4話
王都についてからの生活は、まあ何と言えばよいのだろうか、楽と言えば楽で、きついと思えばきつい、そんな感じの物だった。
どうやら我が故郷の神父様はそれなりに教会内での権威があったらしく、言ってみればのんびりとした環境で楽隠居に近い左団扇な生活を自分で用意して赴いていたらしい。おかげでどこの馬の骨とも知れない私ではあるもののそれなりに好待遇で迎え入れられたようであった。
というのも、本来神官になりたければ掃除や洗濯などの雑務を下積みとして行いながらそれなりの年月をかけて説法を聞き、充分に教化されてから初めて学問に取り組むらしい。それが幼い子供でありながら自由に蔵書を閲覧できるのは、明らかな優遇だろう。
一方で、生活の様式に関しては一変した。朝起きればまず礼拝堂へ赴き、信徒一同で高位司祭の話を聞き神に祈る。雑務を行う年上に複雑な感情のこもる視線を受けながら基本一日読書を行い、法術の手解きを受ける。
事あるごとに神に祈りを捧げねばならず、また周囲の全ての人物が神の信奉者であるこの状況は、もし宗教を嫌厭する人間であれば確実に精神を病んでいただろう。いや、別に私は神や宗教に特段強い感情を抱いていないのであったが、それでもストレスはあった。
別段信仰心が無いわけでは無いものの、敬虔な信徒かと言われれば疑問どころか否と答えてしまえる、それでいて熱心に信仰しようという気にもならず、心情としてはどこか別の世界にでもいるような、などと思ってからふと転生したことに気が付く有様。
これで生まれ変わる前に神様に、あるいは邪神なり悪魔なりでも良いから超常の存在に遭遇していれば、なるほどそのような存在を確信していただろう。しかし生憎と私は幽霊を信じていなかった質なのだ。生まれ変わった程度ではいそうですかとはならない。
加えて、そんな私であっても法術とやらが扱えたことはそういった考え方に対して良くも悪くも作用した。まあ教会からしてみれば確実に悪い方にだが。
無論、そういった不信心な事は一切口外していないし、匂わせるようなことすらしていない。半年も経たずに嫉妬の混じった視線が尊敬の念に変わったことを考えれば、むしろ私が如何に周囲に対して敬虔かつ優秀な信徒を演じられていたかはわかる事だろう。
つまるところ、実際にあたらしい生活において不満な点と言えば、少々食事の質が落ちた事を除けば、それ程問題は無かったのであった。