伯爵様の信心
ぐっすり眠って朝早く起きた。サラがどこからともなく現れて、身支度を整えてくれた。食堂にいってみた。
旦那様は青ざめた顔で、もうそこにいた。ジャック顔は変わっていないのに、白い肌に目の下の隈が目立つ。
ベーコン・エッグとマッシュルームのソテーが美味しかった。ベックスの焼きたてパンに、バターをべっとり塗って食べた。
旦那様は食欲も無いようだった。
「おまえ、郷里へ帰りたいか?」
お茶ばかり飲んでいた人が訊く。
「え?」
「もし実家に帰りたいなら、馬車を用意する……」
離縁……されるの?
夜を拒みキスも嫌がりじゃ、妻として失格。
昨日もどうして私が自分と結婚したか、訊いていた。
「ここに……置いて下さい」
空っぽになったお皿に向かってそう言うしかなかった。
実家といわれてもそれはどこかの伯爵家で、東京のうちじゃない。
実の両親なら娘が別人に乗り移られていること、すぐ見破るだろう。そうしたら私はどうなる? 街に放りだされる? 使用人にされる?
自己都合ばかり出てくるけれど、私がこの世界で生き延びられるとしたら、このお屋敷、サラやみんなと一緒、そして、旦那様の隣。
「続けるつもりはあるのだな?」
旦那様は目をしばたたかせた。
「はい……」
「ならいい」
すっと立って書斎のほうへ出て行ってしまった。
俯いているとサラが近付いてきた。
「ケンカでもされたのですか?」
「いいえ……」
口だけ否定しても涙になりそうだ。
給仕長が
「されたのでしょう、旦那様、夕べ食を断って礼拝堂で過ごされてますから」
というと、サラは「あら」と肩を落とした。
そこへベックスと庭師頭が下の台所から上がってきた。
「旦那様が食べないのは悪い兆候だよ」
「私の作った野菜を食べずにお供えしちゃうから」
「また新しい礼拝堂を建てるなんて言い出したらどうしましょう?」
サラが顔を曇らせる。
「あの、旦那様は敬虔なクリスチャンなのね?」
お茶会仲間が一斉に私を見た。
当然でしょという反応だと思った。するとベックスが
「クリスチャンって?」
と訊いた。
あ、そうか、クリスチャン以外にない、ここがヨーロッパで十字軍の遠征前だとしたらイスラム教徒でさえ知られてない。
「信心深いのねって言っただけよ」
「自分が悪いことをしたと思うたびにお供えして、礼拝堂を建てたくなるらしいの」
「それも領地内だけじゃなくて、他の伯爵様の土地でも皆の最後の審判のためだからと説得して、イエスさまのお話を広めようとしなさるのよ」
「別に悪くないと思うけど?」
「それが……」
悪い事らしい。
信心深い人というのは自分にはよく理解できないけれど、狂信に走らない限り、人生に指針を持つのはいいことじゃないだろうか。
「礼拝堂といっても小さなものじゃないんですよ。たくさんの人が集まるホールがあったり高い塔がついていたり」
「あ、教会なのね、そう……となるとお金も人手も要る」
「さすが奥様、話が早い。税金、ですよ」
「税金? 募金じゃなくて税金を上げるの?」
「そうです」
「じゃ、無理矢理じゃない」
「そうなんです。皆のためと言われても、うちの伯爵領からお金も人も一番出そうとされるので、関係ない土地の礼拝堂のために、どうしてと反感もあって……」
「そりゃそうでしょう」
頭を巡らせた。
えっと、旦那様は何か悪いことをしたと思ってる。彼は悪くない。ちっとも悪くない。紳士的に馬に乗せてくれて、妻だと思っている女にキスしただけ。
「私、旦那様とお話してみるわ。昨日、意見は喰い違ったけれどケンカしたわけじゃないから。旦那様が悔い改める必要なんてないのよ。だから安心して」
4人の女性はホッとした顔で散らばっていった。