婚約者の裏切り(3)
目の前でおきた惨劇は、一年前におきた婚約破棄のつらい記憶をアンリに思い出させた。
ブランディーヌとの婚約破棄の成立したあの日、描いていた幸せな未来は音を立てて崩れていった。ボロボロに傷ついた心の痛みに、アンリは日々苦しめられたのだ。
それらを忘れるのに、騎士団の厳しい訓練はちょうどよかった。疲れ果てた体は、ベッドに入ると数秒で、夢もみないほどの深い眠りに落ちていく。
すべてを忘れたくて、没頭した。
それだけではない。アンリの入団直後は、意図せず過酷なものになってしまったのだ。
確実に入りたいからと親に書いてもらった推薦状は、体型からくる適性の疑わしさと相まって、不正入試の噂を立てられた。
もちろんそんな事実はない。けれど面白半分に噂をたてる人間にとっては、真実などどうでもいいのである。
日々の訓練では、周囲から出遅れるせいで悪目立する。丸々としたアンリが泥だらけになって転ぶさまは、さぞ面白いのだろう。冷笑と野次が投げられ羞恥に駆られた。
婚約破棄の醜聞も、さして間を置かずに知れ渡っていった。ついには直接話を聞きにくる同僚まで現れたのだ。
悔しさや、惨めさ、憤りや、自己嫌悪の入り混じる日々。絶えず湧き上がる怒りは、体をいじめぬくことで散らしていた。
たったひとり、隊長のフランシスがアンリの訓練を事細かにみてくれたことで、この活力はいっさい無駄のない筋肉へと還元される。
おかげで三ヶ月後には、芋虫がいきなり蝶になるレベルの変貌をとげていたのだ。
華麗なるビフォーアフターの衝撃は、アンリの今までの評価を一瞬で吹き飛ばす。
周囲はまるで初対面の人に接するような態度をとり、過去を綺麗にリセットしてきたのである。
蒼白な顔で淑女の微笑みを絶やさないコレットのショックが、強く掴まれた細い腕から伝わってくようだった。
アンリの婚約破棄は、シルフォン家の庭園でブランディーヌとふたりきりのときであり、側にメイドが数人いるくらいの場所でおきた。
ここには晩餐会の参加者が大勢行き来する。噂好きの貴族たちがこちらに注目しているのだ。
これでは公開処刑ではないか。
(婚約者本人が、姉さんに直接伝えないなんて。公衆の面前で浮気相手が周囲にぺらぺら言いふらしているのを止めようとしないなんて!)
もし今日出会わなくても、どこかでコレットに伝わらないとも限らない。そんなことすら思いつかない短慮な男だったのかと、目の前で困惑の表情をするジルベールを軽蔑した。
(僕が受けた婚約破棄なんて比べものにならないくらい、ひどい仕打ちじゃないか!)
アンリと違い、コレットは自発的にダイエットをはじめていた。その一方でジルベールは浮気していたのである。
(僕は気付けなかったぶん落ち度があったけど、姉さんは違う。ちゃんとしたのに。――あなたのために、あんなに頑張っていたのに!)
不誠実なジルベールと不徳義なフルールに傷つけられたコレットが、不憫でならなかった。
自分の身におきた不幸以上のことが、目の前で愛する人に降りかかることほど、憎悪を掻き立てることなどありはしない。
殺してやりたい。ごく自然に、その言葉が浮かびあがった。
(その舌を引っこ抜いて、目玉をほじくりだして、首を落としてやりたい――)
憎悪が殺意へと変わるは一瞬だった。
アンリの体から立ち昇る殺気を、フランシスは敏感に感じ取る。
「ちょっと失礼、フランシス。話は途中から聞かせてもらったよ」
「――ノエルか。すまない」
背後にはルカとランベルトもいた。どこから聞いていたかは、彼らの表情をみれば嫌でも伝わってくるというものだ。
「いいや、ジルベールもシルフォン姉弟も、クルヘン領に従事する貴族の子たちだ。他領の晩餐会で不祥事だなんて、謝罪するのは僕のほうだよ」
関係者全員の名前を口にはしたが、ノエルの目線はジルベールただひとりに向けられている。
状況の悪さを理解したジルベールと、バツの悪い顔をしたフルールは、挨拶もそこそこに逃げるように去っていった。
一方の不義理で、婚姻関係が破綻する。
この場に居合わせた四大公爵令息たちには、他人事とは思えない事件であった。ついでに自分たちよりも、突きつけられかたがエグイ。
彼らの傷ついた心は、否応なしに刺激されてしまい、全員の顔色が若干悪くなっている。
誰よりも傷ついているはずのコレットは、ショックのせいか、笑顔で宙を眺めていた。
「姉さん、――大丈夫?」
心配いして声を掛けたアンリに、コレットはふわりと笑う。
「ごめんね、アンリ。フランシス様も、ノエル様も大変失礼いたしました」
「どうして、姉さんが謝るのさ、悪いのは全部――」
「違うの。私に悪いところがあったせいなのよ」
ずっと傍観していたルカとランベルトの眉間に、盛大な皺が寄る。
ノエルは、どうしたものかと戸惑う表情をみせて、なんと声を掛けようか悩んでいる様子だ。
「コレット、あなたに落ち度はない。これ以上気に病む必要はないよ」
フランシスの擁護にも、コレットは首を横にふった。
「私にダメなところがあったんです。間に合わなかったから――」
もっと早くにダイエットをはじめていたのなら、今日の事件はおきなかったはず。コレットの頭のなかは、手遅れだった事実と、ジルベールの浮気によるショックでいっぱいだ。
ただ弟のいる前で泣き崩れることはしたくない。なけなしの矜持が、淑女の笑みを浮かべさせ、事態の収束を図ろうと体を突き動かしているだけだった。
「相手が不義理をしたのに、どうして、自分が悪いだなんていえるんだ」
ぽつりとランベルトが呟く。
ルカもノエルも、聞こえてきた問いの答えは、わからない。
最初から立ち会っていたフランシスだけが、落ちてきた答えに苦渋する。
(彼女は、婚約者の裏切りを知る直前まで、深く愛していたんだ――)
後輩のアンリからは、婚約者のために姉がダイエットに励んでいる話をよく聞かされていた。
今日も七年越しの恋人のことを幸せそうに話していた。
裏切りを知って深く絶望し、今もまだ、間に合わなかったせいでこうなったのだと相手の不誠実さを庇っている。
似た境遇の自分たちとは、あまりに違う反応だ。
相手を責めるばかりで、仕方ないと言い聞かせているだけの自分たちは、第一王女のことを、本当はどう思っていたのだろうか。
王女と四人の王配候補。それ以上に心を結ぶ関係など、ありはしなかったのかもしれない。
なら、裏切られたと傷ついて相手に不満を持つのは勘違いのような気がした。今はもう、第一王女を思い出しても、フランシスの心は微塵も疼きはしないのだった。
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