3話
神父との旅路は、まあそれ程長い期間では無かった為語る事もそう多くは無い。教会を任されている身分にしては中々フットワークが軽いとは思ったが、旅にかかる期間を考えれば無責任に限りなく近い何かだったのではないだろうか。
まあ別に神父が一人で教会を運営したわけでもなく、年単位で離れるわけでもないのだからそこまで大きな問題は無かったのだろうが、多少気になったのは前世との相違点である。つまり、魔法というものに関してだ。
この世界では、まあ本当に存在するかには議論の余地があるとして、それこそ万人が神の存在を信じている。というのも、教会がそう主張している以上に理由こそ無いものの、説得力に関しては前世の比では無いからだ。
教会が神の奇跡であるとし、魔法とは異なるとする法術と銘打つそれは本当に神の恩寵なのかもしれないし、信仰心の発露なのかもしれない。が、恐らくは他の魔法とそう変わらないものではないか。まあそんなことを関係者の前で言えばどうなるかは想像力があればわかる事だが。
ともかく、街で大きな怪我などがあれば教会に運ばれるのである。その時に最も回復に長けた人物が居ないというのは、問題ではないかというのが私の考えだったわけだ。その辺りを上手くぼかしながら訪ねてみれば、どうやら本当にそこまで大きな問題ではないらしい。
というのも、どうも法術においては術者のレベルと怪我人のレベルにより効果が少なくなりこそするものの、街の人間であれば同じくシスターや見習いでも治癒できるそうで。これが高位の冒険者や騎士などになれば話は別だが、との事であった。
つまりまぁ、戦争中でもなく、冒険者がわんさか居るわけでもない、まして高位冒険者が行くような秘境も近くない、良く言えば立地の良い、悪く言ったところで平和位の生まれ故郷であれば、高位の実力者が居なかったところで問題は無いというわけだ。
こうして私の些細な疑問は解決するとともに、どうやら神父に与える印象が他人思いの良い子寄りになったと、まあ言ってみれば印象を良くすることが出来た、というわけである。