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ゼロから始まる勇者学  作者: ホメオスタシス
入学編
117/125

第109話 凱旋道

──負け確にならない?


 どれだけの血液が対外に放出されただろうか。

 思考が纏まらない。荒れた息でポーチの在りかをまさぐっても、 地上に打ち上げられた魚のようにパタパタと宙に跳ねらせるだけ。


(これ……終わったな)


 

 グラグラと揺らぐ視界で、鼓動の消失をひそかに待つ。


「いや……いや……」


 ガタリと金属らしき落下音が、一瞬だけ鼓動を覆った。


 眼前では黒く塗りつぶされた人物が、制服らしき赤の原色に身を包んだ少女に、拾い上げた光沢のある銀色を手向けている。


「難しいことではありません。あなたは構えるだけでいい」


 女は柔和に諭しているようだが、少女は微動だにしない。ただ、そのシルエットは揺らいでいる。

 

(神託が……使えない……違う、使っても強制的にここまで戻されてしまう……)


「できませんか?」


「……っ」


「やりなさい」


「……っ!」


「やりなさい」


 女の声音がギュッと引き締まる。

 厳めしい声に気圧されたのか、少女は蝸牛のように、ゆったりとした仕草で手を伸ばした。


(あぁ……そっか。やっぱ、勇香だもんな)


 *

 

 いやだ、できない。


 いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、


 陽咲乃がいなくなっちゃう。離れたくない、別れたくない。


 いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、


 でも、言えない。それを口にしたらどうなるか。


 女の眼が、濁る様を見るのは。



 あの時の、あの時の、あの時の


 私を幾度となく縛りつけてきた記憶が封を破り、クレヨンを預けよと(いざな)う。


 クレヨンは私の手の届く場所に放ってある。今すぐにでも描画できそうな範囲。


 けど怖い、握るのが怖い。描くのが怖い。


 描いた先に、見えるものが怖い。


 これまでの経験が、見えない腕となって私を操作する。


 変わりたい、変わりたいのに。


 いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、 


 いやだ、いやだ……


「さぁ」


 委員長さんはわずかに眉を寄せている。思い悩むのも有限らしい。


 いやだ、怖い。握りたくない。


 でも、この空気はもう、委ねるしかないみたい。


 いやだ、いやだ、


 いやだ、


 いやだ……




──だから勇香も諦めなければいい。みんなに慕われる生徒会役員、そうなれる運命の地図を、自分の手で描けばいい。




 ……恩返し、できてない。


 私のために戦ってくれて。

 拠り所を失くした私の、道標となってくれて。


 昼休みも、放課後も、私の憩いの時間を過ごしてくれて。


 クレヨンを持たせてくれて。私のために、お手本を見せてくれて。


 自分で描いていいよって、チャンスをくれて。


 いっぱいいっぱい。陽咲乃には両手で掬っても溢れてしまいそうなくらい、たくさんの希望をくれたのに。


 私は今、それらを零そうとしている。

 

 クレヨンを、他人に引き渡そうとしてる。


 いやだ、いやだ、


 ここで、ここで終わるのは嫌だ!!!



「ごめん……なさい」




「それは?」


「でき……ません、私には、できません」


 怖くなんてない。


 この先の未来に、”恐怖”なんてない。“地獄”なんてない。


 だって、自分で描き出すんだから。


 陽咲乃みたいに、乗り越えられるんだ。



「あの、約束、忘れてませんか?」


「約束?」


「ひ、成川さんは!相棒に、なって、く、くれるんです、よね!?」


 あの場面を委員会は盗み聞きしていたみたい。開会前にその話を持ちかけられた。

 半分は私への情だろうけど、委員会は情だけで動く組織じゃない。

 提案したということは、少なからず陽咲乃に対する展望があるのだと思う。


「み、見て、ました、よね。成川さんは、強い、です。だって、わ、私が、み、未来の英雄が、実際に相対して、感じました」


 私の誇れる称号は、今のところこれしかない。

 これしかないけど、納得できる証拠としてはちょうどいい。


「委員長さんも、み、見てました、よね!?成川さんのう、初陣。あっ、えっと、見て、なくても、えぇと、えと……橘先生に!話を、聞けば、成川さんには、価値があるってこと、理解でき、ると、思い、ます」


 即席だけどこれだけの脳を回して言葉を紡いだことは一度もない。

 失敗したらって、想像通りになったらって、記憶たちは矢継ぎ早に私の口を覆い隠そうとする。 


 でも、おねがい。


 今だけは、今だけは許して。

 

 今だけは、自分で描かせて。


「ほ、ほへ……保険は、た、たくさんストックしておいたほうが、わ、私としても、助かり、ます。だ、だから、その、成川、さんを失うのは、ゆ、勇者にとって、大きな損失なんです」


 これは、陽咲乃を助けるためだから──


「だ、だから、お願いします。もう少し、だけ、待って、くだ、さい」



 望んだ形ではないけど、言えた……言えた。




 言えた、けど……



 委員長さんの、顔。


「聖ヶ崎勇香」


「……はひっ!?」


 本名で呼ばれてびっくりしちゃった。委員長さんの言葉はどれも心臓に悪い。


「希望的観測は終いにしましょうか」


「……えと」


「入学してはや一か月弱経過しますが、そなたはなにも変わっていないようですね」


 ……へ?


 委員長さんは真っ黒に濁った目を吊り上げる。突き刺さった視線は私の肌をビリビリと刺激する。

 奈落の底すら見渡せない黒き瞳に、私は尻餅をついてしまった。


「この学園には勇者としての素質に疑念がある、言い換えれば戦力として期待できない卵を間引く規律と設備が備わっている。なぜ基本的人権を完全排除した規律が必要とされるのでしょう?」


「え……?」 


「答えはただ一つ。勇者とは、失敗ひとつが命の存続に直結するからです」

  

「……っ」


「しかしながら、これまでに処刑が実行された卵はわずか一名……どうでしょう、少しは肩の荷が降りたでしょうか?」


 あれ、おかしいな、


「学園長の温情により、毎年の入学者の中で多少の欠落がある人間でも、われらは許容していました。そのような蛆虫でも、卒業すれば少しはまともにやっていけるのですから」


 未来が形成されていく予感。


「勘違いしていなさるのならはっきり申し上げましょう。素質とは、死を前にして生を模索できる人間。それは通常ならば在学中に開花し、勇者として覚醒します」


 委員長さんは観客席を見下ろしながら口にする。みんなは呆然自失としていた。


「また才能とは、開花の振幅が人並外れている人間。ちょうど、そこに転がっている反逆者が該当しますね」


 そう語りながら、今度は陽咲乃に目を移す。


「さて、そなたは如何でしょう」


「……っ!」


 委員長さんは目線を一周廻してから私を見た。

 なぜだろう。想像通りの未来が、現実にアウトプットされていく。


「死を自覚してもなお、そなたは価値を見出せなかった」


「……っ!」


 鍍金がパラパラと剥がれ落ちる。露になった輪郭に、崩れていたパーツが組み合わさっていく。


 創造通りの、委員長さんの姿が、形成されていく。


「そなたのような希少価値の高い蛆虫は、心底軽蔑に値します」


 私は、今まで赦されていたんだ。どれだけ泣き喚こうが、クレヨンで雑に描こうがへし折ろうが、誰かに護られてきた赤子のように。


 どんな赤子でも、野に捨てられたら命の価値は平等となる。


 私は今、平等となった。本当はもっと前から平等だったかもしれない。私が気づいていないだけかもしれない。


 怖い、


 怖い、


 怖い、


 ……怖さって何だろう。


 私の怖さは、どこからきているのだろう。


 「恐怖の女王」と持て囃され、疎んだみんなにトイレに閉じ込められるとか。


 委員長さんに矜持すらも叱咤されることか。


 「期待した私が悪かった」と、陽咲乃に見捨てられることか。


 どれも違う。違和感が私の喉につっかえる。


 “何ひとつ変わってない”


 ほんとは、最初からわかっていたことだ。

 入学したころから、私は変わらないだろうなって。

  


 アリスさんに出会う前の、一歩を踏み出した経験が一度もない。


 できそうもないことは最初からしなかったし、順応できそうなことだけに手を伸ばした。

 どうしてもの時は、またやり直せる、できるできないの境界線、“妥協”を探した。

 ずっとそうして生きてきた。今までも、今も。


 思い切って行動した時、“そうなっちゃう”のが怖いから。日常でいるために、いつも私は私のままでいた。


 できそうなことは、何が何でも執着した。たとえそれが、自分にとって利益がなかったとしても。普通を装えるなら、惨めだと思われないなら。


 そっか、私は“惨めな自分”を誰かに見られたくないんだ。


 「降りしきる雨の中、カズラノ村で何を抱いた?生への執着?それとも、死んでいった仲間からの復讐心?」


「そ……」


「何も感じていないでしょう。自分にはまだ早かった、その一言」


 学校に通っていれば、いつ何時、自分が“惨め”を露呈するかはわからない。


 私はいっつもビクビクしていたけど、あるとき妙案を思いついた。


 “私は惨め”と日常的に刷り込んでいれば、やがて誰かに“惨め”を指摘されようがへっちゃらなんじゃないかと。


 普段から惨めならいちいち隠す必要もないし、たとえ誰かに突きつけられたとしても、「そうだよ?」と心の奥底まで受け止めずにすむ。


 あわよくば、“救いようのない私”を創りだすことで、私は私から解放されると思った。



 次の日から、早速実行してみた。


 帰宅後。ベットに入った時とか、惨めな私をめいっぱい殴りつける。

 学校でのみんなより一歩劣っている瞬間を取り上げ、好き勝手に私を罵倒する。

 勇菜が行方不明になった時も、私が悪いんだと自分で決めつける。


 いつの間にか、私は“惨め”な私で在ることが使命であり、自分(アイデンティティ)となった。


 学校でも周りに迷惑をかけない範囲で、知らず知らずのうちに惨めでいることに努めた。


 座学にも、実践にも、詠唱魔法にも。作戦にだって、真剣に取り組んでいたのは本気だったわけじゃない。

 先生の機嫌を損ねないよう、頑張る私を演じて“今”を乗りきれるために対処していただけだ。


 そうして惨めを溜め込んだら、やることといえば停滞する私を思い返して嘲笑。


 どうせ雨はやまない。何にも変わらないんだって。

 勝手に自分自身に絶望する。


 だんだんと日常も憂鬱になってきて、私はあと少しかな?とワクワクするようになった。


 だけど、そのせいで──


「己の弱さに逃避することで、同時に重責からも逃れようとしていた」


 陽咲乃の戦いに目を焼かれた時、私のしてきたことが暴露されたようだった。


 どんなときも、


『だから勇香も諦めなければいい。みんなに慕われる生徒会役員、そうなれる運命の地図を、自分の手で描けばいい』


 どんなときも、


『自分を卑下するのはおやめください!!あなた様はその才能で多くの人々をお救いになるのです!!』


 どんなときも、


『そなたは、最高の勇者になれる』

 

「逃げていては到底強くなど成れませんが、そなたにはいくら叩きつけようが茶番と言えましょう」


 私は、“惨め”な私で在ることを望んでいた。


 惨めな私を見て見ぬふりして、最初から運命を向う側に明け渡していた。


 そのせいで、そのせいで、


 ロウさんに誓った克己心も、カズラノ村の営みも、たった一日で破壊した。


 見せかけの英雄を信じてくれた、みんなを裏切った。


 私のせいだ、私のせいだ……そう責めようも、この気持ちですら“惨め”でいるための言い訳に聞こえてならない。


「自らの意思で努力を放棄した落人になど、感情を放出しようが水泡に帰すだけですから」


 “惨め”な私で在りたいと、停滞を正当化して思考放棄。運命を軽々しく手放し、自分が立ち止まっていることにすら気づかなかった。


「役立たずなら救ってくれるとでも思ったか?役立たずなら情けをくれるとでも思ったか?」


 私は私が嫌いだ。

 強くなるからと誓ってすら、心の奥底では今のままでいいと諦めている。


 強くなりたいと意気込もうとも、行動すればどうにでもなれと投げやりになる。


 そのくせ薄っぺらい矜持や使命だけは、人一倍溜め込んでいる。


「この世界で勇者で在ろうとするなら、間引くだけだ」


 私は、表面上で頑張るだけの私が嫌いだ。


「切り……」


 結局、誰かに"惨め”を突きつけられようが、


 私は解放されなかった。


「陽咲乃っ」


 そうだ、願い……願い続ければ……


 おねがい、


 たすけて、


 私をたすけて。


 *


「運命の遊戯か悪戯か、そなたに才能が宿ってしまったのは事実。そなたを育てるのは宿命。我らの責務は、そなたを英雄にすること」


 女が勇香の手を掴み、片手剣を強引に握らせる。


「っ!?」


「黙って強くなれ」

「やだ……や……っ!?」


 勇香は長剣を握るや否や、虫の息の陽咲乃に突撃した。


「陽咲乃、陽咲乃ッ!!!」


「魔王を倒すのは彼女。その刃は必要ない」


 絶叫に反して、身体の所作には一切の迷いはない。


凱旋道(チャンピオンロード)を始めましょう」


 勇香は、勢いよく長剣を振り上げた。


「ヤダァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!」



 カッ


 勇香が斬ったのは、床に張られた集成材の、わずかな傷。


 勇香の懐に潜んだ陽咲乃は、


「訂正する。あんたは変われてるよ」


「──っ!?」


 自身の全体重をかけて、勇香を押し倒した。



「ありがとっ」


 勇香の上で四つん這いになりながら、陽咲乃は笑う。


「……陽咲、乃」


「なぁ、ヒーローが一番カッケー瞬間ときって、いつだと思う?」


 陽咲乃が低く問いかける。


「と、とき……?」


 応えに言い淀んでいると、陽咲乃は勇香の左手に握られた片手剣から指を解き、足蹴りで勇香から遠ざけた。


「アタシは──」


 勇香を背にして立ち上がる。

 短剣の柄を脇にはさみながら、ポーチに手を差し入れる。パンパンに詰め込まれたポーチから、ありったけの魔法具を引きずり出した。


「激闘の最中、悪の組織に片腕捥がれた冴えないヒーローが」


 手から漏れた色とりどりの魔法具が、パラパラと細雪のようにこぼれ落ちた。


「咽び泣く女の子を、目にしたとき」


 勇香を振り向きながら、はにかみつつ口にする。

 患部に魔法具の塊を押しつけた。選別する思考などとうにない。

 治癒の魔法具だけが反応し、じわじわと皮膚の繊維が織り合わさっていく。 


「まっアンタには、アタシのロマンなんてこれっぽっちもわからんだろうけどね」


 陽咲乃は、硬く決意を秘めた眼光を女に突きつけた。


(フィクション)にはさせねぇよ」


「蛆虫が」

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