第106話 悪役
ロールケーキは季節のフルーツがごろごろ入っていて満足感がある。ふたりともあっという間に平らげてしまった。
あの子は机に突っ伏して仮眠中のようだ。さっきの作業が本当に身体にきてしまったみたい。
「陽咲乃ー」
「ん?」
「陽咲乃は負け確にならない?」
顔も見えないあの子が聞いてくる。ゲームに影響受けてしまったのだろうか。
気のせいかな、声に生気がないような。
「なんないよ、だから安心しな」
アタシは、あの子をそっと撫でた。
*
「その話、スッゲー興味ある」
陽咲乃の言葉に、女は微笑した。
「ふふっ、想定通りの反応だよ」
女はティーカップをテーブルに置くと、腕を組みながら語り始めた。
「少し昔の話をするね」
「ご勝手に」
「私と成川君を含めた三人は共に風紀委員に所属していた。特に成川君は『正義』に愚直でまっすぐだった。風紀委員の誉れとされる三英傑の称号を一年にして授かるほど、この学園をより良くしようと動いていた」
「へぇ、副会長になる前にそんなのゲットしちゃったんだ……やっぱすげぇわ」
「わたしも成川君も腕っぷしではトップクラスの実力を誇っていたし、もう一人も『学園最強の付与魔術師』なんて呼ばれていたからね。称号は必然、皆からはどれほど畏怖の眼差しを向けられたことか」
「学園最強の……付与魔術師」
「彼女は人見知りでね。三英傑の授与には最後まで反対していたよ。それでも民意が私たち三人をご所望だったものだから、彼女も引くに引けなくなり渋々受け入れてくれた。あの時の引き攣った笑みは今でも失笑ものだよ」
女は嘲りながら追想するので、どこかのだれかを連想しながら心の中で手を合わせる。
「その時、特に喜んでくれたのが──」
語りざまで、女はふと言葉が途切れた。
その瞳は陽咲乃ではない誰かを凝らすように、茜色を輝かせている。
「……どした?」
「いや、なんでもない。話を続けるよ」
「待った。語る前にさ、一つ聞いていい?」
「何?」
「アンタは成川天真乃に憧れてる?」
「……」
女はしばらく応えなかった。迷っているようでいて、声に出すのを躊躇っているように、口をぱくぱくさせている。相手が相手だ、それが相応しい。
数秒後、女は澄みきった笑顔で言った。
「もちろんさ」
「そっか」
「時々ね、正義とは彼女を形容するための言葉ではないかと思えてやまないんだ」
*
いつの間にか女の回想に魅入ってしまったようだ。
ふと我に帰ると、いっぱいのチョコ菓子の殻がテーブルに散乱していた。どうやら無意識に摘まんでいたようだ。
机の一区画を覆う量に顔を青ざめていた時、鋼鉄扉がズギギと鈍い音を立てた。
「……っ」
陽咲乃がビクリと肩を震わせてる間に女は立ち上がり、扉に向けて一礼する。
隙のない完璧な所作に目を見開くと、鋼鉄扉の外からピンクブラウンの髪の女が姿を現した。
「成川陽咲乃さん。そこにいらっしゃいますね?」
「あんた誰?」
「聖ヶ﨑勇香さんの専任教師、イオリと申します」
(あぁ……あの舐めプ婆と霧谷先生の後継か)
イオリが口にした『専任』教師の響きに惹かれてしまうが、今はそんなときではない。
「勇香はどこにいるの?」
「大講堂でございます」
「ふーん。で、何か用?」
誘拐犯相手に被害者の所在を開示してくれるなんて、なんとも太っ腹な組織であろうか。
「成川陽咲乃さん、我々はあなたを容赦します」
「は?」
「解りませんか?謀反を見逃すと言っているんです」
浮かび上がった疑問の数々が、頭の中で交錯する。
目的はなんだ?何を考えている?勇香は無事なのか?
困惑していても仕方ない。陽咲乃は深呼吸すると、イオリに鋭い目を飛ばす。
「ちげぇよ対価を出せ」
「今後我らは、あなたを英雄の片割れ──“相棒”と認定します。聖ヶ﨑さんと共に我らの元で鍛錬に励んでいただけるのであれば……あるいh」
「それ、真っ先にアタシが否定したことだよね。アンタら奇襲しかけてきたくせにそんな大事な話も聞いてなかったの?」
「選択の余地を与えたワケではございませんよ。委員長からの勅令です」
「そゆこと」
「では改めて……」
「なんねーよ。アタシは一人で十分だ」
考える間もなく即答した陽咲乃に、イオリは眉を顰める。
「“相棒”の意味を、今一度反芻してほしいのですが」
「互いに強さを補い合う、つまり2人で1つ。アンタらのじゃただの盛り上げ役だよ」
「そうですか」
と、押し黙っていた後ろの女から声がかかった。
「あぁそうだ、霧谷先生はご存じかな?」
「ま、まぁね。一年なら」
「彼女は死んだよ」
「……は?」
流れていた時間が、スッと止まったようだった。
「理に抗えなかった、それに尽きる。最期は実に……回収した勇者によれば、遺体は人の形を成していなかったらしい。わたしもお世話になった身として、言葉が出ないよ」
「ッッッ!!!!!!」
大した思い出はない。強いて挙げるなら入学当初から“元気な先生”だった、それだけだ。勇香なら語るにやまないのだろうが。
今すぐにでもこの女たちを締め上げたいところを、陽咲乃はギリギリと歯を噛みしめてしまいこんだ。
「わたしたちの目的は、聖ヶ﨑勇香をなんとしてでも英雄に祭り上げること。これは人類のためであり、キミたちのためでもあるんだよ」
「……っ」
「霧谷先生の死を加味したうえで、キミは本当に聖ヶ﨑勇香を救いたいと断言できる?」
女が静かに問う。思い出を語っていた時の能天気な口調とは異なり、女の言葉は心臓に直接ナイフを突き刺すように鋭利だった。
「約束……したから」
「合理性の話をしているんだ。感情論は捨ててくれないかな?」
女は正論だ。この世界の滞在時間が自分よりもはるかに長い分、反論も気が引ける。
「聖ヶ﨑勇香に明確な才能があるのは事実だよ。彼女が勇者として覚醒すれば、先生の二の足を踏まずに事が動くのは目に見えている。成川天真乃と同じ正義を信奉するなら、人類の未来のために一歩身を引いておくべきじゃない?」
「……っ」
『大丈夫、絶対に逃げ切るから』
自分の理想は、『正義』とは名ばかりのエゴで駆動しているに過ぎない。対して女は人類の未来を考慮した上で、合理的に考え抜いた結果だ。
一人を犠牲にして万人を救うか、万人の生きる道を閉ざしてまで一人を呪縛から解放するか。この世界の未来を考えるなら、選ぶべき道はただひとつだろう。
「でも」
でもそれは、勇香との約束をぐちゃぐちゃに踏みにじる行為だ。
「……引き下がれるわけない」
陽咲乃は顔の見えない女に告げた。女は苦笑する。
「……どうやら、はなからキミは私たちを好いていないようだ。野暮な疑問を投げて申し訳ない」
「ほら、やっと気づいてくれた?」
「?」
陽咲乃は首を背後に傾けて女を見据える。
「アタシは魔王軍なんだよ。アンタらにとって都合の悪いことなんぼでもできる」
挑発めいた陽咲乃の言葉に、女は声を返すことはなかった。
「早く捕まえないとアンタらの理想、アタシの正義でぐちゃぐちゃに蹴り飛ばしちゃおうか?」
「発言を撤回しなさい」
陽咲乃の首元に、魔杖を構えた音がした。
顔を返すとイオリが有無を言わさぬ剣幕で、首筋に魔杖を突き立てていた。
「その発言は魔獣に命を奪われた先人たちへの冒涜です」
「そうだよ。この世界のこと、なんも識らないまま逃げてるからね。アンタらを否定できるのも今のうち」
陽咲乃はにやりといたずらな笑みを浮かべながら、イオリに詰め寄る。
「つーか聞きたいんだけどさー、アンタらって理想叶えるだけの度胸あんの?」
「何?」
「勇香を英雄にするとかさも当然のようにほざいてるけど、アンタらの教育で勇香を英雄にできる保証あんの?って聞いてんだよ」
「発言を撤回しなさい」
「ムリでしょー。リーダーがわざわざ出向かないと勇香を奪取できない、革命家気取りの死に急ぎババァどもに」
「貴s……ガハっ!?」
拳を回転させながら押し出し、イオリの腹を殴打。急所に直撃した拳の一撃に、イオリは膝から崩れ落ちる。
陽咲乃は間髪入れずに一歩後退し、助走をつけて回し蹴り。イオリの顔面に一撃を放ち、転倒させた。
「油断したでしょ、アタシが生徒だからって」
倒れ伏したイオリに、陽咲乃は手を払いながら告げる。
「アンタらを倒せるのも、魔法の使えない今のうち」
陽咲乃は振り返り、一連の流れを傍観していた女に目を向ける。
「止めないの?」
「先輩として、キミには自分の目で確かめることを是非ともおすすめするよ」
女はそう口にするなり、陽咲乃に何かを投げる。
慌てて受け取ると、それは魔法具を収納しているポーチだった。
「そっ、イカレきってはないんだ」
陽咲乃はポーチを腰に携帯すると、鋼鉄扉の前で気絶するイオリを踏み越え、扉のノブを手に取った。
「アンタには感謝してる。アンタの旧友のこと、いろいろ聞かせてくれてありがと」
「わたしこそ、少しでもキミのお役に立てたなら僥倖だよ」
「改めて解った。アタシはお姉ちゃんにはなれない」
力強く扉を押すと、外界から光が差し込んでくる。
「っ!」
瞬間──白煙が部屋中の視界を覆った。女は咄嗟に目を瞑る。
目を開けた時、わずかに開いた扉の前に陽咲乃の姿はなかった。
「……っ」
と、倒れていたはずのイオリがヌッと起き上がる。
「お怪我は?」
「お構いなく。少々障っただけです」
スーツに付着した埃を払うと、イオリは女に訊ねる。
「最側近として、彼女はいかがでしたか?」
「その眼差しはまぎれもなく純血でした。どこか椿川くんとも似ていらっしゃった」
「そうですか」
「けれど」
女は一息置いて、イオリに告げた。
「天真乃の最側近として、彼女のことは応援できません」
「では、心残りはありませんね」
「もちろんです」
*
(あの部屋神託も使えねぇのかよビビったァ!!!)
陽咲乃は純白の廊下をエレベーターホールへと駆け抜ける。
刺客が立ちふさがろうが、腰を抜かしてはいられない。
──今度こそ、約束を果たす。
「……っ!」
人影が見えた。陽咲乃はそれに気づくと、異界から短剣を引き抜く。
見えてきたのは、水色の髪の小柄な少女。ほっとしたのも束の間、陽咲乃は短剣を構えつつ立ち止まる。
「妃樺」
「……」
「何?」
妃樺は陽咲乃に目を留めると、挨拶も交わすことなく陽咲乃を避けて立ち去っていった。
「白く塗られた墓標」
振り向くと、そこに妃樺の姿はなかった。
「……なんて?」
*
舞台袖では、初老の女と勇香だけが開式を待っていた。
「あの」
「心配いりません、そなたは胸を張っていれば」
女は小刻みに揺れている勇香の右肩に左手を置くと、舞台を見据える。
「そなたの未来に、幸あらんことを」
「ぇ?」
「これより夜宮を決行する」