第102話 教師(2)
「あらあらいけませんわね。ご自身の魔法具には自爆防止の付与魔法を施しておかなければ」
陽咲乃を嘲笑うように、草資は悠然とした足取りでやってくる。
「ですが、途中まではかなり洗練なされた戦いっぷりでしたわ。これで半年とは尊敬いたします。敗北は必然の運命、あなたは原石にはお変わりありません」
身体麻痺で、身体は一ミリも作動しない。それ以前に、あの打撃を受けた衝撃で思考すらおぼつかない。
極寒の大地で横になっているような悪寒、息すら労力が要るくらい。荒い息、草資の嘲笑、勇香の号泣を環境音に。
「さて、あなたは声も出せないくらい瀕死ですので、いくつか答え合わせといきましょう」
そう言うと、草資は力なく倒れた陽咲乃の口元に耳を寄せる。息を確認するとすくっと立ち上がり、語り始めた。
「まず、覚醒したあなたは私を脅威と認識していなかった。確かに一見すればそう見えるでしょう。まずは前提を説明しなければ……神託が刺激しますは、感情ではなくってよ?」
「ぇ……?」
自分が許せなかった。恐怖は先に克服したはずなのに、なぜ草資は理不尽たる力を発揮できるのか。戦闘中でさえ、心の奥底では草資に屈しているのかと胸が苦しかった。
「だってそうでしょう?魔獣には感情など存在しないのですから。ヒントは与えたはずですよ」
(そういえば、んなこと言ってたっけ)
「……じゃあ……何に作用するってんのよ……」
脳をフル回転させ、混沌とした思考を強引にひとつに束ねる。打破の糸口が見つかるのなら、少しでも。
「ふふふっ、雀の涙程度の声は出せますのね。頑丈な肉体ですわ」
草資は微笑すると、陽咲乃の胸の中心をちょんちょん突く。
「本能。生物なら誰しもに備わる危険予知の信号。例えば熱いポットに手を触れたら、反射的に手が引っ込むような。これは意識の外側で起こる生得的行動にして、生命存続のための最後の砦。それが、どういうわけか魔獣にも存在するのです」
「……っ」
「私の神託は本能を刺激し、私自身を“脅威”と認識させる。あなたがいくらが理性で押し返そうと、本能が超顕現に刺激されれば身震いする。戦闘時、素知らぬ顔をしていながら私から逐一遠ざかっていたのはそのためですわ」
「……じゃあ……アンタの核弾頭みたいな一撃は……アタシが……アンタに恐怖しまくってるから……」
「否。あなたは理性の引き出し方に慣れている。恐怖しようが、お構いなしに攻撃を模索していたのがその証左です。素晴らしい、超顕現に立ち向かえる人材は委員長だけかと邪推しておりました。まさか生徒の内にも身を潜めていたなんて」
「……っ」
「恐怖にも屈することなく抗う不動の精神。それこそ勇者の素質でございます」
「じゃあ……」
「この泣き声を発する少女は、どれほど私に恐れを為しているのでしょうね?」
言葉を結ぶと、草資は頬を真っ赤に染めて泣き叫ぶ勇香に顔を寄せる。勇香は未だ草資を振り向けば、恐怖に悶えている。
「アンタ……自分で言ってて哀しくないの……?」
「仕方ありませんわ。我が神託、威圧の一点だけは不便なことに常に発してしまいますの。そのせいで生徒からはどれだけ怖がられたことか」
皮肉を口にしながら、自叙伝を語るように狂喜乱舞する草資。
「でも……勇香は……アンタのことを……優しいって言った」
「順応──それだけですわ……初対面では私に恐怖し、ボロボロと涙を零しながらも、これは定めだと私の講義に耳を傾けていらっしゃいました!あの時のしわがれた彼女のお顔は滑稽ッッッ!!私自身、笑いを堪えながらもなんとか講義を遂行いたしました……あぁ、今思い出しても腹の底から失笑が……」
「だれか」
「超顕現も長く接していれば順応し、私に対する恐怖は薄れていきますわ。そして徐々に高感度を底上げしたところで地獄へと叩き起こす。これこそ私の生き様ッッ!」
「おねがい、だれか」
「結果的には、私は自らの失態でマジギレッッッしてしまったワケですが、彼女に地獄を押しつけたには変わりないでしょう。見てくださいまし!あの悲愴に満ちた彼女の御尊顔を!!!実に、実に愉快ッッッ!!!!!!」
草資がどのような人間だろうが、勇香は草資を信じていた。自らの目的を達成するために、その目的を達成するための過程を草資に委ねた。その結果は“惨め”を晒しただけで終わった。
「だれか、だすげで」
才能を認め、勇香を真っ当に教育するのなら陽咲乃でも許容範囲内だ。手出しはしなかっただろう。これが委員会の本性。教師であるはずの草資の実像なのだ。
「アンタ……本当にイイ性格してる……」
「なんて?」
「内に秘めずに思ってることちゃんと剥きだしてくれる。アンタみたいなヤツ、久しぶりに見た」
「どういう意味でしょうか?」
陽咲乃の口から、息のように掠れた言葉が漏れた。
「クソ野郎っつってんだよ」
朦朧とした視界で草資の輪郭を描き、“反抗”とばかりに鋭い目を飛ばす。草資に無傷なのは承知の上だ。これは自分への戒めにすぎない。
「ふふっ、彼女の恐怖で私の能力は格段に上昇し、あなたに対しても地獄を授けることができる。滑稽ですわぁ。彼女の恐怖で力を増幅させた私にフルボッコッッッにされるのはどのようなお気持ちですの?」
「っ!?黙れ……お前みたいな理不尽に……負け……!?」
そう言いながら草資は陽咲乃の首を握り、見せしめるように吊るし上げる。
草資はにこっと微笑むと、陽咲乃の首を掴んだ反対の腕を構え、その顔に一撃を入れた。
「ぐぶっ!?」
「さて、あなたは生徒にして将来有望な勇者の卵。殺傷は禁じられております故」
「ガハッ!」
「やだ、じなないで……だすげて……」
草資はぐったりと力の抜けた身体を空へ放り投げる。
治癒の魔法具を陽咲乃に投擲した後自身も跳躍し、空中に放り出された陽咲乃に拳を振り上げて、
「お遊び程度に……」
神託の溜め込まれた拳を振り上げ、陽咲乃を連続殴打。
「フルボッコですわああアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!」
一撃、二撃、数秒足らずで三十発以上の弾頭が陽咲乃を穿つ。一発喰らうだけでもトラックに轢かれたような衝撃が全身に響く。ギリギリで意識を失わないのは、草資が地獄を演出できるように調整しているのだろう。
「シャラアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!」
草資は絶叫を浴びせながら間髪入れずに殴る。もう身体の感覚が掴めない、命乞いもできない。ぐちゃぐちゃで、やがてはスライムになるまで殴られ続けるだけ。
「たすけて」
(これが、勇香の味わった地獄……)
勇香はまだ泣いているのだろうか。この光景に、陽咲乃を悶々と殴りつける草資に“やめて”と涙ながらに懇願しているのだろうか。そんな声は聞こえない。目の前の畏怖対象に怯えるだけで精一杯だ。
「たすけて……」
(生温い)
草資は最期まで、救いようのないド屑だった。無情でド屑な理不尽に、陽咲乃は踊らされた。まさに父の辿ったバッドエンド。こんな状態でも、父は正義のために抗った。正義の体現者として、ヒーローとして。
このままじゃ、自分も口実が増えてしまう。
陽咲乃は、負け確にはならない?