27-6. マーラー:交響曲第5番第5楽章 6
第5楽章の終盤。曲は、最後のクライマックスに差し掛かる。
「女王様、あなたは……」
俺が言うと、彼女は遮って、
「殿下。私たちは婚約したことですし、タメ口だっていいんですよ」
と言うのだが、
「じゃあカオル。僕のことも、フェリックスと呼び捨てにしてはくれないわけ?」
との問いには、
「考えておきます」
と、にべもない。
「カオル、君は、これからどうするの。ただのお飾りでいるつもりなのか?」
俺が尋ねると、彼女は腕組みして、考えるそぶりをした。
「殿下。帝国の、次の皇帝は誰でしょうね」
唐突な質問だ。
「仮に今交代するなら、軍事参謀委員会議長のエーベルハルト殿下かな。うちの母は3番目か4番目くらいだろう」
「では、次の次は? そのさらに次の皇帝は、誰になると思いますか」
「は?」
そんなことは、まだわかるはずもない。
「だいたい、私たちと同じくらいの世代から、出るはずだと思うのですが」
そうかもしれない。
「それがどうしたんだ?」
「皇帝の座に一番近いのは、誰でしょうね?」
皇帝になる条件は、明確に決まっているわけではないが、今までの皇帝は皆、軍で地域統合軍司令長官や軍事参謀委員会の要職を経験している。あとは、皇族であることぐらいだ。
「いま軍の階級が一番高い皇族、ってことになるのかな」
俺は中尉なわけだが、聞くところによると他の同世代の連中も似たり寄ったり、というところらしい。飛びぬけている者はいないと思うが……
だが、俺はヤバイことに気づいてしまった。彼女がニヤニヤしている。そうか……
当てはまる人間が、俺の目の前にいると言いたいんだろ。
「どうしました殿下? 間抜けな顔をなさっていますよ?」
確かに、俺と結婚すれば彼女は皇族になる。俺らの世代で、中将なんて階級の奴がいるはずないしな!
「君は…… 皇帝になりたいのか?」
「……あくまで、将来のビジョンのひとつですよ」
彼女はニッコリと笑った。
俺たちは、とんでもない奴を帝国に引き入れてしまったのではないか。シュテルンリヒトが築いた帝国が、グランシャリオに乗っ取られる。庇を貸して母屋を取られるとはこのことだ……
いやいや、まだ先の話だし。どうなるかはわからない。それに、帝国としては意外とウェルカムかもしれないぞ。もともと血筋に対するこだわりとか、あんまりないし。次期皇帝は現皇帝と養子縁組をすることになっているので、極論、誰でも皇族になれる。血縁関係の皇族だって、英才教育をするための仕組みのひとつにすぎないわけだし。
「君は、皇帝になって、何がしたいんだ?」
「世界平和の、実現」
来たー! いまだ成し遂げられたことのない、人類の悲願。簡単にはいかない。
「ま、そのためには、まず世界征服をしなきゃならないんですけどね」
これも歴史上多くの者が野望を抱いたけれど…… そうなるわな。今の状態からは、それが一番の近道、なのだろう。
誰も名言はしないけれども、いま彼女が口にした2つこそが、帝国の長期的な目標と言っていいだろう。この人は、そのことを理解している。
「そうすれば、核兵器の廃絶も、成ることでしょう」
「……良い、考えだと思います」
俺はおそるおそる言った。まったく、とんでもないことを考えてやがる。
「ただ、今のままでは、実績が足りないでしょうね。軍事的な実績が。私にはそんな任務は与えられないでしょうし、第一、才能がなさそうです」
帝国の重要な使命のひとつは、同盟国とその国民の安全保障を請け負うことである。皇帝の軍歴が重要なのもそのためだ。実績がない者は信用さない。
「だから、その点はフェリックス殿下にカバーしていただきたいんですよね」
「はい?」
なんで俺の名前が出てくるのか。
「古代ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスは、病弱で軍事的な才能はありませんでしたが、帝国に君臨し、国の礎を固めることができました。なぜかと言うと、軍事面を任せられるアグリッパという優秀な右腕がいたからです」
「つまり、僕にアグリッパになれと。そういうこと?」
「殿下は、あまりご自身が皇帝を目指すのは気が進まないようですから…… これならお互い、ウィン・ウィンじゃありませんか。ぜひとも軍務に励んで、昇進なさってください」
なるほどね……
「もっとも、あくまで案ですよ。殿下のお気持ちもあるでしょうから。皇帝を目指して、私と争うのもいいかもしれませんね。ライバルとして」
うむ。勝てる自信がないぞ。
とはいえ、数奇な運命に振り回され、冷静なリアリストとして現実を受け入れてきた彼女が、このとき初めて自分自身の野心を抱いたのかもしれなかった。ならば、俺が助けてやるのも良いかな。そんな気がする。
彼女のこういうところは、面白いと思ってしまう。やっぱり、何だかんだ言って、俺はカオルという人物のことが好きなんだろうな。だから、結婚などという話を押し通してしまったんだろうな……
最後の戦いが行われていたあの日、俺がひとりで休んでいると、皇帝陛下が通信を入れてきた。
「今回はご苦労だった、少尉。貴官らのおかげで有益な情報を得ることができた」
「恐れ入ります」
「近く、この戦争も終結することになるだろう」
「あの、陛下。ひとつ伺いたいのですが」
「なんだ」
俺は、気がかりだったことを尋ねた。
「戦争が終わった後、彼女は…… カオル女王は、どうなるのですか」
帝国に反旗を翻した国の女王が、直接の責任は問われないにしても、そのまま野放し、ということは考えにくいのだった。
「そうだな。あまり自由に動き回られると、帝国に不利益をもたらすかもしれない。無期限で王宮に事実上軟禁、というのが妥当なところだろう」
「それは…… 彼女が気の毒です。つい最近女王に担ぎ上げられたばかりで、権限も何もなかったというのに」
「しかし、反帝国の旗印として、他の勢力を勢いづかせるようなことは、避けなければならない。女王が帝国のコントロールを外れないという保証が欲しいところだ」
「それならば…… 彼女を公的には帝国軍に組み込んで、私的には皇族と結婚させる、というのはどうでしょうか」
「なるほど。それで、誰が結婚して女王の手綱を握るのだ?」
「それは、僕がやります」
まったく、このことを見抜いた母親…… というか、女の勘は恐ろしい。確かに、皇帝に入れ知恵をした者がいる。俺だよ。
われながら、かなり無理な提案をしたと思うが、これも面白がった皇帝陛下と苦慮した女王陛下が受け入れてくださったおかげだ。権力と国際関係を使って結婚を迫るなんて、本当なら恥ずべき行為だ。石を投げられても仕方がない。でも、彼女を救うには、これしか思いつかなかった。
言い出しっぺが俺であることは、皇帝陛下との秘密だ。
「それはともかく、喫緊の課題は、結婚のことですよ」
カオルがまた何やら言い始めた。
「フェリックス殿下。実際のところ、あなたは私をどう思っているんです?」
「はい? ああ、それは……」
「まあこの際、あなたがどう思っているかは、どうでもいいです」
「そうですか」
なんで聞いたんだよ。
「私は、あなたのことは、特段どうとも思っていません」
「そうですか……」
うーん、相手のあることだから仕方ないとはいえ、告白する前にあらかじめフラれた気分だよ。
「僕は、嫌われているのか?」
「別に嫌ってはいません」
「よかったです。どの程度の好感度ですか」
「そうですね。『結婚? ま、してやってもいいかなー』くらいですかね」
微妙だな……
だが、彼女はこれでは許してくれなかった。
「安心されては困りますよ。私だって乙女です。恋のひとつも、してみたいんですよ。そのくらいの希望を持ったって、よくはありませんか」
「はぁ……」
「あなたが、まずは私を『落とす』ことですね」
これは…… なかなかハードな課題だ。でも、『恋』とかいう単語をちょっと照れながら言うのが、なんだか可愛らしい。
「私たちは、結婚すれば、当然世継ぎが期待されますから、やることになるわけです」
「やる、ですか」
「そうです」
なんか生々しいなあ…… ても、こういうことを言っちゃう人だから、この人。
「両国の命運がかかっていますから、私も必要なことは、やりましょう。そのときにあなたは、マグロが好きですか? それとも、羞恥に悶える乙女が良いですか? そういうことです」
つまり、彼女を落とさなければ、冷凍マグロが端末をいじりながら、鼻クソでもほじっているうちに、一発済ませるということになるわけだな…… イヤだ。なんかすごくイヤだ!
「私は、事の重大さを、今まさに、理解しました。我々の『共通の友人』みたくなっていただけますよう、精進します」
俺はこれ以上ない真摯な表情で言った。
「共通の友人ですか?」
「共通の友人です」
『……さゆりちゃん』
声が揃ってしまった俺たちは、笑った。
「私だって、どうせなら、もっとあなたのことを好きになりたいんですよ。わかってくださいましたか。期待していますよ、殿下」
しょうがないよな。まったく……
「具体的には、殿下が読まれたマンガのリストは、欠かさず私に送ってください。ごまかしたら絶交ですからね♪」
第5楽章の音楽は最高潮に達し、第2楽章で尻すぼみになって消えたコラールが、今度は輝かしく最後まで鳴り渡る。この感動は、70分この曲を聴いてきた者だけが味わえる、最高の特権だ。
「この部分を聴くと、世界はどこまでも広がって、前途も光り輝いているように思えるんですよ」
カオルはそう言って、部屋のブラインドを開けた。差し込む太陽の光が、眩しい。
「同感です」
そして曲は、テンポを上げて駆け抜けていく。
俺たちも、未来に向けて駆け出した。この先の未来が、この曲のように肯定的で明るければいいなあ。まあ、少なくとも、退屈はしなさそうだ。
作曲家の歩みはまだ続いていくのだが。ひとまずこのシンフォニーの楽譜には、ここで二重線が引かれた。
多くの皆様、初めまして。作者の短編を読んだことがあるという方(あまりおられないと思いますが……)は、お世話になっております。
まずは、ここまで読んでくださったことに、感謝を。やはりお話は、読んでくださる方あってこそです。誰にも見てもらうことがなければ、それは存在しないのと変わらないのですから。最後まで読んでくださった方、あなたは神になったのです。
さて、今回のお話を書いていて、作者は気づいてしまいました。このお話は、筆舌に尽くしがたい惨禍を招く戦争、そして耳で聴く音こそが本質である音楽(しかも具体的な何かを表しているわけではない絶対音楽)という、文章で書き表すのが難しいテーマを2つも扱ってしまっていることに…… それに、新書版架空戦記小説に出すには不真面目と思われそうな不適切なネタ(笑)なんかも扱っておりますので、ジャンル的には、ライトノベルになるのでしょうか。自分で言うのもなんですが、いろんなテーマがごちゃ混ぜになっています。マーラーも表現しようとした人間界のごった煮感…… これがうまくいっているかどうかは、読者の方々が判断してくだされば結構です。
ともかく、作者としてはこれを読んでくださるだけでも満足です。おもしろかったと思ってくだされば、なお良いです。欲を言えば、読んでいただいて、今の社会制度にもいろんな背景・経緯や成り立ちがあってそれなりの理由があるんだろうなぁ、とか、本当の意味で平和な世界を実現するにはどうしたらいいのか? とか、エロマンガの芸術性とはどこにあるのか? とか、マーラーとブルックナーは本当はどっちが良いのか? とか、そんなことを真面目に考えてくださる方がいればいいなあ、などと思うわけです。
作中に出てくるマーラーの交響曲第5番について申し添えますと、この曲は一見「苦悩・葛藤から勝利へ」という伝統的な構成に従っているように見えるのですが、実は皮肉的な面も含んでいて…… 第5楽章では、マーラーは過去の自作(高度で複雑な曲より単純でわかりやすいメロディーを評価する、無知を皮肉った歌)も引用して、「単純な聴衆ってのは、こういう大団円が好きだよね。じゃあそういう風にしてやるわ~」なーんて言ってるみたいですね。でも聴くと最後にはやっぱり感動しちゃう。作者も単純な聴衆のひとりであります。
作者は結局マーラーとブルックナーのどちらを推すのか? と問う方もおられるかもしれませんが、あえてどちらとは言わずもがな。どちらの音楽もたいへん素晴らしいと思っておりますとも。
でも、これだけは言わせてください。全国のさゆりちゃんさん、本当にすみませんでした、と……




