失恋には、あまいお菓子(1)
ジルベールとの婚約解消は、晩餐会の翌々日には成立した。
まるで七年の歳月に未練などないとばかりに、あっさりと。
コレットにとっては二重のショックであったが。それでも済んでしまったものは仕方ないと、自分にも周囲にも言い聞かせて、暗い雰囲気にならないよう笑顔を浮かべた。特に弟のアンリには迷惑を掛けたくないと、半ば意地になって普通を装ったのだ。
「姉さんが心配だし、しばらく邸から騎士団へ通勤するように変えるよ」
「大丈夫だから! お願いだから、アンリは自分の生活を大切にしてね」
説得されたアンリが、しぶしぶ寄宿舎へ戻るのをコレットは元気よく見送った。手をふりつづけ、馬車がみえなくなった次の瞬間、プツリとなにかの切れる音がした。
コレットの心は、満を持して暗黒面へと転がり落ちる。
一日五回の食事と、三回のおやつを自室に運んでくるようメイドに指示をだし、引き籠り生活をはじめたのだ。
今日もシュミーズドレスにガウンを羽織った軽装で、ケーキに手を伸ばしながら長椅子でだらけている。テーブルにはアフタヌーンティーにホットココア。ポットには紅茶を蒸らしてある。
正直、味などどうでもよいのだ。迫りくるストレスを甘味で紛らわし、食欲を満たすことで一時的にでも苦痛から逃れていたいだけなのである。
彼女は、その身におきたすべての出来事を思い出すたび、後悔と自責の念に駆られていた。
まず、ジルベールと挨拶したあとからタウンハウスに戻るまでの記憶がない。失言したのではないかと不安で胃が痛い。
初対面のフランシスや、同席していた四大公爵令息、その他大勢へ醜態を晒してしまったのも恥ずかしくて気が狂いそうになる。
そもそも、一年前に弟の婚約破棄を目の当たりにして一念発起したのに、一年後にまさかの同じ轍を踏んだのだ。実に間抜けである。
最悪なのは、コレットの婚約解消に引っ張られてアンリの婚約破棄まで再び噂に上がってしまったことだ。申し訳なくて、穴を掘って入って埋まってしまいたいと何度も思っている。
『シルフォン家のご姉弟は、どちらも婚約がなくなったそうよ。その理由が――』
という具合に、そこいら中で話題にされているに違いないのだ。なにせ相手は両方とも侯爵家。自分たちに都合のいい噂を流しているだろう。
(つらいわね。本当にしんどいわ。しかもジルベール様は私の失態をネタに、フルール様と笑っていたのね。――ぐふぅ)
ハイヒールが折れたとき、周囲にジルベールしかいなかったのを内心喜んでいたというのに。今では不特定多数に知れ渡ってしまった。死んでも死にきれない。
「――うわぁぁぁぁぁ!」
衝動に駆られ、手元のクッションをボカスカと叩く。羽毛が飛びだしてフワフワとあたりに舞う。そしてテーブルの食べかけのショコラケーキや、手付かずのアフタヌーンティーの上に落ちた。
「うわぁぁぁん!」
今度は、お菓子の危機を目にして悲鳴をあげた。
クリームについてしまった羽毛を手で取りながら、指についたチョコレートをしゃぶる。
(ハイヒール以外の話までしたなんて。――どれ? どれのことなの!?)
七年という歳月は残酷である。意図せずおきた事件事故は多数あった。覚えているかぎり、どの場面もジルベールしかいなくて本当によかったと胸を撫でおろした記憶がある。つまり黒歴史。
(ダメだ。死にたい。いいえ、死んだらもっとダメなんだけど!)
頭のなかで黒歴史のシーンが次々に巡る。切り替わるたびに。当時の羞恥心が体の奥からぶり返してきて――
「――うわぁぁぁぁぁ」
衝動に駆られて、手元のクッションをボカスカと叩く。中の羽毛がフワフワとあたりにおい、再びテーブルへと落ちていった。
「うわぁぁぁん」
へこんでは悩み、記憶に翻弄されては叫んで暴れる。コレットの一日は、ほぼこの繰り返しである。
その合間に運ばれてくる食事とおやつを口にして、幾ばくかの安寧を得ると、一日ゴロゴロするばかりであった。
アンリには到底みせられない自堕落生活だが、家人はみんな優しいので、見ないフリをしてくれている。騒ぎすぎると時折心配してみにくる者がいる程度だ。
コンコンと扉を叩く音に、思わず口元を手で覆い息を潜めた。
「お嬢様、ミアでございます。今日付けで領地からタウンハウスへと移動になりました」
(どどど、どうして、なんでミアが?)
ミアはカントリーハウスでコレットのダイエットを峻厳に管理していた、優秀な侍女である。
彼女は主人にも物怖じせず、厳しい発言を遠慮なくする。そのおかげで自分に甘々なコレットでも、ダイエットをつづけられたのだ。
ゆえに、今は会いたくない人物上位にランクインしている。できればこのまま今日も明日も優しくされたいし、あまやかされて過ごしていきたい。
招かれざる客が、なぜ現れたのか。
あまやかし担当筆頭の執事が、部屋に籠りきりのコレットを心配して、領地で仲良くしていた侍女なら話し相手になるだろうと、気を利かせて呼び寄せてしまったのである。
(どうしましょう。ミアなら斧でドアを破るくらいしかねないわ)
ミアの登場に思わず慌てたコレットであったが、すぐに無気力に長椅子へ寝そべった。
見渡す部屋は散らかり放題。床にはお菓子の食べカスに、食べ零しの汚れが絨毯にいくつもついている。羽毛がそこいらに舞っていて、とてもではないがミアを部屋に入れるのは躊躇われたのだ。
そのまま目を閉じ、聞こえないフリをする。
部屋の外から人の気配が消え、コレットは安堵した。気分を変えようとサイドテーブルに置いてある本を手に取る――が、ものの数分もしないうちに、脳内は過去記憶に占拠されて再び悶絶するのであった。
先ほどより一時間くらい経っただろうか。
ガンガンガン、と激しく扉を叩く音で目が覚める。
「ドレスを持ってきたわよ! ランジェリーも! いい加減にでてきなさい。あなたの家の勤め人が全員困っているじゃない!」
(っ! か、カロリーヌだわ。――ミアが呼んだのね)
流石に尋ねてきた友人を無視はできない。ベッドのリネンを剥ぎ取り、身にまとって体を隠すと、少しだけドアを開けて顔を覗かせた。
「ご機嫌いかがかしら、コレット」
「――カロリーヌ。私は具合が悪くて死にそうだわ」
隙を突いて、カロリーヌは片足を扉に滑り込ませる。
「あっそ! それは御愁傷様ね」
次の瞬間、ドアは開け放たれた。慌てて死守するコレットをひらりとよけて、部屋へと入る。
「ちょっと、なによこの汚さ。なにしているのよ!」
彼女の叫び声で、息をひそめ待機していたメイドが一挙に部屋へとなだれ込む。
リネンにくるまったコレットはミアに抱きかかえられて、部屋の外へと連れだされた。
「ミア、申し訳ないけど別の部屋を借りられるかしら?」
「かしこまりました。むしろありがとうございます、カロリーヌ様」
ミアとカロリーヌの連携タッグにより、コレットの引き籠り生活は終止符が打たれたのだった。
【お願い事】
楽しんでいただけましたら、下にスクロールして
【☆☆☆☆☆】で評価 や いいね
を押していただけると、すごく嬉しいです。
(執筆活動の励みになるので、ぜひに!!)
。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。.。:+*゜





