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ヒマワリ畑で

 

 そっと旦那様の腕が緩んで、馬が回頭した。


「ほら、ヒマワリ畑だ」

 横座りしていたから見えていなかった。自分の背中側は一面のヒマワリだった。

「綺麗……」

「今が満開だ。下りてみるか?」

「はい」


 当初の目的を思い出した。ここに来ればヒマワリがまた呪文をかけて、元の世界に返してくれるかもしれないと思ったのだった。

 お台場のヒマワリ迷路に、()(まり)の隣に戻れるかも、と。


 馬上から見て、花が上を向いていると思った。それもそのはずだ。草丈が自分の背よりも低い。

 迷路の、あの息詰まるような上から見下ろされる感覚がない。小学生の黄色い帽子に取り囲まれているように微笑ましいのだ。


「あの、いつもこのくらいの背丈に咲くのですか?」

 馬を立ち木に繋いでいた旦那様に訊いた。

「ああ、毎年、収穫し易い高さの株の種を採取して、次年に蒔くように指導している。ハサミで切って、腰につけた籠に自然に入る高さがいいから」

「ナルホド」

 気の長い品種改良が施されているというわけだ。


 とはいっても。

 それは自分にとっては都合が悪い。ヒマワリに呪文をかけてもらうには、圧倒される中を歩き廻って花に酔って、花芯を覗きこんで。


 膝立ちで移動してみた。でも圧し潰される感覚なんてどこにもない。

「綺麗だね、今日も元気にお日さま浴びたね」

 なんて会話している気分にしかならない。


「ダイ……、大丈夫か?」

 旦那様が後ろから声をかけた。

 放っておいて、私がいなくなればきっとあなたは、あなたの妻を取り戻せる。


 ヒマワリ同士でパラレルワールドが繋がってしまっただけで、もしかしたら奥様は東京に行っちゃったのかもしれない。

 そのほうがきっと大変だから。私がここにいるより、奥様が日本の東京の殺伐の中にいるほうがつらいだろうから。


「お願い、ヒマワリ、もう一度私に術をかけて!」

 花を覗きこんでも何も起こらない。眩暈もしなければ焦りもしない。ざらつく葉っぱを触っても痛くもない。

 おねがい……、旦那様のためにも……。


「気分が悪いのか?」

 くるっと振り向いて男の顔を見た。

 無表情に戻っているが心配してくれているのはわかる。だから、だからこそ、私は日本へ帰らなくちゃ。


 立ち上がってヒマワリの間を走った。

 圧倒して、充満して、私を息苦しくさせて。花に酔わせて。あのときみたいに。私をこっちに引っ張ったとき、みたいに。

 

 走っても走ってもヒマワリは無くならなかった。広い畑なんだなあと思った。思ったところで地面の窪みに足をとられた。

 転んで寝そべって、花を見上げた。

「術を……かけて……」


「ダイ、ダイ、待ちなさい……、どこだ?」

 旦那様の声がする。

「ダイ」というのはもしかして、私の名前?

 寝転がったまま、ヒマワリと見つめ合ったまま、背中の下の地面に足音を聞いた。


「大丈夫か? 倒れたのか? 怪我はないか?」

 駆け寄ってきて上半身を抱き上げた。


 見つめ返すと……、


 キスされていた。


 アイツにも「していいよ」と言えなかったキス。

 許したらその先どこまで求めてくるかわからない、それが恐くてできなかったキス。

 

 旦那様は柔らかく口唇を離すと「嫌だったか?」と囁いた。

 私は身体から骨が無くなったかのように動揺して、相手の胸元を掴んで身を起こした。


 嫌じゃない、嫌じゃないけど、好きかどうかわからない状態でしてしまった。

 東京に返してと思う心でしていいことじゃない。

 この世界で生き延びる引き換えに、させてあげることでもない。


「嫌……」

 というしかない。立ち上がって背を向けた。

「そうか……」旦那様の声は足元に落ちた。

「馬はあっちだからついてきなさい」


 だんだん暗くなるヒマワリの間を、私は叱られた子どものようにとぼとぼと従った。

 あなたがキスしたい相手は私じゃないハズ。

 私は21世紀の東京ってとこに住む高校二年生。あなたのダイじゃない。

 私はニセモノで身代り。

 これが私のファースト・キスって間抜けだけれど、旦那様は嬉しかったのだろうか?

 

 帰路、馬は速駆けした。

 私は両腕を廻して抱きつくしかなかった。密着しているのに、往路より倍がけに心細かった。

 

 屋敷前で馬を止めると彼は私を降ろし、

「礼拝堂へ行くから食事は失礼する……」

 と、うわの空で唱えてまた馬に乗った。

 

 独りで食べる冷たいハムは侘びしかった。プロシュートのように美味しくても悲しい。昨晩嗅いだ、獣脂のろうそくの匂いが鼻についた。

 給仕長さんに「ベックスのスープ」をお願いした。


 うちに帰りたい。

 母は、父は、兄はどうしている?

 「ダイ」さんを娘と思って仲良くしていたりして。ヘンな言動も倒れたせいだろうと大目に見て、結構うまくやっているかもしれない。


 帰りたくても、ヒマワリは返してくれなかった。

 私はどうすればいい?


 その夜旦那様は私の部屋に来なかった。キスを嫌だと言ったのだから、その先も無理そうだと思ったのだろう。

 これでいい。身を守る心配から逃れられる。



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