7話
身体の欠損、前世であれば手や足がもげればまず再生など効かず、義肢などを付ける事もあるだろう。ではこの世界ではどうか。単純な知能の持ち主であれば、どうせ魔法で万事解決だとか抜かすのであろう。ここで一つちょっとした常識を語ろう。
この世界において、冒険者と呼ばれる職業の平均寿命は短い。当然命を懸けて魔物と戦ったり、場合によっては傭兵の様に戦争に加わるのだから殉職率は語るに及ばず、自然寿命で死ねる数なんて高が知れている。
そこでなお、そういった数を分母とした場合、つまり冒険者を引退し、天寿を全うした連中について調べてみた場合、驚くほど早く亡くなっていることが多いのは、果たして偶然だろうか?
法術などと呼ばれるそれは、術者のレベルが高いほど怪我人の消耗が少ないとされている。逆に言えば、術者のレベルが低かった場合は怪我人の体力が驚くほど消耗するそうだ。無論高位の冒険者であれば消耗する体力をカバーできるらしいが。
つまり何が言いたいかと言えば、実験に用いた植物の異常成長や枯れ具合を見た限りにおいて、法術とやらは必ずしも万能の神の奇跡などでは無い、ということだ。具体的に言えば、生命力だとか寿命だとか、そういったものが代償になっている。
その上にネックになるのは知識である。欠損した部位がどういうものだったかなどは言うに及ばず、どのように回復したならその部位が再生するのか。傷が治る過程をイメージするだけでは明らかな不足、秘匿されている知識でも怪しいものだ。
つまり、欠損した部位を治せる司祭など、それこそ最高位の大司教レベルでも怪しい、という事になる。つまり、今回における問題点はおおよそ3点に集約される。私の才能では不可能な治療、世話役の体力の不足、欠損していた事実を知る人間が存在している事。
だからまぁ、それから1月も経たないうちに私の世話役が失踪したのは、仕方のない事だったのだろう。ついでに言えば、どうも教会内である程度大きな不審死があったらしい。本当に怖くて悲しい事だ。
あれ程ブクブクと信仰心で肥えた体が嘘のようにミイラの様に萎びて、まるで即身仏のようだったらしい。あくまでも人伝に聞く限りだが、恐らくは信仰心が高まりすぎて熱心に祈りを捧げすぎたのだろう。実に見事な信仰心を持った惜しい人物が亡くなったものだ。
新しく世話役になった人物はどうも恥ずかしがり屋らしく、普段はローブをかぶり容姿が伺えない程だ。ただしプライベートゾーンは狭いのか、しきりに接触しようとしてくるのは戴けない。まあ相手もこちらも子供なので、間違いなどは起こり得ないのだが。
他に誰もいない部屋でローブを下したその頭を撫でてやれば、その長い耳をピコピコと動かしながら幸せそうにその翠の両眼を細める様は、まあかわいらしいと言えるので良しとしよう。私はそう思いながら研鑽を続けるのだった。