第98話 天災級の理不尽
この世界は救いようのない人間だらけ。黒い渦の正体を突き止めた時に湧いたこの考えは、今でも変わってない。
しかし救う価値がないから護らないなんて、自分の可能性を封じ込むための言い訳にすぎなかった。大事なのはどう導くかなんだ。
お父さんは頭も身体も不向きだったけど、間違いなくヒーローだった。
お父さんは身を挺して、自分の正義をアタシに導いたんだ。
理不尽から一人でも多くの人を護りたい。この世のありとあらゆる理不尽を許さない。これはエゴであり、エゴじゃない。ヒーローが遺した本物の正義。
正義とはアタシの行動指針であり、希望であり、アタシに巻きついた鎖。
そしてアタシが、この茶番に抗う根源的理由だ。
*
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
チャリチャリチャリ
声が聞こえた。
「たすけて……」
陽咲乃を奮い立たせてくれた、あの人の声が。
「……っ」
チャリチャリ……チャリチャリチャリ
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
我に帰ると、耳飾りが悲鳴を上げていた。
陽咲乃に助けを求めるかのように。
「陽咲乃、たづけて」
あの日の激励が、耳鳴りのように陽咲乃を蝕む。
絡みついて一生離れることのない希望が、陽咲乃に救いを求めている。
「……あなたのことは忘れてないよー」
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
陽咲乃はポーチから魔法具を取り出し右太腿に投げつけると、傷はきれいさっぱりに塞がった。
「ほんっと護るものが多すぎて、ひとりじゃ背負いきれそうにない」
チャリチャリチャリ
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
陽咲乃は虚無の空を見上げ、目を瞑る。
「だからもう。心配しないで」
///だから僕は成ったん……
「《閉錠》」
そう告げると、陽咲乃は足取りを速めた。
立ち止まることはない。後退も許されない。
血糊のついた短剣は、混沌とした雲から突き出た無数の手によって吸い取られていく。その光景を振り返ることはなかった。
「|《命じる》──異空武具廠《開錠》」
陽咲乃は出現した黄金の扉に手を差し込んだ。扉の中から陽咲乃の手から引き抜かれたとき、そこには先ほど混沌へと消えた短剣が握られていた。
(託された理由があるなら、アタシはヒーローで在るべきだ。だからこそ──)
「……っ」
運命を、自らの手で。
「描き続ける覚悟を持て」
「っ!!!」
陽咲乃は短剣を構えると、真正面を突っ切って草資の首へ振るった。
「もうやめなさい。道化の反抗も、これ以上は見るに堪えませんわ」
再起したとて実力差が覆ることはありえない。決死の連撃は、流水のように軽やかな身のこなしでカンタンに往なされてしまう。
「くっ……!」
陽咲乃は草資の脚拳を腹に喰らい、ズザザと引き下がる。
「大人しく絶望を受け入れなさい」
「受け入れたよ、だから反抗してんだろ?」
陽咲乃は間髪入れずに地面を蹴る。餓狼のように敏捷な一手一手は、草資の間合いに次々と侵入する。まるで草資の隙を探るかのように。
「なに?」
草資と陽咲乃の力の差は歴然。
相手の才能は龍級……いや、天災級と形容できる。
けれど、それで屈していい理由にはならない。なってはいけない。
繰り返す。どれだけ必死に戦おうと理不尽は決してなくならないし、理不尽な力の差は崩せない。
これを踏まえたうえで、橘草資に取るべき選択肢はただひとつ。
肉食獣に捕らえられた最後の瞬間でも、子羊は生のために牙を剥く。
超えられない壁に、死ぬまで刃を立て続ける。
ハリケーンに果物ナイフで立ち向かう。
(そっか)
目の前にある理不尽から人々を護り続けるのが英雄であり、ヒーロー。
(この日のためだったんだね)
『だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾に』
今思えば、あの決め台詞は滅されることのない理不尽に、決定された運命に立ち向かう。反抗の決意表明だったのだろう。
(わかりづらいんだよ、天才)
限界に直面しても死ぬまで引き下がらない。誰かが笑顔になるまで抗い続ける。
それが陽咲乃の憧れた正義馬鹿の生きざまであり、天才の在り方だ。
天才で在るなら、死んでも諦めるな。
草資は直立不動のまま、陽咲乃の剣戟を素手で、時には魔法具であしらい続けた。しかし、陽咲乃の猛攻に押されてその身体は微妙に平衡を崩す。
それでもなお、執拗なまでの接近を繰り返し、草資にあしらわれ続ける陽咲乃。
草資はしびれを切らし、魔杖から炎を咆哮した。
陽咲乃は左へ倒れるよう回避し、それを使用して距離を取った。
その腕には、勇香が抱えられている。
「陽咲乃」
「なるほど。彼女のために……」
魔法は威力に応じて人体に反動が生じる。
陽咲乃はそのわずかな一瞬を創り出すために巧みに接近し、挑発を繰り返した。
瞬間が訪れたとき、陽咲乃は回避と同時に素早く草資の背後に回り込み、草資に護られていた勇香に飛びかかった。
陽咲乃は優しく降ろした後、勇香の前で堂々と立ち上がる。
背後をちらりと覗いた。勇香は潤んだ瞳で陽咲乃を見上げながら、わずかに口を綻ばせる。
(他人のを欲しがる必要はない。アタシは、ちゃんと持ってるんだから)
陽咲乃は太陽のように自信に満ちた表情で、草資に短剣を突き立てた。
「おい、理不尽」
「……っ」
「お前は永遠に、高みの見物してろ」
まっくろだけどまっしろで、心の中に思い描いた皆が憧れる頂点。
それは正義を妄信し、また溺愛する成川陽咲乃だからこそ到達できる。
「まずはアンタらの舞台、死ぬ気で崩してやるよ」
陽咲乃は、その一歩を踏みだした。