24-1. 有名無実の女王と名実一体の皇帝 1
「皇帝陛下! 私の話を聞いてください!」
皇帝は会見場から立ち去ろうとしていた。私は続ける。
「I am a customer! Please listen to my voice!(私は、顧客です! 私の話を聞いてください!)」
これに対し、皇帝がよこしたのは、
「There is no time now.(今は時間がない)」
という一言だけだった。私の必死の訴えは、この一言で軽くあしらわれようとしている。そうはさせない。
私は言い返した。
「So, you don't deserve to be a manager!(ならばあなたには、経営者の資格がない!)」
これを聞いた皇帝の足が止まった。
報道陣によるカメラのフラッシュが、激しく焚かれている。
皇帝は向き直ると、私に向かって言った。
「では、別室でお話をうかがいましょう、女王陛下」
私は、首の皮一枚つながった。
皇帝と私は、欧州軍司令部内にある会見場から、会議室のような部屋に案内された。
「あとは我々で話す。2人にしてくれ」
皇帝が言うと、他の担当者たちは部屋から出ていった。
私たちは、テーブルを挟んで腰かける。
私の目の前に座っているのは、皇帝カールハインツ・K・シュテルンリヒト。見た目はどこにでもいる普通の紳士なのだが、この人こそ、巨大企業集団インペリアル・グループの総帥にして、国連安保理議長、帝国軍最高司令官を務め、世界秩序を牛耳る帝国の皇帝その人である。これまで帝国に対していろいろと無神経なことをしてきた私とはいえ、さすがに少々緊張した。
先に口を開いたのは、皇帝だった。
「お会いするのは2回目ですかな、女王陛下」
「はい」
1回目は、あの調印式のときだ。大した話はしていないけれど。
「あなたには、驚かされてばかりだ。いきなりいらっしゃるとは」
「非礼をお詫びします、皇帝陛下。しかし、ああでもしなければ、直接お話しする機会など、いただけないでしょうから」
私が言うと、皇帝はこんな話を始めた。
「今から2千年ほど前の話ですがね。古代ローマの五賢帝時代に、ハドリアヌスという皇帝がいた。ご存知ですかな」
「ええ」
五賢帝のことなら、高校世界史で勉強したところだ。ハドリアヌスはその3番目にあたる。
「あるとき、待ち構えていた女性がそのハドリアヌスに陳情をしようとしたところ、皇帝は『時間がない』といって立ち去ろうとした。すると女性は、『ならばあなたには、統治する権利がない!』と言った。ハドリアヌスは、戻ってきて女性の話を聞いたという。なぜだかおわかりですか」
「当時のローマ皇帝は、ローマ市民の第一人者という位置づけであって、専制君主ではなかった。あくまでその統治は、主権者たるローマ市民の信託の上に成り立っていた。そういうことですか」
これも、高校世界史の知識だ。マジメに勉強しておいてよかった。
「そうです。先程のあなたも、同じことをなさったのでしょう」
そう言われれば…… そういうことになるのか。私が「Managerの資格がない」と叫んだ「Manager」の一語には、単に企業経営者というだけでなく、為政者とか統治者とか、そういう『マネジメントする人』という意味を込めたのは確かだ。
「ハドリアヌスのエピソードは、いま初めて聞きました」
「それならば、あなたは大したものです。わが『帝国』も、結局のところはいち企業でしかない。顧客の意向を聞かないような会社だと思われては、商売が成り立ちませんから」
極端な言い方をすれば、同盟国で暮らすすべての人々が、帝国の顧客だと言える。帝国が提供する安全保障の利益を享受しているのだから。『世界平和はカネで買える』、のである。
さすがの皇帝も、無視できなかったというわけか。
「ところで、女王陛下は、どのような点で、ご自身が我々の顧客だとおっしゃるのですかな」
今や同盟国の国民ではない私は、まず個人的な話を済ますことにした。
「わたくしも、帝国関連企業の商品やサービスを利用していますが、これまでに最も助かったのは、給付型奨学金制度です。わたくしは家庭の事情で、父から大した援助も受けられず、母が死去した後、高校の学費の支払いにも困窮するようになってしまいましたが、帝国の支援のおかげで、何とか卒業することができました。大学に進学してからも、奨学金を受ける予定でした。事情が変わったので、進学はなくなりましたが」
「ほう。確かあなたは、日本で生活されていたのでしたね。両親がいないと、それほど苦労するものですか。帝国からでなくても、公的な支援が受けられそうなものですが」
そのあたりの事情は、なかなか複雑だけれど…… かいつまんで説明することにした。
「それは、日本の雇用慣行が特殊だからです。多くの国では、企業は業務に必要な職務を切り分け、職務内容に合うスキルを持った労働者を採用しますが、日本では未経験の新規学卒者を一括採用し、社内教育を行って配置転換させながら、年功賃金制度の下で終身雇用するという方式をとってきました。そのため、大学では直接仕事に結びつく職業訓練的・実務的な教育は、ほとんど行われていないので、公的な支援の対象とするには賛同を受けにくかった事情があります。また、企業も労働者に無限定な長時間労働や配置転換を強いる代わりに、終身雇用によってある程度身分を保障し、福利厚生の充実を図り、家族手当や子女教育手当を支給してきました。つまり学生の教育費を親が負担する方式になったわけです」
「なるほど」
「日本型雇用慣行には、未経験の若者の失業率が低く抑えられるなど、メリットもありますが、いったんレールから外れると、途端に困窮することになってしまいます。私も例外ではなかったということです」
「なぜ、日本ではそのような慣行が定着したのですかな」
「第二次世界大戦中に、戦時体制に勤労奉仕する皇国臣民の生活を、国が保障しなければならないとして、国家の強力な指導の下に築かれた仕組みを、戦後の労働運動も支持したからだそうです」
「ふむ…… なかなか興味深いお話です」
「ですから、わたくしは、教育を支援していただいた帝国には感謝しているのです。皇帝陛下にも御礼申し上げます」
私は頭を下げた。
「礼には及びません。それにあなたは、そんなお話をしに来られたわけではないのでしょう?」
「もちろんですとも」
これで、個人的な義理は果たしたと思う。これから、女王として、言いたいことを言わせてもらう。
しかし、皇帝はこんなことを言い出した。
「ところで、私が女王陛下とこうしてお話をするのは、適当といえるのでしょうか?」
「どういうことでしょうか」
「失礼ながら女王陛下、あなたは、貴国の政府において、何の権限もお持ちでないのではありませんか。そのような方と私が話し合いをしても、得られるものはないのではありませんか」
そういうことか。確かに、私は立憲君主制国家の元首。君臨すれども統治せずの名ばかり女王、である。方や、数千万の兵力を指揮し莫大なカネを動かすことができる実権を持った人間が、目の前に座っている。世界で最も実質を伴う権限をその手に収めているのは、名無しの帝国を統べる皇帝なのである。
私は答えた。
「確かにわたくしは、皇帝陛下のような力は持っておりませんが、今回は政府より、全権委員の任命を受けております。この場で決まったことは、わが国も受け入れます」
そう言って書面を提示した。そこには、カオル・A・グランシャリオを全権委員に任命することと、任命権者として臨時政府代表クリスティーネ・フリーダーの名前が記されていた。
「そのようなことが、可能なのですか」
「わが国の現政権は、憲法を停止しましたので、わたくしが就任時に忠誠を誓った対象は止まったままです。わたくし自身も成人年齢に達していますし、国内手続き的には問題ないでしょう」
正直、苦しい説明だと思ったが、皇帝は受け入れた。
「いいでしょう。貴国が従ってくださるのならば」
ようやく本題に入れそうだ。




