婚約者の裏切り(2)
親し気にフランシスと会話するアンリをみて、コレットは両手をぎゅっと胸の前で握りしめる。
(この人がアンリによくしてくれた所属隊隊長のフランシス・ジェラト様)
柔和な顔立ちにがっしりとした体格、少し日に焼けた肌と茶色い髪に緑色の目は、吸い込まれそうなほど美しい色をしている。心地のいい声と、内面から滲みでる魅力のせいか、気付かぬうちに見惚れていた。
あまりジロジロみるのは失礼だと気付いて視線を外すと、周囲から注目されていた。
(さすが四大公爵の令息。――緊張してしまうわ)
「ジェラト隊長、姉のコレットです」
「はじめまして、フランシス・ジェラトです」
「フランシス様、あの、弟のアンリがとてもお世話になったと聞いています。本当にありがとうございました」
緊張で頬が熱くなるのがわかった。
「いいえ、仕事として当然のことをしただけです。結果はアンリの努力の賜物ですよ。彼はやる気がありましたから、私も協力したいと思えたんです」
「はい。昔からアンリは努力家で正義感が強くて、自慢の弟です。理解していただける方に巡りあえて弟は幸せ者です。フランシス様のご厚情は一生忘れません」
「まいったな。いえ、お言葉は嬉しいかぎりです。ありがとう、コレット」
横に立つアンリの顔が、熟れたリンゴのように真っ赤に染まる。
何度か話題を逸らそうと試みるも、フランシスとコレットはアンリの話題が止まらない。
「姉さん、あまりジェラト隊長を引き留めるのはよくないし、このあたりで、ね」
「まぁ、そうね。失礼いたしました」
やっとこの褒め殺し状態から抜けだせることになり、アンリは息をついた。
姉弟仲のよさに、フランシスから笑みがこぼれる。
「アンリから話は聞いていましたが、噂通りの美しい姉君ですね。お知り合いになれて光栄です」
「ジェラト隊長、姉には七年越しの婚約者がいますから」
「そうなのか。それは残念」
「まぁ、お上手ですね。ふふふ、ありがとうございます」
軽い冗談を交えながら、会話が途切れたときだった。
「失礼。フランシス様に挨拶してもよろしいかしら? 紹介したい方もいますの」
「ああ、久しぶりだなフルール。隣は?」
「はい。お初にお目にかかります。南領ゴルディバ侯爵家のジルベールと申します。以後お見知りおきを」
ちょうどフランシスの正面、向かい合って立ったコレットとアンリの背後から、ジルベールが挨拶をした。
(ま、まさか、今日ここでジルベール様と会えるなんて!)
突然の婚約者の声に、コレットは驚いた。振り返ることができず、アンリの腕に掴まったまま硬直していた。
「今日はフランシス様に嬉しいご報告がありますの。素敵なご縁がありまして、近々婚約することになりましたのよ!」
アンリが、フランシスの前から横に移動して場所を空けた。腕を引かれたコレットは、ジルベールから隠れるようにアンリの横に立つかたちとなった。
視界には先ほどから婚約が決まったと話している令嬢の姿しかみえない。ぴったりと絡められた腕が、親密な関係を主張している。
彼女が握っている腕の相手――。全身が急に冷えて、空いていた手で思わず口元を覆った。
「フルール、まだ話が進んでいないのだから、みだりに口にするものではないよ」
やんわりとジルベールが注意しても、フルールはクスクスと笑うだけだ。
「ジルベール様の婚約解消が済んだら直ぐに発表しますもの。カヌレア家の従事する東領の方々になら、先に紹介しても大丈夫ですわ」
フルールの言葉を、今度は誰も止めようとしない。否定もしないので本当なのだろう。
コレットの思考は一切が遮断された。そんな話は知らない。聞いていない、と。
フランシスは小さく息を吐いた。先ほど友人たちをいさめたばかりだというのに、今度は自治領の侯爵令嬢と、他領の侯爵令息のと不義理まがいの婚約話ときた。頭が痛い。
「ジルベール殿が先の婚約を清算できていないのなら、歓迎はできない。手順はちゃんと踏んでから進めるように」
今度は強めの口調で注意した。晩餐会の主催者としては厄介事など持ち込まれたくはない。
「近日中に決着します。なにも問題にはなりませんよ。よろしければ、そちらの方を紹介していただけますか」
追求を逸らそうと、ジルベールが横にいる男女に矛先を変えた。
見慣れないふたりは、けれど男のほうが激しくこちらを睨んでいることに、ジルベールは違和感を覚える。
「彼は私の部下だ。シルフォン伯爵家のアンリという」
「っ!?」
「お久しぶりです。ジルベールさん」
地を這うような声で挨拶したアンリに、フランシスは驚いた。思わず振り向いた視線は、アンリではなく横にいるコレットに釘付けになる。顔面は蒼白で口元を押さえて震えていた。まさか――
「っ! まさか、君がアンリ君なのか? べ、別人過ぎて気付かなかったよ。いや、申し訳ないね。横の女性は新しい婚約者かな? 一年前に婚約を破棄したと聞いて心配していたんだよ……」
先ほどコレットとの婚約解消を口にしてしまったことに思い至ったジルベールは、しまったという表情を浮かべた。まだシルフォン家に正式な話はなにも通していないからだ。
「その、婚約解消のことなんだけどね、フルールとは侯爵家同士で家格が釣り合うからと打診を受けたんだ。両親も乗り気で仕方なく――」
慌てたジルベールは、この場をなんとか取り繕おうと必死に弁明した。
「いいえ、確かにジルベール様は最初は難色を示されたみたいですけど。一目みて心を決めてくださったと聞いています!」
「フルール!」
「なんですの? だって仕方ないではありませんか。ご婚約者様は、たいそうふくよかだとか。しかもそのせいでハイヒールを折ったのですって。その話を聞いて、おかしくって!」
扇子を持つ手で口元を隠し、フルールは実に嬉しそうに笑っている。ほかにもジルベールから面白い話をたくさん聞いたのだと大喜びだ。
いかにも醜聞を好む貴族らしいフルールに、アンリは拳を握りしめて必死に怒りを堪えた。やっとの思いで、一言。
「――もう結構です」
「そうだな。君たちふたりは、今日は帰りなさい」
退場を求められたふたりは、怪訝な顔をした。仮にも侯爵家のものを追い返そうなんて、よほどの粗相をしないかぎり考えられない。確かに褒められない話も披露したが、それだけだ。
大きな問題と捉えるほうがおかしい。自らの正当性を主張するかのように、そこへ居座った。
フランシスが、アンリの連れの女性を気にかけている。
ジルベールの意識が、やっとそこへ向いた。
金色の髪に蒼白な顔で口元を覆っている、アンリの新しいパートナーらしき女性。
「顔色が悪い。休憩室まで送ろう」
「い、いいえ。フランシス様、ご心配には及びませんわ」
「大丈夫? 無理しないで、姉さん」
「――――――――今、なんて?」
フランシスの鋭い眼光とアンリの憎悪を宿す瞳が再び向けられた。痛いほどの視線すら気にする余裕をなくし、ジルベールは震える女性を凝視していた。
彼女が誰なのか、未だその答えに辿り着けずにいる。
ふいに菫色が視線を捉えた。力なく今にも泣きだしそうなほどに潤む瞳は、深く傷ついているのだと訴える。
「……お久しぶりでございます。ジルベール様」
うっすらと笑った彼女が、自分の婚約者であることに、ジルベールはやっと気付いたのだった。
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