第99話 生存戦略
教鞭を執る女性教師の声をバックに、藤色の髪の少女が言う。
「あんだけ陽咲乃と一緒にいて、結芽は天性のもんに気づかない?」
「……っ」
「あたしだって、曲がりなりにも生徒会目指してるわけだし、ライバルのこと持ち上げたくないけど……こればっかりは、迷わずに言える」
「あいつは、ホンモノ」
翠髪の少女は空を見上げる。この講義室の天井はドーム型になっていて、宗教画を思わせる壁画が描かれている。脇には神に手を伸ばすように救いを求める人々、中心には真っ赤に燃える太陽。一説によれば、この太陽が勇者を暗喩しているのだとか。藤髪の少女たちが着用する制服のカラーも、太陽を模したものらしい。
「結芽さぁ。まだ自分に嘘つくの?」
「嘘?」
「振り返ってみなよ。入学してから今日までのことすべて」
「……それは」
「結芽は陽咲乃のやってること、邪なものを感じた?」
「……」
「あたし、実は結構ムカついてるんだぁ」
藤髪の少女は、吐き捨てるように言う。
「ぶっちゃけアタシだって、今日日まで結芽とおんなじこと考えてた。委員会も魔王討伐なんて大それた野望を掲げてるし、ひたむきに頑張ってる感出して地位とか狙ってるんじゃないか、とかねぇ。でも結芽の本心聞いて、あたし目醒めたわ」
「何が言いたいの?」
つっかかりが取れたように晴れやかな顔をする藤髪の少女に、翠髪の少女は鋭い視線を向ける。
「どんだけ金と名声に溺れたヒーローでも、大災害の中からみんなを次々に救ってくれたら、“かっけー”って思わない?」
「っ!?」
授業中だから声を抑えたつもりであったが、身体までは制御できなかった。衝動的に立ち上がったせいで、跳ね上げ式の椅子が体重から解放されバタンと背もたれに閉じた。
開閉音でクラス中の視線が一点に集まり、先生も眉をピクピクさせながらこちらを凝視していた。
翠髪の少女はぺこぺこと数回頭を下げると、ふうと一息ついて椅子を直し腰かける。
隣の藤髪の少女をギッと睨むが、少女は髪の少女の言葉を遮るように口を突いた。
「否定するとしたら、それは嫉妬だよ」
「柊和は知らないからそう言えるんだよ」
「まっ、いいんじゃない?世の中の解像度なんて人それぞれだし、結芽のバックボーンとかあたし知らんし、無理に解れとは言えないよ。ただし」
「……?」
「理想を現実に投影すると、生きづらくなるだけだよ」
喉に詰め物でも差し込まれたかのように息が詰まる。それでも、その言葉だけは受け止めたくない。
「それは陽咲乃に言ってくれないかな?」
「だからあいつはホンモノなんだって」
「なんなの?」
「結芽はクラス中に後ろ指刺されてる子の味方になれる?」
唐突に投げられ、翠髪の少女は息が詰まった。反抗してやりがいが、熱は冷めてきた。この場合は素直に本音を漏らすべきなのだろうか。
「……っ」
「だよねー、怖いもん。たとえそれが、生徒会のためだとしても。現に陽咲乃、最近みんなから孤立してるし」
「それが何?」
「女なのに正義がどうのこうのってどうなの?注目集めたいだけじゃない?はじめはみんなやっべー女が同学年にいるもんだってバカにしてた。『アタシには正義がある!生徒会入って現状変えるぞー!』って声張り上げてるヤツいたら距離取ろうとするみたいにね。あいつは同学年なのに体育教師ぶってさぁ、誰かが講義中寝てたら先生より先に背中ぶっ叩いて起こそうとするし、上級生に気さくに話しかけてた時はみんなで『必死だな笑』ってバカにしてた。だけど、陽咲乃は頑なにヘイトに臆することはなかった。そんな自我を肩にぶらさげたまま、あたしたちに接近してきた。仲良くなろうとした」
「あたしたちが少しでも浮かばれない表情してると、頼んでもないのに相談受けようとするし、隠そうとすると悩みを吐くまでしつこいくらい粘着してきた。この世界に来てみんなが打ちひしがれていた時も、聖奈と黒野さんを目の前にした時も、松〇修造みたいに叱咤激励連発しながら鼓舞してくれたし。そしたらみんなふっきれて、生徒会を見始めっちゃってさー」
「あとあと、放課後に陽咲乃と一緒に帰ったことほぼないじゃん?あいつは代表委員の仕事とかで適当に口実作ってたけど、あれって週一しか会議ないし、あたし的に自主練してたと思うの」
「きっとあたしたちがエンタメでわちゃわちゃしてた間、一人で剣振るってたか先輩に稽古つけてもらってたんだよ!それでも付き合ってくれるときはマジで付き合ってくれるし、逆にオールカラオケ誘われることもあった。あんときの陽咲乃、マジで疲労困憊って感じでさー、あたしたち放っといて小一時間一人でマイク占領してたなー。無駄にうまいし九十点連発するから返せって言いづらい、なんなんだよあの完璧女子、ドラマのヒロインかよ」
「ある時、陽咲乃がちょー目をキラキラさせて自分の夢語ってた時あるじゃん?ほら、お父さんから受け継いだーってくだりから始まる……あたしが内緒で成川構文って名づけたヤツ。当時は『コイツやばっ』ってなったよね。内容が小学生男児か!ってツッコミもあるけど、あいつ一切笑いに持っていかず真面目に語ってんだもん。それを今こうやって有言実行してて、しかもみんなに触発させて。その先陣切ってるのが陽咲乃。今思えば、正直かっけーと思う」
藤色の少女は恍惚としながら、想いを滝のように口から放出する。
『ふふっ、拍子抜けでしょ。本当のアタシがこんなクソ連呼暴言吐き魔で……』
「柊和は、そう思えるかもしれないけどさ……」
「んまー……仮にだよ?生徒会の座を爆速で勝ち取った時に別に運が良かっただけだよーとあたしたちを煽り散らかしたいって野望が陽咲乃にあったとしたら。でも、それでもあたしは、尊敬しちゃうな……とにかく、その、このカリスマムーブを平気でできる人間があいつ」
「あたし、さっきはあんなこと言っちゃったけど、今の陽咲乃って悪くないと思うんだよね。むしろ陽咲乃ってカンジで好き。だからもっと頭脳を働かせろよって思うし、陽咲乃の純粋な正義感を利用してる委員会と聖ヶ﨑さんは許せないの」
「……っ」
「陽咲乃の他にも生徒会になるため頑張ってる友達はちらほらいるけど。みんな自分が大事、でしょ?」
自分を否定されたようでつっかかりが増えた気もするけど、陽咲乃語りを永遠に続ける気を感じたので、反抗する気も失せてしまった。
「アイツは子供みたいな理想を本気で実現できると信じてる。裏にどんな想いがあったとしても、陽咲乃は頂点にたどり着くと思う。確証はないけどね」
「柊和」
「ん?」
「……私たちにも、才能あるんだよね」
「そうみたいだねー」
*
『魔術師は接近戦に弱い』
この印象が生まれたのは集団戦の多い勇者だからこそ、戦闘の際に魔法での遠距離攻撃や支援を求められることが原因だ。
しかしそれは常識であって、頭脳を持ち、年月を経て成長できる人間がこんなあからさまな弱点を野放しにしているはずがない。
草資のようなベテランならば、接近戦に持ち込まれた時のために体術のひとつ会得していても珍しくはないだろう。
(今までの戦闘で解ったこと)
草資は明らかに手加減している。
格下だからと言えばそれまでだが、どうもそうには思えない。
陽咲乃を魔王軍と拘束の口実にしながらも、いまだ教師然とした口ぶりと行動。
陽咲乃が今の今まで生き延びているのが何よりの証拠だ。その気になれば一撃で仕留められるのだろうがこれは不自然。とすると二つの仮説が湧いてくる。
一、委員会という組織に難色を示しており、拘束の名目で反乱のための人材と成り得るかどうか見極めている。
二、“絶望”を引き出せる最上の瞬間を伺っている。
一であれば現役の勇者から有志を集めれば済む話であり、残念ながら力不足の自分を頼るはずがない。二が妥当である。
面白い、だったら草資が舐プに精を出している間に決着をつけ、委員会の計画に風穴を開けるまで。
「……っほう!?」
迫りくる陽咲乃に、草資は魔杖を向けた。
「《命じる》──バーニング・レイ&機能付加【連続射撃】」
詠唱とともに、火山の噴火をも凌駕する紅蓮の光線が放たれた。
火花が舞い散り、陽咲乃の皮膚が爛れる。それすらも思考の片隅に追いやり、陽咲乃は大ぶりに旋回。
次々と放たれる光線を身を翻しながら回避し、魔法による反動を利用して着々と草資へ間合いを縮める。
(一発逆転、アマチュアがベテランに勝てないなんて常識、アタシが塗り替えてやる!!!)
「っ!?」
「そんな派手なのぶっぱなしたら、直撃するでしょうがぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
三度目の反動を契機と捉え、陽咲乃は短剣を逆手に握り草資の腋窩めがけて一撃を穿つ。
「ふっ!!」
草資は身を屈めながら剣閃を紙一重で回避。その刹那で脚拳を放ち後退させ、魔杖を陽咲乃向ける。陽咲乃は体勢を立て直すと、放たれたバーニングレイを魔法具で無力化。同時に魔法具を投げつけ、一体の分身を草資の眼前に展開。
腕を振り上げて分身を一瞬で消滅させた草資。だが、分身の背後から彼女に覆いかぶさるように陽咲乃が奇襲。空中で回転しながら草資のこめかみを蹴り上げた。
「っ!?」
だが、草資はその蹴りを軽々と片手で受け止める。その手はグラグラと揺れていた。
(この手ごたえ……まさか!?)
「あなたがすべき足掻きは結界解除の要求ではなく、道化なりの才を開花させることですわ」
「んなら、期待に応えてやるよッッッ!!!!!」
草資が陽咲乃の足を握り、投げ飛ばす。
陽咲乃は空中で身体を回転させながら後退。ある程度の距離まで達すると、今度は草資の斜め前方に駆ける。
そして肉薄すると、ポーチから取り出したありったけの白色の魔法具を草資の周囲に巻き散らす。それらは地面に接触すると、白煙が草資もろともを包み込んだ。
*
(目くらましの魔法か……いや)
白煙により、陽咲乃の姿は視認できない。目視では、だ。草資には陽咲乃の居場所を特定する別の手段がある。
広域結界による魔力感知。いくら陽咲乃が白煙の中奇襲しかけようと、魔力が彼女を特定し攻撃はすべて返りうちに遭う。
すると──
(彼女の魔力反応が……全方位にて複数確認)
一筋の風刃が、草資の髪を掠め取った。
(なるほど、中継器による遠隔攻撃)
機能付加【影法師】
魔法を付与した分身の魔法具を任意の場所に配置することで、発動者の魔力の分身となる核を展開。遠隔操作で魔法を発動させることのできる付与魔法だ。
ひとつひとつの分身には、あらかじめ陽咲乃と同等の魔力が流し込まれている。これなら魔力感知結界に囚われることはない。
(初歩的ですが、粋な掛け合わせです)
しかし本体は中継器と異なり微細な「動」が発生する、よく観察すれば判別は容易。
四方八方から草資を風刃が襲う。草資は魔法具、時には身体の動作でそれを躱しつつ、牽制のためのバーニング・レイを放つ。
だが、次第にその手の力がすっぽりと抜け、遂には頭を抱えて膝をついた。
(おや……)
デバフ目的の遅効性の魔法具に共通して現れる思考の鈍化。
(なるほど、その効果は……ですが極小結界を使用すればデバフなど……おやっ)
小型の魔法具を収納するためのポーチ。通常、草資は出し入れのしやすい背中の腰辺りに装着しているが、いくらそこをまさぐろうも存在するのは虚無のみ。
(手提げが……)
草資は微笑みながら前方に目をやる。
(なるほど、初歩的で……野蛮ですこと)
盗まれたのは陽咲乃が煙幕を展開する前の一瞬。考え得るとすれば、そこしかありえない。
(なんてダサくて姑息、でもこれで、これでいい)
「……っ!!!」
複数の風刃が全方向から飛来する。
草資はその全ての射出方向を視界に押さえるが、思考が鈍ったことでさっきまでの俊敏な動作は失われ、最後の一撃をもろに喰らってしまう。
「ぐっ!!!」
胸部から右上腕にかけての皮膚を風刃が裂き、スーツが破け鮮血がぽたぽたと滴ってくる。
「これは……」
*
(やっとあいつの絡繰りがわかったぞ~)
風刃は草資を、正確には草資の魔力の源、心臓を狙うように的確に射出されている。そのため草資は毎時回避という動作を迫られてしまうのだ。
通常ならばそこで防御魔法で無力化すればよい。なんなら白煙を脱出すればいいものを。それなのに草資はわざわざ白煙の中に停滞し、身体能力だけを駆使して魔法を回避している。
魔術師のくせに防御系統の魔法を習得していないわけじゃあるまいし、乱暴な推測ではあるが可能性はひとつしかない。
(最初は付与魔法の凶信者かとドン引きしたけど、生き抜くためね)
一つの結界を多重にするという小細工、高火力の魔法一つに連射を付与。
そして防御など基礎的な部分を魔法具や物理攻撃に頼る。
普通の魔術師なら、簡単にはこんな型に外れた戦法は思いつかない。いや、思いつく必要もない。
けれど、これが貯蔵できる魔力量が一般と比べて劣る、低魔力児なりの“節約戦法”なら大まかな辻褄が合う。
白煙を抜け出さないのも、脱出した先で奇襲に遭えば間違いなく不利になると理解しているからこその警戒。向こうは魔力を感知できるにもかかわらずだ。魔術師の弱点を突いた近距離攻撃を繰り返していた甲斐があった。
疑問はあと一点。この仮説では術式拿捕や呪人形など、魔力を大量に消費してしまう付与魔法を使用した事実に矛盾するが、たったひとつの最適解で解決可能だ。
(そして、アイツが身を削ってまで術式拿捕を披露して見せた理由。ただイキってたワケじゃなく、魔力量がカスなことを勘づかれないためのブラフでもあり、保険もちゃんと用意している)
身体の治癒以外にも、人間の精神や魔力に干渉できる魔法具は数多く存在する。
その効果は回復や一時的な貯蔵庫の拡張など、だから草資のポーチを盗んだ。
もちろん付与魔法にも同様。付与魔法は非常に厄介で、結界内に侵入した対象の魔力を根こそぎ奪い取る魔法も存在する。
この結界にも事前に付与されていれば、すでに蠅の巣に放り込まれたように吸い尽くされているかもしれない。が、今現在も草資に攻撃が命中していることや、自身の体感としても魔力を吸い取られた形跡はない。おそらく異空武具廠と同様、詠唱などで効果にオンオフを要する魔法系統だろう。
(アイツが付与魔法にやたらと固執するのは、カスみたいな魔力量を重荷に抱えながら長年勇者として歩んで来たからこその悪癖……ってとこかな)
これらの仮説を踏まえてミッションはただひとつ。
魔力を枯渇させた状態で、回復される前にこちらが草資を拘束する。
白煙に風刃を放つにつれ、草資にだんだんと命中するようになった。どうやら草資の魔力は枯渇寸前らしい。
*
「っ!?」
すると突然白煙が晴れ、視界が鮮明になった。そこに映っていたのは、今まさにジェット機のようにこちらへと迫りくる短剣の切っ先。
「ぐっ!?」
草資は鈍りきった身体を強引に湾曲させ、短剣を躱す。だが、その真上に空中回転真っ最中の陽咲乃がいて。
逆さのまま、空中で突き抜けた短剣の柄を握りしめ、くるりと地面に着地するなり左足を草資の右足首に預け、そのまま横にスライド。
草資はバランスを崩して前屈みに倒れ込み、その上から陽咲乃が馬乗りになりながら差し押さえ、短剣の切っ先を草資の首筋に突きつけた。
(まるで、死地を乗り切ってきたような……尖鋭とした瞳……そして)
「これでわかった?アタシは道化じゃなくて」
「才能の塊だってこと」
(なんて純粋で濁りない……殺意の波動)