春の女神の神殿訪問(1)
『ねぇ、レティ。トルテ国は寒さの厳しい国。そのせいか、ときどき冷たく感じられるの』
姉の言葉を思い出したレティシアは、かじかんだ手に、ほぉと息を吹きかける。
なるほど、まだ季節は秋だというのに、冷たい。
長く住んでいたアマンド国なら、豊穣祭の熱気でまだまだ暑い日がつづいているだろうに。
ずっと鼻をすすり、羽織っているコートの前をしっかりと合わせなおした。
ドレスとランジェリーは、カロリーヌが最初に作ってくれたものを着ている。コートは、どうしても時間がとれないからと既製品を選んで持ってきてくれた。
『お披露目会が終わったらウィンターウエアを作るわ。今はこれで急場をしのいでほしいの。ごめんなさいね』
選んでもらったコートは軽くて暖かい。レティシアの体に配慮したものだと、すぐに分かった。
(これも大切に使うわ。どれもわたくしの宝物――)
心がほっこりとあったまる。
(コレットお姉さまも、カロリーヌお姉さまも、全然違う性格なのに、ふたりともあたたかいの)
きつめの発言と、とぼけた答えのやりとりは、思い出すと笑いがこみ上げてくる。
(楽しいから、あたたかいのだわ。――冷たいのは、この国の気候だけよ)
きっと姉は、レティシアの体を心配してくれたのだと思っていた。
****
北に連なる山脈の麓に、春の女神との契約を結ぶ神殿がある。
王都からは馬車で数時間といった、少々辺鄙な場所にあるため、人は少ない。
馬車移動に少し疲れた様子のレティシアに代わって、コレットは休憩をとりたいと申しでた。
「ダメだ。時間が押しているから早く着替えてくるように」
女神の神殿を管理するのはモンテビア公爵家。案内役のランベルトは懐中時計を指さして休憩を断った。
「コレット、着替えのときに少し休ませてからきてくれ」
「わかりました、フランシス様」
護衛役で同行するフランシスは、ランベルトを極力刺激しないよう配慮する。コレットもその案に従い、用意された部屋にはいった。
「レティシア様、セレサはここまでしか付き添えませんが、心はいつもお側におりますから」
他国出身のセレサは、格式の高い場所への出入りを制限される。
「また後でね、セレサ」
いつも側にいる侍女から離れる心細さを感じてはいたが、レティシアは平気なふりをした。
「着替えなら本当はカロリーヌのほうが適任ですが……」
「カロリーヌお姉さまは、わたくしのために忙しいのですもの。コレットお姉さまがきてくださるだけで心強いです」
王家の一員であるレティシアは、春の女神の神殿へ参拝しなければならない。
そのとき、権能で咲いた花を供える必要があった。
「トルテ国にきてから弱まっていた能力も、やっと戻りました。今日は失敗できないのです」
携帯用の茶器で淹れたお茶を受け取ったレティシアは、ひとくち飲んで体を温める。
移動時の寒さと緊張のせいで冷えた体に、じんわりと温もりが広がっていった。
「最初のお茶会から、お会いするたびに、たくさんの花を咲かせましたものね。宮廷植物園の花は王族の方々が咲かせているのだと、はじめて知りました」
花が少なかったのは、代替わりした第二王女が務めを果たていなかったせいであった。
今では、春の季節に迷い込んだと間違うくらいに、宮廷植物園の花は咲き乱れている。
「とても綺麗な宮廷植物園になりましたから、今日もきっと大丈夫です」
「そうね。いつも通りに咲かせればいいのだものね!」
体を温めて、着替えを済ませたレティシアは、小さく息を吐いた。
トルテ国の正装は、小さく華奢な体にずしりと重くのしかかっている。
(本当に重たいし動きづらいわ。――でも今日だけだもの。我慢、我慢よ)
本殿の入り口までいくと、ランベルトが立っていた。
「遅れていると伝えておいたはずだ」
不機嫌そうな態度からは、拒絶するような重い空気が伝わってきた。
(わたくしが、気に入らない、――ということかしら)
余所者、無知、低能力。レティシアのことを不愉快だとする理由などすぐに思いつく。
別にレティシアもランベルトのことは気に入ってはいない。コレットやカロリーヌ以外は、好きじゃない。
(おあいこだもの。気にしてはいけないのよ)
欝々とした気持ちで付き従っていくと、大きな扉の前まできた。
「ここからは、付き添いも護衛も不要だ」
ランベルトの指示に、レティシアの眉根が寄る。
「ランベルト、第二后妃より片時も離れないよういわれているんだ。私はここで待つが、コレットは同行させてやってくれ」
「誰であろうが、決まりには従ってもらう。春の女神への献花奉納は、神官と選ばれた者のみでおこなう神事だ」
筆頭公爵モンテビア家。
建国時には神官として国に仕えていた一族の末裔。神話の時代に連なる特別な家系だ。
彼らの発言は、ときに王家の意向を退く力をもっている。
「レティシア様、大丈夫です」
なにが大丈夫だというのか。コレットは、気の利いた言葉を掛けてあげられない自らを呪う。
目の前の背中からは、絶えず動揺が感じられるというのに。
沈痛な面持ちのコレットに、ランベルトは遠慮なく侮蔑の念をぶつけていた。
先程から、果たすべき義務を感情論で妨げている。指摘したのに悪びれもしない第二王女と付き添いの伯爵令嬢を、鬱陶しがっているのだ。
くるりと振り返ったレティシアは、穏やかな笑顔を浮かべた。
「はい、大丈夫です」
冷気の流れてくる暗い扉のその先へ、小さく一歩を踏みだした。
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