第96話 呪い(2)
(考えるな……それは矜持が許さないって話だろ)
「聖ヶ﨑さんの言葉は真実ですわ。彼女の力は、この絶望的な盤面も一手で反転できる。即ち、あなたたちのカギは月が握るのです」
「……その口ぶり、なにか知ってるって感じ。それが英雄たる所以、勇香の才能ってこと?」
「ですからこちらの最善手は月を喰らうこと──月喰み、ですわ」
厨二的な言語表現に苦笑いするも、陽咲乃は魔術師をキーワードに脳内検索エンジンを虱潰しに巡る。と、検索トップにある回答が表示された。
「精神系の魔法って、人間に使うの禁忌じゃなかった?」
「あら、博識ですわねぇ。魔獣には感情がないのに、人間にも使えないなんて魔法の存在意義に関わります……もっと言えば、面白くありませんわ」
「は?」
機能付加【黄泉阡巌】。対象の心に被さった瘡蓋を引き剥がし、心的外傷を露見させることで恐怖へと昇華させる、感情を持つ生物にのみ有効な付与魔法。
「弱者を屈服させ、強者を証明するのには最上の手段ですのよ。貴方もお使いになったら?」
「お前……ッ!」
草資は泣きじゃくる勇香の前髪を掴み取ると、勢いよく投げ捨てた。
「あがッ!!!!!」
「獅子の子落し、真っ当な教育でございます。何か文句でも?」
「そんな言い訳で、絶望を強制させるな!!!!!!!!!」
横向きに倒れながらも涙を流し続ける勇香。
陽咲乃はすぐさま駆け寄り、勇香を宥めながら傍らで短剣をぎゅっと握る。
「私じゃない……私じゃない……」
「大丈夫落ち着いて」
「違う、違うの」
「アタシを見て」
「陽……咲乃……」
「アタシはあんたの英雄、でしょ?」
トラウマを引きずり起こし、恐怖へと昇華させる術。おそらく英雄としての責務、自己肯定感の低さゆえの劣等感、そして生徒から受けた仕打ちの数々が巨大な塊となり、勇香を蝕んでいるのだろう。
「もうあっちには行かせないから」
「陽咲乃」
「ん?」
「怖い?」
「っんえ?」
陽咲乃は鉛のような重たい足を無理やり持ち上げると、鋭い目を飛ばし草資を威嚇する。しかし草資の光のない眼を覗くと、抱いた憤怒すらもあっさりと吸い取られてしまう。
なぜ、勇香は委員会にとっての英雄なのに、屑を捨てると同然の扱いをするのか。
草資は陽咲乃を捕えるために現れたはず。それなのに時折、その実力を試すような奇行に走るのはなぜか。
いつしか陽咲乃は、思索すらおざなりになっていた。
わけがわからない。そんな未来の見えない恐怖に、陽咲乃は戦慄した。
「ハァ……ハァ……」
(どんなに腰が抜けていても、相手は待ってくれない)
チャリチャリチャリ
(待って……くれない)
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
「ギッ!!!」
陽咲乃は奥歯を強く噛みしめ、地面を蹴った。
「はああぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」
*
『諦めは“死”と同義』
正義執行のため、地獄へと立ち入る自分に言い聞かせていた言葉だ。
陽咲乃はこの言葉を噛みしめ、一心不乱に進み続けた。
どんなときも、どんなときも。
「フッ!!!!!」
みんなの頂点に立つ。口では簡単に言えても、実際に手足を動かしそれを追い求めようとする者は数少ない。だいたい定義すら曖昧だ。生徒会長?警察署長?総理大臣?
「ハァ!!!!!」
理不尽に屈する人がいれば、ひとりじゃないよと手を差し伸べる存在、そうなれたと自分で確信すればそれでいい。だからこそ諦めなかった。いや、当時の陽咲乃にとっては“諦めを知らなかった”が正しい。
「ウガッ!!!!!」
限界を知らずに猪突猛進していたあの頃と比べると、今は自身の裁量をきちんと理解している。
「グッ……がァァァァァァァァァァァァ!!!!!!」
生徒と教師。この二語が並列するだけで、大多数の人間は力関係を把握できる。ましてや何十年以上も場数を踏んだ歴戦の勇者……という肩書まで。そんな相手に、たった半年で魔法を叩きこまれただけの青二才が戦うなど……わざわざ言葉にするのが無駄であろう。
「がァ!!!!!」
(まだ……だ……)
それ、分身、付与魔法の連携、自分にできる引き出しのすべてを試そうが、草資には傷ひとつつけることはできなかった。
まるで太陽まで届きそうな巨大な鋼鉄の壁に、果物ナイフを使って死に物狂いで抜け穴をこじ開けているかように。
草資は一歩もその場を動かずに。陽咲乃は縦横無尽に結界を移動し、草資を翻弄しようとした。
分身で翻弄しようが分身と本体を容易く見抜かれ、それで姿を晦まそうが出現した先に草資は魔法を放つ。
勝ちを確信したすべてのルートの果てに、老婆は微笑みながら仁王立ちしていた。
「ぐっ!!!!!」
決死の反抗も虚しく、陽咲乃は魔法でもない蹴りに玉砕。
唯一の武器すらも、あっけなく手放した。
拾ったのは草資だ。草資は短剣を手に取ると、倒れた陽咲乃の右太腿に突き刺した。
「がぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
激痛が稲妻のように全身を巡る。絶叫は声とは形容できないくらい惨めな、幼子のような金切り声だった。
「ハァ……ハァ……ハァ」
(茶番には……させ……ねぇぞ……)
陽咲乃はそれでも、選択肢を描くためにポーチをまさぐる。長期戦を予想し、ポーチがパンパンになるほど詰め込んでいた魔法具も、手を突っ込むと半分になっていた。
「成川陽咲乃」
「……っ!」
「委員長からあなたをお聞きした時、私はあなたが本物ではないかと目論んだ」
「本……物……?」
草資は短剣を陽咲乃から抜き取り、陽咲乃の手の届く顔の前に放り投げる。短剣に粘りついた鮮血に、鳥肌がハリネズミのように逆立った。
「一学年盗賊職部門主席……噂によれば、実力を買い手合わせを申し出た二学年三人をひとりでねじ伏せたとか……経った半年で」
「……っ!!!」
「彼女らは戦闘後皆憔悴し、口を揃えて唱えた、『一対一なのに千の軍勢を相手にしているようだった』、と」
「それは」
「噂は確信に足りた、反乱を起こすまでの度胸もある……しかし、所詮は弱者の戯れ。肩書は微塵も信頼していない」
「たす……けて」
草資の声音は風が吹けば消え入りそうなくらい小さいのに、その言葉には押しつぶされそうなくらいの厚みがあった。
「258万1925体」
「……っ?」
「私が今までに嬲ってきた、魔獣の総数です」
人並外れた暗記力にツッコむ気力もなかった。
「張り子の虎程度のあなたに、私を倒すことはできますか?」
「助けて……」
「私を殺せますか?」
草資はしばらくの間、沈黙していた。陽咲乃の返答を待っているかのように。
猶予に甘えて思索するも、応えを出す気は起きなかった。
「どうやら私は、一抹の希望に縋っていたようですね」
「たす……けて」
「あなたは、所詮道化」
チャリチャリチャリ
助けてくれと、しきりに声が聞こえる。そんな声にも、陽咲乃は耳を塞いでしまいたくなる。
「たすけて」
(間違いない……アタシは今、自分の死に恐怖している)
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
勇香の手には、ひび割れたネックレスが握られていた。あの時は最後の命を振り絞り、火事場の馬鹿力で勇香の胸に飛びかかった。
きっと今も、陽咲乃なら立ち上がって駆け寄ってくれると信じているのだろう。
(勇香と命……頂点にたどり着くのに選択肢はただひとつって……あっ)
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
「たす……け……」
草資は勇香の手を強引に引っ張り上げ、無理やり立たせた。勇香は涙を流し続けながらも、目線をぶらすことなく陽咲乃を見つめ続けている。
(茶番の意味が……やっと解った)
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
事実は小説よりも奇なりという言葉があるが、陽咲乃にとっては“酷”なりのほうがしっくりくる。
奇跡を起こせるのは運命を描く力を持つひとつまみの人間であり、「逃げた者」を運命は見放す。定説の通り結末は残酷に、いとも簡単にやってきた。
(負け確、か……)
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
目の前の老婆は本物の天才であり、まごうことなき理不尽だ。
理不尽の勝てないようじゃ、勇香の英雄にはなれない。
描き続けたシナリオが、ただの茶番になったのはいつからだろうか。
たったひとりの英雄になると宣言したその時からか。それとも……
『決めた!今度の生徒会選挙に立候補して、アタシは勇香の席を奪う!』
こんな決意をしなければ、勇香が酷い目に遭うこともなかったと。考えれば考えるほど頭が軋み始める。
『お先真っ暗なら自分で光を灯せばいい。運命を自分の手で描くってそういうこt……って、あー、あんたに神託与えても無駄か』
まるで歴戦の猛者のように、勇香の前で運命開拓論を吹聴する姿。それを思い描くだけで胃の中の内容物が逆流してくる。いざ本物を前にすればこのザマだ。
「うぶっ……ぐは」
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
「たすけて……誰か……」
選択肢は他にもあったはずだ。
勇香の相棒になれば委員会の内部に侵入できるし、学園のスパイとして、委員会の実態を秘密裏に学園長へと報告する……そんな運命も描けたはず。現実はそううまく事が運ぶはずないが、少なくとも今よりは穏便で理性的だったであろう。
それなのに一時の感情を優先して、行き止まりを選んでしまった。
この結末は目に見えていたはずなのに、理不尽から勇香を救い出すと、考えもせず決意してしまった。救い出せると、自分に過度な期待を寄せてしまった。
(現実から一番逃げてたのは、アタシだった……なんで、こんなこと……)
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
『張り子の虎程度のあなたに、私を倒すことはできますか?』
(そっか、才能ないんだ。勇香みたいな……英雄になれる……世界を一変できるような……すっごいの)
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
人間には個体差があるからこそ、自ずと「限界」も発生する。限界には身体的性質や性格など多種多様な要素が絡み、自らの能力の上限が決定される。
つまりは努力で補正できる能力値も限界が決まっているということ、それを自覚したのは記憶に遠い。
文字通りの天才を痛感した今では、目の前の老婆にはどれだけ努力を重ねようが実力は追いつけないと肌感で伝わった。
「お願い……私……」
(あれ……おかしいな……)
目頭が熱い。涙が瞼までこみ上げてくる。
勇香でもないのに、齢十六にもなってこんなにも涙もろくなって……。
(頂点……英雄に……ならなきゃなのに……)
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
胸の中では、諦めるな、抗い続けろと矜持が拡声器を片手に叱咤激励する。
本懐はまだ「逃げている」らしい。まるで体育の熱血教師だ。
ふいに草資へと伸びた手は、死の淵からの羨望だった。
限界を知ったはずなのに、矜持は経験を引き合いに出し凡人を否定する。
まだやれる、努力を無駄にするのかと、激情で問いかけてくる。
(コンティニューって難しいんだ。お父さん……)
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
今こそ反芻すべきかもしれない。父の口車に乗せられなければ、もっと早くから現実を視ることができたはずだ。
『なりたいとは思わなくはないよ。でもなりたいとなれるは別問題でしょ?』
(違う。お父さんに責任はない。この結末を選んだのは正真正銘、アタシ自身だ)
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
「ぐっ」
陽咲乃は左足に重心を掛け、重たい身体を持ち上げた。右足を引きずるようにして草資へとよろよろの身体で歩み寄る。短剣は途中に置き去りにした。
「おねがい……」
勇香は心配と恐怖が入り混じったふにゃりとした表情で陽咲乃を眺めている。
一方の草資は視認に留めるだけ、心の底から舐められているようだ。
勇香には限界を考慮できない矜持のせいで、たくさん絶望させてしまった。なにもかも、約束を創り上げてしまった自分のせいだ。
償うには方法はひとつしかない。今こそ現実を視る時。
諦めは「死」同然──勇香を救うには矜持は邪魔なだけだ。
(ごめん……父さん……ごめん……m)
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
(アタシ、前を向くよ)
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾n……
……にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
「アタシは、英雄……」
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
「勇香だけの……」
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
「英雄」