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ゼロから始まる勇者学  作者: ホメオスタシス
入学編
104/125

第97話 頂点(2)

『全治一か月ですね』

『マジか……』




 アタシは幼少期の頃から人の言葉を理解するにしたがって、紡がれる言葉からその人の本心を読み取れるようになった。

 別に魔法や神託みたいな「対象の胸中を見抜ける特殊能力」があった……わけではないと思う。

 表情筋の声量など感情に直結する挙動の微細な変化から、なんとなく内に秘める喜怒哀楽のパロメータを感じ取ることができただけと今は定義している。


 しかしその力は、幼稚園に入園すると共に昇華した。

 だんだんと人と接する機会が増えたのち、人の心臓あたりに黒い渦が見えるようになったのだ。


 その渦は生ゴミみたいで、触れると菌が蔓延しそう。とにかく思い出すだけで胃酸がこみ上げるくらいには醜かった。

 また渦の形状や大きさは、人によって個性が現れる。

 同級生のは胡麻粒くらいから下半身全体を覆い隠すまでバラエティに富んでいた。

 顕著に大きい渦は、触ると渦の中から伸びてきた手に引っ張られ、沈んでしまいそうだった。アタシは怖くてそういう子との関わりは避けた。 


 一方、大人の渦はみんな似たような大きさだった。アタシにいつも優しく接してくれる保育士さんのは心臓を覆う程度で、何故か棘が突き出していた。

 大人は同年代の子ほど開けっ広げではないし、触っても無害そう。ただ、渦がまるでその人の身体の中に吸い込まれるように内に巻いていたので、気味が悪かった。

 渦が見えるようになった当初は、その不気味さから一週間ほど幼稚園を休んだ。

 

 渦は家に帰っても消えることはない。お父さんやお母さん、兄妹にまで現れる。街を歩いていても、サラリーマンからおじいちゃんおばあちゃんまで、どんな人にも。


 いい加減慣れてきた頃、アタシは黒い渦の正体を知りたくなった。



 *


『この世界は、理不尽に満ち溢れているんだ』


『理不尽?』


『満ちて、いるのさ──』



『あー、次のハッピーセット〇面ライダー……いいね』


 耳を傾ける価値は特にないので、アタシは我が物顔でスマホをいじる。


『み、みち……おーい陽咲乃さーん?あからさまに聞いてなかったフリするのやめない?』

『ごめん聞き流してた』

一対一(タイマン)でありえないよ!お前今「理不尽?」って問い返してたよね!?それ聞いてパパ心の中でガッツポーズしちゃったんだけど!?』

『いや適当に聞いてる感出すために。アンタの話はいつもスケールが大きすぎるから無意識に頭がアンタの話締め出してんの』

『なんだそれ!!近所のガキ共には大盛況だったんだぞ!?』


 お父さんの話はいつも世界やら理不尽やらと世界観が壮大すぎる。一言一句、それってあなたの感想ですよねと返してやりたいが、アタシはもう子供ではない。 


『ていうか、説教しに来たんじゃなかったの?』


『もちろんだよ、悪しき理不尽から民草の護り手として……』

『もうそのくだり飽きた』

『おいおい小学生のくせに大人すぎるぞ?もっと「カッコいい」には目を輝かせろ?』

『イテェダセェ前置きウゼェ~』

『おい、実の父にゴミのような目を向けるのはやめなさい!』

『うっせ怒るなら早くしろ。アンタのお仲間さんからくどくど言われたせいで耳が疲れちゃったから、アタシもう寝たいんだっつの』


『おうそうだな陽咲乃!理不尽って知ってるか?』


『うっぜウッゼウッゼッ!!!』


『そう、理不尽は誰にでも降りかかり、いつ何時かと予知も無謀だ。そのくせ罪なき人間を簡単に辱め、或いは殺める。理不尽とは自然の摂理。僕たちの宿命であり、運命でもある。なくすことなんてできない──』


『もういいもういいもういい』


 お父さんは屈託のない少年のような笑顔で、意気揚々と妄想を語る。恒例行事とはいえ、もはや説教じゃなくて選挙演説を聞いているようだ。アタシは吐きそうなくらいの徒労感を覚えた。


『えー、語らせてくれよ~』


 お父さんは昔から無類の特撮番組好き。休みの日には近くの住宅展示場にヒーローショーに見に行くほどのヒーローヲタクだ。ちなみにアタシら兄妹の付き添いとかではなく、ひとりでだ。


 おかげで説教臭いし、自分ではカッコいいと思ってるであろう迷言もくどいし。

 お父さんは語り出したら満足するまで止まらない。

 急がば回れ、適当に聞き流して早くねy……


『んじゃあ、どうしてお父さんはみんなを護ろうとするの?』


『おっ、良い質問だ……』


『アンタは護ると誓った人間が目の前で死んだとき、どう責任取る?』


『な、なんだ急に』


『教えてよ、ヒーローなら』


 どうせなら本音を暴いてやる。今日のアタシはノリに乗っていた。 

 なんてったってお父さんの黒い渦は、身体を覆ってしまうほど真っ黒だから。




 誰しも綺麗事の裏には自分がいる。正義の仮面を被ることができるのは、自分に余裕がある時だけだ。


 昔、アタシによくつきまくってくる友人の女の子がいた。


 その子はよくいじめられていた、陰気で奥手な性格が災いしたのだろう。


 女の子が受けていたいじめは、まあよくあるものだ。

 女の子は中学生とは思えないほど端正な顔立ちをしていた。そのくせ引っ込み思案という「ギャップ」も備え、まるで小動物のような女の子は男子からめっぽう人気があった。

 それを妬んだ女子グループに顔面にケリを入れられたり、実は他校の不良と付き合っているなどと根も葉もない噂を広められたのだ。


 学校は先生も校長も外面を気にしていじめを正しく解決しようとしない。なので女の子は辛くなると、アタシに泣きついてきた。


 当時のアタシは大人の世界をよく理解していなかった。


 先生は自分のイニシャルを文字って、クラス目標を「~We are Heroes~ 人を助け、笑い合うクラス」と決めていた。だとすれば、いじめのような行為は先生の正義とは相反するはずだ。

 それなのに先生は加害者を罰するのではなく、和解を選択させた。


 アタシは無知蒙昧で馬鹿な先生に憤慨し、加害者の一人をサンドバックにしてもれなく停学を食らった。 


 復学した後も機能不全の先生の代わりに、アタシが女の子の守り神を務めたんだけど……いろいろあってその子は不登校になり、アタシの下にも来なくなった。


 とある一件を経て、女の子の保護者が学校に裁判を起こしたことでいじめ問題は明るみになった。

 教育委員会と一部週刊誌の調査でいじめ行為が次々と発覚し、加害者から学校側までが高波のようなバッシングを受けた。


 しかし、学校側は加害者を罰するどころか当時の上層部さえ一新しようともしなかった。それには職務怠慢だとバッシングが激化。関係者のSNSアカウントや家族までに誹謗中傷の嵐が飛び交った。


 一方で、いじめを受ける側にも問題があったのではと、少女に誹謗中傷の鉾先を向けるアカウントも少数ではあるが存在した。

 それらの正義は大多数が掲げた正義の逆鱗に触れ、あえなく数週間でネットの隅に追いやられることになる。


 数か月後。加害者はようやく休学処分された。校長や女の子が在籍したクラスの担任らは責任を取って職務を辞任した。

 最初の方は加害者を「問答無用で退学させろ」との声もあるにはあったが、時間と共にこの問題は風化し、数年後には別の展開を見せて幕を下ろした。



 黒い渦はエゴとニアイコールだ。


 女の子に和解を命じた先生。彼は休み時間に児童に混じってボール遊びしてくれる「優しい先生」だったので、一緒になって女の子を苦しめたいといった悪意はなかったと思う。


 ただ、穏便に解決すれば「いじめを発生させたクラスの教師」という烙印を世間から押されることはないし、身分も保証される。

 仕事に追われた先生は保身を気にするあまり、生徒間の不祥事(厄介事)には干渉したくない。先生もまた、醜い大人であった。




『護れるきれるよ。パパはそう信じたい』


 結局のところ、どんなに崇高な正義を抱えていても、窮地に陥ると正義を騙っていた大人も黒い渦に呑まれてしまう。 


 お父さんも大人なら、正義によって自分が不利益になる場合でも進まなきゃ、黒い渦が全身まで拡がってまっくろ人間になるだけ。


 そっか、お父さんはまっくろ人間だった。


 お父さんに自分を犠牲にする覚悟はある?


『僕は思ったんだよ。なくすことができずとも、減らすことができるなら。この僕の手で理不尽を肩代わりできるならって』


 直接的な答えになっていないが、なるほどそう来たか。

 今から逃げ道を作った形だ。


『だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね☆子供のころから、ヒーローに憧れてたってのもあるけど……もしかしてそっちがこの職業に就いた本当の理由かもな!』


『えぇ……決め台詞ダッセェの』

『ダサいだと!?』

『ガキでももっと……あっ、ごめん。ずっとカッコいいって思ってたりした?なになに?滅する?正義の盾?イタイイタイからだ中がぴりぴりする』


 今更顔赤くすんなよ大人だろ、こっちまで恥ずかしくなってくる。自分がぶちまけた発言にはちゃんと責任をとってほしい。


『いや、ど、どんだけダサくてもヒーローが言やぁ格言になるんだよ!』

『ヒーローのはダサくないから』

『うぎっ、お父さんもカッコイイの考えるためにこうやって努力してるんだぞ!』


 そう言いながらお父さんは、ジャ〇ニカ学習帳をパステルカラーに魔改造した黒歴史ノートを見せつける。


『努力の方向性間違ってね』

『いいんだよ、パパは皆が憧れるヒーローで在りたいんだ!』


 少年のように瞳をキラキラ輝かせて父は言う。聞いているうちにイライラしてきた。 

 結局それで誰かを救えなかったら、アンタも責任転嫁するでしょーがと。


『ヒーロー好きが高じただけのしょうもない理由でね……』

『だとしてもそれで野放しにしておく理由にはならないだろ?無力なパパだからこそ、せめて目の前にある理不尽から皆を護りたいんだ』

『あっそ』


 もういいわ。鬱陶しさに部屋を脱出するふりして説教モードになってもらおう。


『陽咲乃、お前だってヒーロー好きだろ!』


 急カーブで触れずらい話題にすり替えてきた……


『成川家の次女だからな、正義に燃えるのは不思議じゃない!好きは恥ずかしがらずに誇りなさい』

『うるさい……』


 好きではないが、仕事柄リアタイできないからってお父さんが録画した特撮番組やら海外ドラマやらを暇なとき見ちゃってたりする。テレビ越しなら画質の問題かなんかで黒い渦は現れない。だから本物の正義執行を体感できるのは気分がいい。それだけの理由である。


『陽咲乃は、兄ちゃん姉ちゃんみたくヒーローになりたいとは思わないのか?』


『まぁ家系だし。でもなりたいとなれるは別問題でしょ?』


『それも一理あるね』


『お父さんは、こんなアタシが本気でなれると思ってんの?』


 いじわるな笑みを作る。本当に断言できたら、お父さんはアタシの今までの行いを肯定することになるから。


 これで頷いたら本物の正義馬鹿──


『なれると思うぞ』


 どうやらお父さんは何も考えてないみたい。だから理想をこの世に投影して、救いようのない人間を護りたいと断言できるのだ。


『どうせ兄姉の幻影をアタシに重ねてるだけでしょ』

『なりたきゃなれる。パパにとってヒーローとはその程度の話だよ』


 中身のない格言に定評のあるお父さんだが、今回は鳥取砂丘かってくらいカラッカラで水をぶっかけたくなる。お父さんはどのアタシを見てそう判断できたのかじっくりと訊ねたい。


『適当すぎ』

『適当って……挫折して諦めるか粘って続けるか、いつだって別れ道を描くのはお前だろ?陽咲乃』

『……っ』


『パパも大変だったんだぞー?学校時代は運動音痴で苦難の連続だったよ。日課のランニングでしょっちゅう息切れしてさ、自分が嫌になった。しかも形式ばったことが嫌いな質だから礼式が全然身につかなくて、毎日こっぴどく叱られたよ。拳銃の扱い方勉強してるときなんて、銃撃戦の最中、理不尽の一人を僕が撃ち殺した夢見てびくびくしてた。卒業した今でも思う、ほんっと向いてないよ☆』


 不意打ちの自分語りに愉悦するお父さんだが、その左腕は大いに負傷しているので偉大さの欠片もない。


『はぁ……』

『なに?お前も気になるか?お父さん気に入ってるんだよこの包帯。手負いのヒーローってかっこいいよな?』


 父は包帯がぐるぐる巻かれた左腕を見て性的興奮を覚えている。名誉の負傷は万引き犯を捕まえる際に、突き飛ばされて打撲したものらしい。

 

『てか、自分語りなんて今どうでもいいから早く説教を……』

『それでもパパは諦めなかった。正義のために、選択肢はどんな時でもコンティニューだ!もがき続けて苦しみまくったおかげで、こうして今正義のヒーローやらせてもらってる。まぁ、今はまだ夜な夜な悪ガキをしばいてるくらいだけどな!』

『話聞いちゃいない……』

『でも、いつかはもっとでっかい理不尽を捌きたい。例えば地震雷火事親父だ!そんくらいの理不尽から、大勢の人々を護りたいんだ☆』


 いや、地震って……。


──最初のニュースです。きょう未明、大阪府大阪市のビルが相次いで放火される事件が発生しました。被害に遭ったビルはいずれも指定暴力団『勇武会』の組事務所で、警察は『勇武会』の関連組織が関与しているとして捜査を……


 アタシたちがいる自室の隣のリビングから、夜九時を知らせるニュースが流れてきた。お母さんが帰ってきたみたい。

 

『怖くないの?』

『もちろん怖いよ』


 怖いって言えるんだ……。


『けどさ、今日も僕の正義で周りの人たちを笑顔にしていると思うと、どんだけヘタレでも自分を誇りに思える。理不尽を減らせると確信できるんだ』

『は?』


 眉がピクピクする。どうにもその語り口が銭ゲバや偽善者を彷彿とさせない。むしろその決めつけが違和感にすら思えてしまう。ますますまっくろな理由が解らなくなった。


『これは現役からのアドバイスだ陽咲乃。ヒーローになりたいなら、まずはお前を憧れてくれる人を思い浮かべるんだぞ』

『なにそれ……』

『思い浮かんだかな?』


 思い浮かんだって、


 幼い頃、よく公園でヒーローごっこし……あぁ考え始めてるアタシ、なに他人の口車に乗せられてんだ……


『だからなんなの?』

『その人が笑って暮らせる世界を創れたなら、覚悟の血肉になれる』


 綺麗事だ、わらって暮らしてほしいと心から願える人間なんてアタシにはいない。

 そもそも、“わらう”にはいろんな意味があるのを御存じだろうか。

 笑う、哂う、嗤う、呵う、咲うだ。お父さんは基本的に性善説を愛すが、それは理想であって現実は“笑う”だけではないことを早く受け入れて欲しい。


『そうだ思い出した!』

『っ?』

『パパ、みんなの頂点になってほしいから、陽咲乃って名づけたんだぞ?』

『それがなに』

『だったらヒーローになってくれないと困るな!いいや陽咲乃、今日からお前はヒーローだ!』

『うるせぇ、自分の夢を他人に強制すんな!』

『ハッハッハッ!』

『話聞いちゃいないぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ』


 そろそろヒーロー馬鹿に浸食されて頭がぶっ壊れそう。考えるのも億劫になってきた。

 勝手に武勇伝を語り始めて、勝手に他人をヒーロー扱いして、勝手に自分の夢を他人に挑戦させて、この男はそんなに自分のことが……。


『心配するな陽咲乃。一歩踏み出せば、お前はどこへだって行ける』


「……バカ」


 それからはいつもの説教タイムで、アタシの心は曇りがかったままだった。





 一か月後。ヒーローの物語は、単行本で二巻も届かないうちに打ち切られた。


 手負いのヒーローを嬲り殺した暴力団員の息子は、アタシがよくつるんでいた不良仲間だった。

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