春の女神の神殿訪問(2)
気付いたとき、レティシアの目の前には小さな池があった。
座り込んでいたらしく、ドレスもコートも泥で汚れている。
『ねぇ、レティ。トルテ国は寒さの厳しい国』
姉の声が頭に響いた。
『そのせいか、ときどき冷たく感じられるの』
春の女神の権能は不安定で、それでも最近は宮廷植物園を春の園にかえるほど力を取り戻しつつあったのに。
(咲いて、くれなかった――)
一番大切な、はじまりの神事。春の女神の権能を賜ったお礼に、感謝を込めて献花を供える。女神と王家を、ひいては国とを結ぶ大切な契約。
わかっていたのに、できなかった。
蕾は固いままで、周囲はしんと静まり返って、緊張で体は強張った。
近くでランベルトが懐中時計を何度も開く音がしていた。神官たちもざわつきはじめる。
耳に届かない程度の小声でも、頭のなかには響いていた。
『能力の足りない第二王女。他国の血が半分流れているせいだろう』
『我儘ばかりで、努力もしていない。だから、女神にも見捨てられたのではないか』
『こんなことなら、第一王女を送り出さなければよかった』
きっとそういっているに違いないのだ。両手で耳を塞いでも聞こえてくる蔑みに、レティシアは小さく呻いた。
本当に、寒い。さむくて、さむくて、頭がどうにかなりそうだった。
「レティシア様!」
飛びでていったレティシアに追いついたコレットが、小さく震える体を抱きしめた。
「大丈夫、大丈夫です」
コレットの言葉も届いていないようで、頭を抱えたレティシアが唸っている。
背中をさすって、優しく撫でて、早く落ち着きを取り戻してくれるよう願う。
「大丈夫、大丈夫です」
冷えた体がこれ以上消耗しないように、ぎゅっと力と想いを込めた。
「今日は特に冷えましたから、体の調子が優れなかったのかも。馬車の移動で疲れたのでしょう」
すすり泣く声と、嗚咽がきこえる。
「わ、わたくしみたいなのは、こうやって過ごしていればいいのだわ」
失敗したら、出来損ないと蔑む者たちに反論すらできない。
惨めな役立たずなら、ひとり寂しく捨て置かれるのがお似合いなのだ。
「お部屋に戻って、温かい紅茶とあまいお菓子をいただきましょう」
「こんなときに――」
「レティシア様、よくお聞きになってください」
声色が変わった。いよいよ彼女にまで見捨てられるのかと思い、レティシアは途方に暮れた。
「心の機嫌をとってあげるのは淑女の嗜みです。今のレティシア様は落ち込まれています。ならすぐに自分の機嫌をとってあげることこそが、正しいのですよ」
「――え?」
自らの失態に罰を与えたくて、寒空のしたに身を置いたレティシアは困惑した。
「レティシア様。人は患えば普通の生活はできません。すぐに薬と治療で手当てします。心も同じで、落ち込めば当たり前にできたこともできなくなります」
乱れたレティシアの髪を、コレットが優しく撫でつける。
「心の手当て、――機嫌をとってあげることは、とっても大切なことなのですよ」
「――どうしてお菓子を食べるの?」
「あまいものは、心を幸せにしてくれますから」
病の治療とは縁遠い処方箋だ。とぼけたアドバイスに思わず笑ってしまった。
柔らかい風が頬を掠めていった気がした。コレットがレティシアの頬に両手を添えて額をくっつけている。
「大丈夫、大丈夫です」
「お菓子を食べたら、うまくいくかな――」
「もしダメだったら、今度はカロリーヌも誘って、また別の日にしましょう」
それでは、まるでピクニックだ。厳かな神事だというのに、暢気な話である。
(でも、きっと楽しい)
気持ちがふわりと軽くなった。立ち上がるのも億劫になるほど気落ちしていたというのに。
(ダメなわたくしでも、コレットお姉さまは大切にしてくれる。カロリーヌお姉さまも一緒)
ここにいないカロリーヌは、魂を削ってドレス制作に精をだしていると知っている。その心根を疑うなどもってのほかだ。それこそ裏切り行為になってしまう。
(見放されてつらいのは知っているもの。わたくしが突き放すような態度をとるのはダメ)
周囲の態度に傷ついたからといって、助けてくれる人に悪態をついてはいけない。
そんなことをしたら、本当にひとりぼっちになってしまう。
(強く、なりたい)
大切な人たちと幸せなひとときを過ごすために。
目の前の幸せは、大切に守らなければ消えてしまうほどに儚い。
(もっと、強くなりたい)
冷たく厳しいものたちを、すべて飲み込んで溶かしてしまうほどの温もりを、欲した。
「レティシア様、みてください」
コレットの指ししめすほうをゆっくりと向いて、レティシアは目を見張った。
****
フランシスは、気の立っているランベルトの体を羽交い絞めにして引き留めた。
「離せ! 神事の途中で逃げ出すなど言語道断。引きずり戻して説教してやる」
「落ち着けランベルト。相手は十四歳の子供だぞ」
「そんなことは関係ない。これは国と女神の契約なんだぞ!」
力で競り合えば、騎士団に所属するフランシスに軍配が上がる。
「お前、フランシス。神事の邪魔をして無罪で済むと思うなよ」
引き留めていた腕が緩んだ。解き放たれたランベルトは乱れた服装を直している。
「ランベルト様、たたた大変でございます!」
「今度はなんだ!」
「神殿の花が、満開となりました!」
「――は?」
あわてふためく神官の抱えていた植木鉢には、確かに百合が咲いていた。
「成功でございます、花吹雪まで顕現いたしました!」
室内から、風に乗った白い花びらが舞い落ちてきた。
「花吹雪は、春の女神からの友好と親愛の印。よかったな、ランベルト」
室内では歓喜が上がってる。
「私は、認めない。認めないぞ――。こんないい加減な神事で――」
ぶつぶつと呟くランベルトは、周囲の言葉にも耳を傾けずに、考えにふけった。
「ランベルト、神事は成功した。レティシア殿下が春の女神に認められた、ということだ」
それは許容できない、と心が拒絶した。うねる感情を抑え込むのに必死になっている。
「レティシア殿下では不満があるのなら、それこそ不敬だろう」
落ち度を指摘されたことに腹を立てて、睨みつけた。
「不敬? ――私に落ち度があると、そういいたいのか?」
「レティシア殿下は、トルテ国の女王になられるお方だ」
どんなに不満をもとうとも、その事実は変わらない。
(違う、私は――)
この神殿で、春の女神に祝福された第一王女の姿が浮かんだ。
薔薇や百合よりも、ミモザのように可愛らしい花が好きなのだといっていた。
(アガット殿下。私はあなたが女王になるために、尽力してきたんだ)
レティシアがダメなのではない。アガットでないことが、受け入れられないのだ。
【お願い事】
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