1話
およそ人生において、物事の起こりというものは大概が唐突なものだ。事前計画された小学校の避難訓練も、生徒であった時分には突然のハプニングに近かった。まあ最近はそうでもないかもしれないが。
この考え方はどうにも頭の良い連中には受け入れがたいようで、つまるところ彼らと比較してみれば私は明らかに凡人だった。いっそ不器用だとか、そういった部類だったのかもしれない。どんくさいとまで言われた記憶は無かったが。
つまるところ、そういった要領の良い連中と違い非才の我が身としては、大概の事象は突然に感じるわけで、逆に言えば大概の唐突とやらには慣れがある……と言えれば恰好も良かったのだが、生憎と慣れないからこその突然である。
だからその日も、多分自身に降りかかった何らかの突然によって命を落としたのではないだろうか。そう若干の虫食いのようになった記憶を遡りながら考える私は、一体全体何の冗談なのか幼児になっていた。人一人の人生というのも、思い返すようにすれば数年経たずであった。
果たしてこれが長いのか短いのかはさておくとして、どうもよく眠ってばかりだった手のかからない息子だと評判の私は、生まれ変わりというものを体験しているらしい。走馬燈とはまた別のわが人生の回想とはまた別に、わずかばかり思い返される幼少期。
そのおかげかはてさて、最低限の会話に必要な言語機能は発達しているようで、こちらの世界での考え事はこちらの世界の言葉で、前世の記憶に関する考え事は自然と日本語で。前世ではついぞ習得できなかったバイリンガルというのもこういうものなのだろうか?
そのおかげなのか、よくある小説のような幼少期の時分から子供とは思えない話し方云々というものとは無縁の、よく言えば大人の真似、悪く言えばたどたどしいしゃべり方での会話は中々どうして、それでもこの子は天才じゃないかなどともてはやされる始末であった。
親の欲目というのは中々どうして物事を上手く誤魔化してくれるものだと思いつつも、褒められてまんざらでもない嬉しさを感じるのはきっと、まだ子供だからというだけは無く。それに加えて天才と呼ばれたことが、もしかすればそうなのかもしれないという淡い期待もあったのだと、思い返せばそう思えるのだ。