童相談所へ引き取られ、そこでも審判妥当と判断されたので家庭裁判所へ。

 裁判所では少女に死を選択させるまで繰り返した仕打ちは悪質極まりないと、少年院送致が下された。


 私が少年院送りとなったニュースは全国規模で報道された。

 だけど、アタシが実名報道されていないことに腹を立てた人間がいたらしい。

 いつにまにか、ネット上では“成川”の名が流失していた。


 同時期、正義の鉄槌で不登校になった女の子の取材に成功したマスコミは、アタシの罪を芋づる式に掘り返していた。

 その過程で“成川”の名は手に入れていたようだ。名字の流出を皮切りに、「話題沸騰中の区議会議員の妹」などと、次から次へとアタシを装飾し始めた。


 「いじめで少女を自殺にまで追い込んだ犯罪者、清廉潔白な兄の印象に十字傷をつける」


 顧みると、そう報道してくれたらどれだけ心が軽かったことか。


 一度遡るが、これはお兄ちゃんが上京する朝の出来事である。


『陽咲乃、起きてるか?』


『……!起きて、お兄さんだよ』

『なに?』


 私はふて寝していたけど、日向ちゃんがゆさゆさとアタシを揺さぶった。


『今日、お兄さん東京行くんでしょ。見送りくらいしなよ』

『別に、そんな必要ないでしょ』


『陽咲乃……声を、くれないか?』


 扉が小刻みに揺れている。地震でもないし、お兄ちゃんが寄っかかっているのだろうか。


『震えが……止まらないんだ』


(え……)


 お兄ちゃんが扉越しに弱音を吐いた。

『お父さんの正義を受け継ぐ』とお母さんの前では自信満々に語っていたくせに。


『背負う看板が大きすぎたんだ。身の丈に合うはずないのに』


 お母さんの口車に乗せられ続けた者の末路だ。自業自得、返す言葉もない。


『お父さんの正義を継ぐ。自分を律するためには、そう言い聞かせるしかなかった。だけど、いざ今日がきて、逆にその決意で胸が締めつけられた』


 内心はお母さんから逃げたかったのだろう。逃げ方を違えた、それだけのことだ。

 承認欲求の塊がじっくり育んだヒーローの仮面は、皮肉にも本番直前でパックリと割れたのだ。


『ある意味お前は、僕の──いや、なんでもない。身体に気をつけてな』


 そう言い残すと、お兄ちゃんは旅立っていった。


『……日向って、憧れとかいるの?』


『え?』


 お兄ちゃんは腐り果てた議会を修復した立役者として、SNSで軽く有名人になっていた。しかし、それは“有名議員の息子”としてのお兄ちゃんだ。

 本当のお兄ちゃんはお父さんの遺伝子を大いに受け継いだのか、脆くていくじなしで、幼い頃は芋虫も触れない男の子だった。

 そのくせ身の丈に合わない理想ばっかり口にして、いつかヒーローになるとお母さんの前で胸を張っていたのを何度か目撃した。

 お母さんはその度に、「自分の後を継げばヒーローへの片道切符をゲットできる」とうまく誘導していたな。


 正義の代弁者となったマスコミによる断罪は、アタシだけにはとどまらない。


 アタシを糾弾して満足したのか、次はお兄ちゃんの粗探しに出たのだ。


 その時点ではアタシの実兄と確証を得たわけじゃなかった。いや、確証とか証拠とか、そんなもの無意味なのだろう。

 自分が正義側に陣取っていさえすれば、確証はいくらでも創り上げられる。


 マスコミは不倫、収賄、文書偽造、さまざまなでっち上げを“疑惑”として報道し、お兄ちゃんの「本性とされるもの」を報道した。

 同じ頃、お姉ちゃんが行方不明になった。マスコミはその事実すら取り零さず、お兄ちゃんが失踪に関与しているのではとネット上で議論を巻き起こした。

 中には「妹と同様に暴行に快楽を求める一面があり、事件はDVの末に起こった傷害致死では?」と、とんでもない疑惑までがネット掲示板に上がる始末。


 数か月後、ある録音データが週刊誌によって報じられた。

 それはアタシが少年院送りとなり、お姉さんが行方不明となり、むしゃくしゃしていたお兄ちゃんがたまたまミスをした秘書をちょっと強めに叱っただけのもの。

 その後、お兄ちゃんは飲み会の席で部下に謝罪していた。けど、部下は万が一のために録音していたらしく、どういうわけか週刊誌に行き渡ってしまった。


 お兄ちゃんは数々の疑惑の責任を取り、区議会議員を辞職した。


 当日、区役所を立ち去り、東京のビル群の合間を千鳥足で歩くお兄ちゃんの心境を考えると、胸が痛くててたまらない。

 大都市に聳えるモノクロの高層ビルは、いつみても無力感と重圧に押しつぶされそうになり身を縮ませる。

 加えて、()()まで感じたやるせなさと冷ややかな衆目も、さながら“生き恥”と呼べたであろう。



 “原因不明”


 それが、お兄ちゃんが巻き込まれた事故の見解だ。


『23区湾岸部で発生した高層ビル群大規模崩壊事故の続報です。東京都の発表によると、事故による死傷者は1600名、行方不明者は1万人にのぼるとされており……』


 4月16日17時44分頃、都内某所。堅牢のように聳え立っていた高層ビル群が、()()()()()()()()()()。お兄ちゃんはそれに巻き込まれ、死んだ。

 当時少年院にいたアタシは、冷たい塀の中から第一報を耳にした。 

 人間不信に陥っていたアタシは信じるはずもなかったし、信じたくもなかった。


 事故の全容を知ったのは、出所後のことだ。


『日本の建設業界は終わった』

『白昼堂々とビル崩壊なんて、通行人にとっては理不尽極まりない』


 理不尽。


『あのパワハラ二世議員死んだ?』


『天罰だろ。自業自得だなwww』


 理不尽だ。



『妹逮捕、姉行方不明で母の成川議員辞職だろ?成川一族って調べればもっと出てくるんじゃね?』


『成川秋桜の父親は警察官で数年前に殉職したらしいぞ。殺したの妹の不良仲間だとか。ソースはこれ↓↓』


『これは成川秋桜議員を敵視する議会が起こした暗殺事件でしょ。〇〇区議会マジでオワってる』


 年頃の女の子だからと、親戚からいただいた中古のスマートフォン。

 SNSをスクロールすればするほど手に力が入り、ついにはぶん投げて壊した。

 電脳の世界から抜け出すと驚くほど平穏で、まるで本当は何も起きていないんじゃないかと錯覚にまで陥った。


 この世界にはまっくろしかいない。


 日向ちゃんが死んだのも、お姉ちゃんが消えたのも、お兄ちゃんが死んだのも、理不尽を企てた悪者たちせいだ。


 悪者は潰す。潰してやる。


 長女は行方不明に、次女は少年院に、兄は死亡。いじめの隠蔽疑惑を問われ議員辞職していたお母さんは、精神を病んで寝たきりになった。


 数か月後、出所したアタシは親戚に引き取られたけど、これといって更生はしなかった。それどころか転校した田舎の中学で流血沙汰のトラブルを起こし、そこでも停学になった。裏日本へ渡ったのは、その頃だったかな。


 *


 口を結ぶと、陽咲乃はそれっきり黙り込んでしまった。

 顔も前髪に隠れ表情が伺えず、あからさまに勇香から目を背けているようだ。


「陽咲乃……えっと、その」


 数分後、陽咲乃は腰を上げると勇香から即座に身を翻し……逃げた。


 勇香は咄嗟に陽咲乃の右手首をぐしっと握る。


「どこいくの?」

「いや、その……」


 勇香の手を振り解く素振りもなければ、しどろもどろに声を濁し、感情の交錯を声の揺れとして纏わせる。

 表情は伺えないが、『焦燥感』だけは『気まずさ』として感情に染み込んできた。


 こんな陽咲乃は初めてだ。今まで経験したことのない、まるで自分自身を投影したような……


「梨花の忠告はフェイクじゃない。全部、何ひとつ偽りのない、本当の話」


 肩の震えが止むと、陽咲乃はところどころ裏返った声音でそう告げた。


「いいよ、逃げて」


「へ?」


「アタシは何も言わないし、もう……二の足は踏まない」


 皮膚が半月状に裂けそうなくらい、ぎゅっと拳を握り締める陽咲乃。勇香は息を飲んだ。

 それでも、陽咲乃を繋ぎ留める手を解く気にはなれない。


「どうして……?」

「え?」


「勇香さ、どうして軽蔑しないの?アタシを怖がらないの?」


 ようやく顔を向けたと思えば、陽咲乃は歯を軋ませながら勇香を睥睨した。


「アタシはヤバいヤツなんだよ!?理不尽を糾弾されて当然だし、友達がみんな離れていったって文句ひとつ言えない!実際、罪から解放されたことなんて

一度もなかった……それなのにどうしてあんたは……」


 陽咲乃の黄金色の瞳から、ポロポロと雨粒がひとつ、ふたつ。


 太陽は水を産まない。もちろん雨だって、雨粒ひとつ降らせはしない。


 それでは、月は涙を流すのだろうか。


「どうして……ッ!!!」


 くしゃくしゃな顔すら輝いて見えた。


 太陽は水を産まない。涙すら、ムンムンと湧き上がる熱気で蒸発させてしまう。


 燦々と放たれる極光は、勇香には眩しすぎた。


「だって私は、今の陽咲乃しか知らないし」

「さんざん罪を告白したでしょ」


「私の記憶の中にいる陽咲乃は、運命に抗う勇気をくれた友達。ただひとりだけだよ」


「やめてよ」


 胸の奥から込み上げる想いを、思わず左手で抱きしめる。


「勇香……さっきの話、どんな心境だったの?」


「心境?」


「いや、だって、常識的に考えて……あんたの目の前にいるのは犯罪者、じゃない」


 勇香は首を傾げると、少し考えてからにへら顔で言った。


「なぁんだ、そんなもんか」


 平然と言い放つ勇香を前に、陽咲乃は一歩引きさがった。


 まるで、UMAを目にした子供のような戦慄を顔に乗せる。UMA扱いされる意図がまったくもってわからない。


「って」


「あんた、正気なの……?」


「正気だよ」


「ふざけてるの?」


「ふざけてないもん」


 陽咲乃に再三聞き返されたので、眉間にしわが寄る。

 しかし、今度は気色悪いUMAを憐れんだ目で勇香を凝視してくる。


 しかたないので、自分の心に問いかけてみた。


「私にとって陽咲乃は特別で、英雄だから、実感が湧かないの」


 口を結んだころには、頬が火照っていた。


「……あそ」


 陽咲乃はバツが悪そうに勇香から顔を逸らす。


「陽咲乃こそ、最初からわかってたんでしょ」

「え?」

「告白してくれた理由、私なら告げても離れていかないって期待を寄せてたから、だよね?」


 そう問うと、陽咲乃の青白かった顔がわずかに熱を宿した。


「ちょっとは、した……けど」


「ほらぁ、やっぱり!」


「うっさいな!」


 思えば、言葉で陽咲乃を圧倒した瞬間はこれが初めてだ。もう二度と訪れないかもしれない数舜、めいっぱい楽しみたい。


「陽咲乃はどうやって変わったの?」


「いろいろあってね。結構ゴリ押しだった」


「ごり押し?」


「勘違いしないでね。人は自分一人の力じゃ変われるはずがない。アタシはたまたま運が良かっただけ。それに、どれだけやり直したとしても歩んできた過去は変わらない。罪は消えない」


「……」


「アタシは日向ちゃんの期待を背負うことができなかった。それどころか、ぐちゃぐちゃになるまで踏みにじった。もう二の足は踏みたくない……今度こそヒーローにならなきゃいけない……けど」


 陽咲乃はぐっと息を呑むと、勇香に背を向けて歩き出した。


「どこ行くの?」


「ごめん、やっぱり、勇香と一緒に居ちゃダメだよ。いつか、昔のアタシに逆戻りしまったら、最初の標的は間違いなく勇香になるから」

「……っ」

「アタシ、怖いの。あの時の日向ちゃんを、夢で思い出すことがあるの。そしたら昔のアタシが腹の奥から這い上がってくる感覚がして、恐ろしくなって……うぷっ」


 陽咲乃が地面に手をついた瞬間を狙い、勇香は回り込んでゆく手を遮る。その顔はぷくぅと膨らんでいた。


「……なに怒ってんの?」


「今の陽咲乃、なんか変。英雄じゃない」

「えっ?」


「約束、また破ってるし」 


「それは……」

「あの時の言葉はなんだったの!!!陽咲乃だって人のこと言えないじゃん!!」

「あははごめんごめん。それは本当にごめん」


 陽咲乃がすこしわらってくれた。うれしい。


「でもよかった……私たちって似たもの同士なんだね」

「似たもの同士?」

「私も、陽咲乃も、惨め仲間、だよね……?」


 おずおずと問いかけるも、陽咲乃は口をへの字に曲げるだけ。


「何度も言ってるでしょ。真のヒーローなんてこの世にはいないんだよ。みんなだいたい、何かしらは汚れてる。アタシの場合はちょっと飛びぬけてる……て、話聞いてる?」


 仲間が増えたうれしさか表情筋が緩んでしまった。生ゴミを見るような目で見つめる陽咲乃をよそに、顔に熱が灯ってしまい両手で覆った。


「はぁ……大事なのはどうやって汚れを隠していくか。いくら消そうとも、汚れを知る人間はゼロにはならないからね」


 陽咲乃は親指を自らの心臓に押し当てた。


「虫唾が走るよね。今更、生徒会を目指そうだなんて足掻いてるアタシに」


 そんなことない。陽咲乃は英雄だから。


「日向ちゃんも、アタシのやってることが茶番だと最初から悟ってたらしいし」


 勇香は茶番だなんて思わない。陽咲乃は運命に抗っていたから。


「ヒーローは、ただ人を助ければ目指せるものだと思ってた。自然と一歩進んでいるだと信じてた」


 無力感をぴちゃりと顔に張りつけたように、陽咲乃は震えた声で零す。


「責任なんて、考えてもいなかった」


「……っ」


「勇香」


 陽咲乃は立ち尽くす勇香とすれ違った。


「英雄ならもっとふさわしい人がいる。いろんな人と出会って心を通じ合わせれば、きっと勇香の背中を押してくれる存在がみつかるよ。だから」


「だから?」


「いいかげん、現実……みよう?」


 その瞬間、世界がきゅっと止まった。


「アタシにとって、ヒーローは夢物語フィクションだよ」

 

 *


 年季の入った街灯が、2人を外界と隔てるように、地面に淡い光を落としている。

 不安定に揺らめく光は、陽咲乃の顔に時折影を差す。


「そういうことだから」


 ガシッ


「……っ!?」


 自分の鼓動が感じられた時には、陽咲乃の身体を包み込んでいた。

 夜の冷気に当てられた陽咲乃の身体に、勇香の体温が熱を分け与える。


「陽咲乃、まだ何か隠してる」

「へ?」

「陽咲乃はなんで、私のために戦ってくれたの?」


 火を灯そうと火種を探す。


「ヒーロー向いてないなら、なんで委員会に反抗したの?」

「……っ」


「もしかして、陽咲乃()()()()()……?」


 宵闇に蕩けてしまいそうな勇香の声音。


 季節は初夏とはいえ、岩壁の頂上に身を降ろす学園には、冬の残滓かのような夜風が届く。

 風に煽られた木々の葉がささやくような音を立てた。すれ違う生徒たちは制服の上に外套を羽織り、肩をすぼめて寒さを凌いでいる。


 氷刃のような冷えた風が、制服姿の陽咲乃から熱を奪う。

 もちろん、勇香とて平等に。

 

「違う!!!そんなワケない!!!!!」


 その声は、全身の皮膚をピリピリと振動させた。


「勇香を想いを踏み潰すアイツらがムカついた。勇香を救いたかった。それだけはほんとの話。ほんとの話だから!!!!!!」

「陽咲乃」


「……!」


 勇香は強張っていた顔を解しながら、陽咲乃の頬に左手を当てた。


「陽咲乃もふにふにだね」


「なに……?」


 



「決めた……今度の生徒会選挙に立候補して、アタシは席を奪ってみせる……!」



「え……?」


 数々の恩を返したい。立ち止まりそうな陽咲乃に勇気を与えたい。

 こんな自分がと謙遜しながらも、今の自分にできる精一杯を口にしてみた。


 そうすれば、眠りについた英雄が再び目を覚ましてくれると思ったから。


 すぅっと息を吸うと、ぱちくりと瞼を開ける。

 想いが溢れて火照った頬を冷ましながら、顔を上げて陽咲乃を見る。


「……っ」


 目の輝きが失われ、瞳が揺らぎ始める。顔の桃色は徐々に青白く変貌し、唇がわずかに震え出す。頬の筋肉が引き締まり、顔全体が強張っていく。


 口元は半開きのまま、陽咲乃はただ茫然と立ち尽くしていた。


「へへっ♪」

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