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2. 勧誘する王国

 人生のうちで、最も総合的な「学力」が高い時期は、いつか。知識とか経験じゃなくて、学力。

 日本人の場合、大学受験の前後じゃないかと、私は思う。たかが18年しか生きていないけれど、こんなに勉強したことは、今までなかった…… その甲斐あってか、私はなんとか某国立大学に合格し、4月からは晴れて大学生活が始まる! はずであった。

 少し不安があるとすれば、経済的な問題である。私は亡くなった母の妹である千絵美叔母さんと賃貸マンションに同居しており、学費も生活費も少なからずお世話になっているのであるが、叔母さんいわく、

「郁ちゃんゴメンねぇ…… 私の作品がもっとヒットすれば、もっと楽させてあげられるのに……」

 マンガ家である千絵美さんは『若美智愛』とかいうペンネームで連載作品を持ってはいるものの、人気がいまひとつであるらしい。

 そんな叔母さんに、私はこう言うのである。

「何言ってるの千絵美さん。私が叔母さんに感謝こそすれ、悪く思うはずがないじゃない。大丈夫だって」

「でも~」

「大丈夫。マンガもそのうち人気出るし、いい結婚相手もそのうち見つかるって!」

 千絵美さんはこれを聞くと、

「郁ちゃんはいいよね~ まだ若くて美人だし……」

などとぼやきながら、すごすごと自室へ戻っていく。これで、この話はおしまい。

 とはいえ、お金の問題もバカにできない。高校は帝国の奨学金制度を使って何とか卒業できそうだけど、大学も授業料減免を申請するほか、また奨学金を受けなければならないであろう……


「……というのが、今の状況ってわけ」

 学校の帰り道、私は思わず彩香に、ため息交じりに漏らした。

「はぁ…… 大変なんだね」

 彼女、佐和田彩香は小学校からの幼なじみであり、何でも話せる気の置けない親友である。

「まあ、千絵美さんは『郁ちゃんは何も心配いらないから! 子供は大人に頼るのも仕事! こういうことは大人のワタシに任せといて!』とか言ってるんだけど」

「いい叔母さんじゃない」

 しかし、叔母さんがグッと立てた親指が、少し震えていたのは秘密だ。

「そうは言ってもね。もう大学生ともなると、いつまでも子供ってわけにもいかないでしょ」

「それもそうか」

 彩香は、隣から私の前に歩み出て向き直ると、私の両肩に手を置いて言った。

「でも郁なら大丈夫だって。私が保証するから」

 ありがたいけれど、なんでそこまで自信たっぷりなのか。

「これからいろいろと大変なこともあると思うけど…… 私はいつも郁と一緒。郁の味方だからね!」

 そう言って彼女も親指を立てた。

「大げさだなあ…… でもありがとう」

 私は苦笑した。

「あ、お金の面では役に立てないから、期待しないでね」

「しないから」

 そんな軽口の後、彼女と別れて、私は家路についた。


「ただいま~」

 自宅に着いて扉を開けると、玄関に見慣れない男物の革靴が並んでいた。誰か来ているのか。

 リビングに入ると、千絵美叔母さんが困り顔で、2人の中年男性と向き合って座っていた。2人はどう見ても日本人ではなく、欧米系である。

「ああ、郁。この方たち、郁ちゃんに話があるんだって」

「私?」

 戸惑いながらも、私は千絵美さんの隣に座った。

「ええと…… どちら様ですか?」

 私がおそるおそる問うと、

「失礼。わたくしこういう者でございます」

 私の前に座った男性が、名刺を差し出した。名刺にはこう書かれていた。

  【在日ベルジカ王国大使館 参事官 ヤーコプ・クラーセ】

 王国の大使館の人?

「そしてこちらが、ベルジカ王国王室庁侍従次長、ロジェ・フェレールです」

 参事官は、隣の男性を案内して言った。

「Ich heiße Roger Ferrer. Danke.」

 侍従次長の言葉を聞いて、私は反射的に聞き返した。

「Bist du aus dem Königreich gekommen?(あなたは王国から来たのですか?)」

「Ja.」

「今でも、ドイツ語は話されるのですね」

 参事官が言う。そういえば、日常会話でドイツ語を話すのは何年ぶりだろう。というか、

「私のことをご存じなんですか?」

「はい。今回お邪魔しましたのは、あなたのお父様に関連して、お願いしたいことがあるからです」


 私の母・相河栞は日本出身だったが、ベルジカ王国に留学しており、そこで私をもうけたらしい。私は小さい頃、王国のデュッセルドルフで暮らしていた。母は、そこで日本国総領事館関係の仕事をしていたようだ…… というのも、後から聞いた話で、当時の私はよく知らなかったことではあるけれど。ドイツ語圏のデュッセルドルフで暮らしていれば、当然のことながら日常生活にはドイツ語を使うわけだが、母は私を現地の日本人学校に通わせて、日本語もできるようにしたのであった。その後、母は仕事の都合で日本へ戻ることになり、私は8歳の時から日本で暮らしている。日本で英語教育を受けたので、今の私は日本語・ドイツ語・英語を何とか話せるレベル、ということになる。


 母が亡くなったのは、私が11歳の時だった。まだ30代だったというのに、早すぎる死であった。死因は心筋梗塞。母はかなりの激務をこなしていたようであり、労働時間の実績から、過労死だとして公務災害が認められた。そういうわけで私は国から遺族年金を受けているのだが、やはりこれだけでは生活に十分ではない。私を引き取ってくれた叔母の千絵美さんには、本当に感謝している。


 こんなとき、父親が生活費を援助してくれれば、少しはましなのかもしれない。しかし、私の父が誰であるのか、母は結局最後まで明かさなかった。直接問いただしたこともあったが、

『ごめんね。大きくなったら、いつかわかるかもね』

などと言うだけだった。まあ、私自身の金髪という身体的特徴からすれば、欧米系の人間であることは確かなのだが。この特徴のせいで、この国ではどうも目立ってしまう。小さい頃は、よくからかわれたものだ。傷ついた私が、泣きながら母に

『どうして私はほかの子たちと違うの?』

と尋ねると、母は

『郁。あなたはお母さんとお父さんが互いを大切に思って生まれたの。この髪や瞳の色はその証拠。だから誇っていいのよ』

と言うのだった。幼い私にとっては、ほかの人と違うということは大問題で、なぜお母さんはわかってくれないのか、などと思ったこともあったけれど、今考えれば、母がずっと私を認め続けてくれたことは、確かに心の支えになっていたと思う。

 だから、中学生の頃に、私の母は在日帝国軍の外国人兵士に強姦されたのだ、とか、男を誘惑しておいて捨てられたのだ、父親がわからないくらい何人ともやったのだ、などとアホなことを抜かす奴がいたので、そのバカを殴ってやった。あまりに母を侮辱していると思ったからだ。そんなことを言った女子は私の容姿に嫉妬していたらしいが、あのときは後々までこじれて本当に最悪だった…… そういえばあの時も、彩香は私に加勢してくれたっけ。

 ともかく、私は自分の父親が何者なのか、知らないのである。


「私の父…?」

「その話…… ここでしちゃうんですね?」

 隣の千絵美さんが言った。

「ええ。今がその時です」

 ちょっと待って。

「あの、千絵美さん。私の父親が誰か、知ってるの?」

「フフフ。ついにこの時が来たのですね」

 そういう芝居がかったのはいいから。……まあ、確かに、今まであまり深く聞いたことはなかったけれど、今の保護者である千絵美さんが知っていてもおかしくはないか。

「でもそこから先の話、聞くかどうか、郁ちゃんに決めさせてあげてくれれませんか」

「え?」

 千絵美さんの言葉の真意が、わからなかった。そんなの、知りたいに決まっているじゃないか。

「確かに。ここから先のお話は、わが国にとってもたいへん重大かつ微妙な問題を含んでいます。私どもの話を聞けば、カオルさん、あなたの人生は大きく変わってしまうでしょう。こちらとしては、ぜひとも我々の話を聞いていただきたいと考えていますが…… さて、どうされますか?」

 えーっ…… そんなにヤバい話なの? しかも、それを今決めなきゃいけないのか。これはアレか、聞いちゃったらもう元には戻れないという、あのパターンというわけか。

 しかし、自分の親が誰かということは、まぎれもなく自分自身を形作るアイデンティティのひとつである。それを、私はこの18年間、知らずに生きてきた。今、その謎をついに知るチャンスが目の前にあるのだ。ほかの選択肢はありえない。私は覚悟を決めて拳を握った。

「わかりました。聞きます」

 聞かずに後悔するよりは、聞いて後悔だ!

「よろしいでしょう。カオルさんの父上は、ベルジカ王国現国王ユベール・グランシャリオ陛下でして、我々は……」


「ちょっとストーーーップ!」


 突然千絵美さんが立ち上がって、参事官の話を遮った。

「ダメでしょう、こういう話はもっとちゃんと『溜め』をつくらないと……」

「いや、ここは早く話を聞いてもらわなければいけませんので……」

「ほら、郁ちゃんも混乱しちゃうでしょう」


「うーん……」


 私は頭を抱えた。

 王国の人が家に来て、しかも王室の関係者の人がいて、えっ? もしかして私ってそういうことなの? いやいや、そんなワケないでしょうよ、変な想像しちゃって恥ずかしい! とか何とかいう考えが、一瞬頭をよぎらなかったわけではないけれど。

「にわかには信じがたい話です。私は騙されているのではありませんか? ねえ千絵美さん」

「ひどい、私を疑ってるの? いま郁ちゃんを騙しても誰も得しないよ。……ああ、いまの状況を録画して、動画サイトに上げたら、再生数が稼げるかもだけど……」

 それはやめて。

「お母様があなたを出産なさったとき、わが国王室の関係者も立ち会っております。念のためDNA鑑定もなされたようですので、間違いないかと」

 参事官は手元の端末で父子鑑定の書類を提示した。

 やっぱりそうなのか……

 私は、『みにくいアヒルの子』だったということか。

「……ともかく、最後まで話を聞かせてください」

 聞くと言った以上、続きを聞かねばなるまい。

 参事官は、話を続けた。

「それで、カオルさんには今後、王位を継いでいただきたいと考えております」

「……今後って、いつですか?」

「可及的速やかに、できればすぐにでも、です」


「フゥ~……」


 私は今度は天を仰いだ。

 女王様かぁ~……

 いっちゃうの? いきなりそこまでいっちゃうの?

「あの~…… 急すぎると思うんですけど?」

「お気持ちはお察ししますが、わが国の事情も差し迫っておりまして」

「いや、いきなりそんなこと言われたって……」

 ここでふと疑問が浮かんだ。

「千絵美さんは、知ってたの? 私のこと」

「まあね。保護者として、あなたのお父さんから少しお金の援助を受けてたから」

「だったらなんで経済的に苦しいなんて……」

「援助がなかったらね…… もっと苦しかったよね……」

「……」

 叔母さんがうつむいて暗い顔をするので、それ以上追及するのは、やめた。何というか……

 千絵美さんのお仕事がうまくいきますように!

 それよりも疑問なのは、

「なぜ国王は、私の母と結婚しなかったのですか。そうすればあなた方がわざわざ日本まで来て、急いでこんな話をする必要はなかったでしょう?」

「Ich werde darüber reden.(そのことは、私から話しましょう)」

 侍従次長が言った。彼の話によれば……


 そもそもベルジカ王国は、帝国に反対して成立した国であった。欧州で帝国の勢力が伸長し、欧州連合が事実上解体されたとき、帝国の方針に反対する勢力が集結して独立を宣言した。これが今の王国の原点だ。したがって、反帝国は王国の国是なのである。そのような状況で、王国の王族が、同盟国として帝国を構成する日本の出身者と結婚し、王族に招き入れるということは、国民感情を考えれば不可能である…… というのが、当時の王国政府が出した結論だったというのである。


 そんなことで、母や私は苦労したのか。

 中絶を強制されなかっただけでも、感謝すべきだとでも言うのだろうか。

「フーンそうですか。でもおかしいじゃありませんか? なぜ今になって、帝国育ちの私を招き入れようとなさるのですか。『国民感情』を考えれば、受け入れられるとは思えないのですが?」

「当時と今とでは、状況が異なります」

 今度は参事官が説明した。

「現在わが国は、帝国との関係において、非常に難しい状況に置かれています。具体的に申し上げれば、帝国からさまざまな理由をつけられては、帝国の同盟国…… 我々の言い方で言えば、属国になることを迫られています。帝国側は、要求が受け入れられない場合、武力行使も辞さないとの立場です」

 そのへんの事情は、ニュースでも小耳に挟んだことがある。

「ああそれは大変ですね。しかしそれが、私に何の関係があるんです?」

「わが国の政府は、帝国の要求を受け入れてもよいと考えています」

「へっ…?」


 これは…… 初耳だ。もしそうなれば、欧州の、いや世界の勢力図が大きく塗り替わることになる。何といっても、王国は反帝国を掲げる勢力の中では、最大最有力なのだから。歴史が大きく動くことになる!

 しかし…… そうだとすれば、今の話は王国の重大な機密事項なんじゃないの?

 私は震えそうになった。

「あの…… そんな話、私が聞いてもいいことなんですか?」

「ええ。あなたには、帝国との合意文書に署名していただかなければなりませんので」

「……」


 今度は言葉も出なかった。

 この人たちは…… 王国は、そんなヤバイ役を、この私に押し付けようというのか。


「わが国では、法律や、条約等の国際的な合意の公布に当たっては、国王の署名が必要とされています。しかし現在、国王陛下はご病気を患っており、意識のない状態で、まともに執務をしていただける状況にありません。国王が6ヵ月以上続けて執務不能の状態にあるときは、退位したとみなすことができると定められていますので、政府では、あなたに王位を継いでいただくこととしたわけです。現在、ほかに適任の方がおられませんので」

「そんな形式的なこと、どうとでもなるのではありませんか。王様がいなければ、あなた方の政府が、責任をもってとり行えばいいだけでしょう?」

 私は反発した。

「もし私が署名したら、私は王国の人たちから目の敵にされるのではありませんか。帝国育ちの帝国シンパだ、売国奴だとか言われて、石を投げられるのではありませんか。あなた方の政府の人たちに、その覚悟がないだけでしょう。私はそんな人たちの石除けになるなんて御免です!」

 参事官と侍従次長は、顔を見合わせた。

「まあ、情けないことかもしれませんが、わが国の政治家たちに、あなたがおっしゃるような意図がまったくないとまでは申し上げません。しかし、政府だけでなく、国王もきちんと署名することが、わが国の国民にとっても良いことだと考えています」

「はぁ?」

「わが国では、王室はそれなりの敬意と信頼を得ております。政府だけで今回の件を押し切れば、政府が国王不在の間に勝手に事を進めた、国王陛下がご健在ならば反対なさったはずだ、などと言われ、国民の間に疑念と混乱が巻き起こります。翻って国王としての署名がきちんとなされれば、国王陛下も認めたのだからやむを得ない、ということで、それなりの納得を得られます。国内の混乱を防ぐためにも、必要なことなのです」

「それは、あなた方の事情でしょう」

 やはり、私に関係のある問題だとは思えなかった。

「だいたいあまりにも勝手です。私や母を見捨てた国が、今度は私を利用しようだなんて。虫が良すぎるんですよ!」

 私の前に座った2人は、困った顔をした。

「どうしても、受けていただけませんか?」

「お断りですね」

「あなたにとっても、利益のあることだと思いますが。聞いていただけませんか」

「聞きたくありません」

「お金なら、それなりに出ますが」

「……話だけなら、聞いてみましょうか」


 嗚呼、哀しいかな、私もお金には苦労してきたので、そういう話には弱い。

 それに王国は、帝国と並ぶ全固体電池の生産と輸出で、かなり儲かっていると聞くが……


「カオルさんは大学への進学をご希望でしょう。お母様が在学なさっていた大学に、籍を用意いたします。日本の国立大学の入試に合格されているので、大きな問題はないでしょう」

 母がいた大学なら…… レベル的には申し分ないだろう。

「王族としての活動予算として王室に配布される金額は、年間ですとこのくらい。そのうちこの程度は、個人で自由にお使いいただけます」

 参事官の説明に合わせて侍従次長が叩いた電卓を見ると…… うん、スゴイのは確かだけど、見たことがないような金額なので、正直よくわかりません。これが、『石除け』の代償ということか。しかし…… 待てよ。

「王国は、帝国の要求を呑んで、同盟国になるんですよね。その後、王室はどうなるのですか?」


 これまでの例では、帝国は新たに同盟国となった国については、内政に関して特段の要求はせず、基本的にそのままの体制を認めてきた。現に、いま私が暮らしている国にも、皇族と呼ばれる人たちがいるし、一党独裁や宗教指導者による統治が続いている国もある。しかし、ベルジカ王国のグランシャリオ王家と、帝国のシュテルンリヒト皇家は、因縁浅からぬ仲で反目しあっているという。帝国が果たして王室の存続を認めるのだろうか。


「よいご質問です」

 参事官は、すこし感心した風で言った。

「私どもも、その可能性を考えていないわけではありません。王位を廃止することになった場合、カオルさんは普通の人に戻られるわけですが、その場合でもわが国政府が責任をもって生活を支援いたします」

 一生遊んで暮らせる! とまではいかないとしても、それなりに面倒はみてくれる、ということか。

「さらに申し上げると、わが国としては、帝国の同盟国となる際の混乱さえ防げればよいので、その後は帝国から求められずとも、王位を返上なさっても結構です」

「え、そうなんですか?」

 王位って、そんなに簡単に返上してもいいものなのだろうか。

「はい。わが国の歴史をご存知でしたらおわかりかもしれませんが、わが国が新興国であるにもかかわらず立憲君主制をとっているのは、言語も文化も異なる国内を反帝国で統合するために、わかりやすい象徴が必要とされたからです。ですから、わが国が帝国の同盟国となれば、その象徴も必ずしも必要ではなくなる、と考えられます」


 確かにそうなのかもしれない。

 地位と進学先が用意され、今後の生活も保障される。少なからぬ額のお金も手に入る。さすがに帝国が私を処刑する、なんてことはないだろうし、成り行き次第では面倒な立場を辞すこともできる…… 悪い話ではないのかもしれない。 

 だが、反帝国だけでまとまっていた国家が、帝国の同盟国となり、国是を失ったとき…… 国家は解体してしまうのではないか。今の王国の政府は、果たしてそこまで覚悟しているのだろうか。国がなくなれば当然政府もなくなるわけで、私の生活は誰が保証してくれるのか。


「それでもやはり、将来に対する不安が大きすぎます。私には荷が重い話です」

「まだご遠慮なさるので?」

「遠慮というか…… イヤなんですけど。私は普通に暮らしたいんです!」

「うーん困りましたねぇ」

 そりゃあなた方はお困りかもしれませんがね。こっちはたまったもんじゃないですよ。


 しかし、ふと気になった。

「あの。この話、断ったら、どうなるんです?」

 重大な話を聞いてしまった私は、消される…… とか、まさかないとは思うけれど。

「まあ、あなたを強制的にこの国や、この世から連れ去ったりはしたくありませんが、あなたが帝国の手に落ち、わが国の立場が不利になることは避けたいところです。そのため、常に監視させていただくことになるでしょう」

 ふむ…… 私は脅迫されている。今回の話を聞いてしまった以上、下手な行動をとれば、帝国に利用される前に私は消されるということだ。そりゃあ話を聞くと言ったのは私だが、あまりに勝手ではないか。私は腹が立った。


「カオルさんにはあまりご理解いただけないようですが、保護者のチエミさんはどうお考えですか」

 そうだ叔母さん! ビシッと言ってやってちょうだい。

「郁の人生です。郁自身が決めるべきことです。私がとやかく言うような話ではありません」

 叔母さんは目を閉じて、落ち着いて答えた。ありがとう千絵美さん…… 今は十分ありがたい言葉だ。

「お金なら、それなりに出ますが」

「郁ちゃん。もう少し話を聞いてみても……」

「叔母さん!」

 そうですよねー。やっぱり、お金は大事ですよねー。

 しかし…… 私がこの話を受ければ、叔母さんに恩返しをすることもできるのか。

「ずるいです。お金で釣ろうとか」

「これも、交渉のひとつでして。お気に召しませんでしたか」

 いや、かなり魅力的…… なように思えてしまうのが悔しい。

「私どもは…… つまりわが国の政府としては、カオルさんこそ、わが国の女王にふさわしいと考えております」

「なぜ、そこまで断言できるのですか。私はそんな器ではありませんよ」

「あなたが、健全な常識を備えておられるからです。それで十分なのです」

「買いかぶりすぎですよ」

 どうしてそこまで言い切れるのか、わからない。すると参事官が言った。

「まだ決めていただけないようでしたら、もうひと方、ご意見をうかがってみましょう」

 侍従次長がどこかへ電話をかけている。いったい誰が来るというのか。


「私のことをお呼びですね、皆様方!」


 そう言って玄関の方からいきなり現れ、胸を張ったのは…… 佐和田彩香であった。

「は? 彩香? なんでここに?」

「郁~ いいリアクションだね! 私もスタンバってた甲斐があるよ~」

 彩香は別れた時の制服のままだった。もしかして出番を待っていたのだろうか。

 えーっと…… どういうことなのかわからないんですけど!

「ああ、申し遅れました。わたくしこういう者でございます」

 彩香が恭しく名刺を差し出した。高校生は名刺なんか持ってないから、普通。名刺にはこう書いてあった。

  【ベルジカ王国王室使用人 佐和田彩香】

 これにはさすがに驚いた。まさか…… 彩香は王室の関係者だったのか。

「そういうことだから、郁、私の話も……」

 ダメだ、頭が追い付かない。気持ちの整理ができない。

「ああ! もう!」

 私は立ち上がった。

「みんなして! 私を嵌めるつもりですか!」

 とりあえず、この場を離れたい。彩香や千絵美さんが止める声を後ろに聞きながら、私は家を飛び出した。


 飛び出したとは言っても、どこかに行く当てもないし、逃げ切れるはずもない。いずれ見つかることは覚悟しながら、私は近くの川の土手に座り込んだ。赤く染まった太陽が、離れたビルの谷間に沈もうとしている。風がそっと吹くのに交じって、列車が鉄橋を通過する音が、遠くに響いた。

 さて、私はどうすべきか。

 その前に、こんな重大な話に対して、その場で決断を求められるなんて、あまりにも急すぎないか。少しは、いや、だいぶ文句を言ってもいいよね。

 しかし、どんな文句を言ってやろうかと、その文言を今練り上げても仕方のないことだ。ここは、冷静に分析すべきだ。この『お誘い』を、受けた場合と受けなかった場合の、メリット・デメリットを。


「郁。難しい顔をしてるね」

「うん。だってそりゃあ……」

 思わず答えてしまったが、

「早かったね、彩香」

 見慣れた親友の姿があった。

「郁はここ、好きだからね。すぐにわかるって」

 それもそうか…… だが、いろいろと考える前に、彩香には聞きたいことがあった。

「……いつからなの?」

 彼女は、いつから王室の手の者だったのか。彼女の答えは、驚くべきものだった。

「最初からだよ」

 でも、そうじゃないかとも思っていた。そうすると彼女は…… およそ8年も、『王室の使用人』として、私と付き合っていたのか。

「彩香にとっては、私との付き合いは、お仕事だったんだね」

「……否定はしないよ」


 彩香は話してくれた。私と友人のひとりとして付き合いながら、私について王国に報告していたこと。その報告をもとに、王室に招き入れても問題ないと判断され、今回の『お誘い』に至ったであろうこと。


「どうして、彩香なの?」

「うちの家系は、王国の王室と、いろいろと縁があってね。うまい具合に郁と同い年だった娘、つまり私が選ばれたってわけ」

 そうか…… 世の中にはいろんな人がいるんだなぁ。

「ねえ郁。私の話を聞いて」

 彩香は私の左横、少し後ろに腰掛けた。

「郁もわかってると思うけど、今、郁に委ねられていることは、郁にしかできないことだよ。血筋っていう、他の人ではどうしようもないことが絡んでいるからね」

「血筋なんて…… 私自身もどうしようもないことだよ」

「それでも、この世界に大きな影響を与えることができる道が、目の前にあるんだよ」

「国や、いろんな人たちを滅ぼすかもしれない道だよ」

「救うことだってできる道だよ。やり方次第ではね」

「私には荷が重いよ」

「郁は言ってたよね、人間社会に生まれた以上、誰だって何かの形で社会の役に立ちたいと思うものだって。今がその時だよ。郁は、この話を受けるべきだと思う」

 そんなようなことを言った気もするけれど…… やっぱり彩香も、王位継承賛成派なのか。私は少し意地悪な質問をした。

「それは…… 王室付きの者としての立場からの、発言?」

「そうだよ」

 まあ当然だ。

「でも、私個人としても、郁が今回の話を受けてくれたらいいな~って、思ってるよ。郁のこと、王国に強くプッシュしたのは私だしね」

「そうなの? なんで?」

 彼女は思わず立ち上がって前のめりで話した。

「だって、私は郁のいいところいっぱい知ってるし、郁がどこに出しても恥ずかしくない人だって、わかってるから。このことを私や近しい人たちだけの間にとどめておくのはもったいない…… そうだよ! 世界中の人たちにも知ってもらうべきだよ」

 うーん…… 何言ってるんだろうこの娘は。

「必ず世界にいい影響を与えるはずだよ。そうしたら私も自慢できるよ。『うちの郁ちゃんはこんなに素晴らしいんですよ、すごいでしょう』って」

 あんたは誰だよ。親御さんか!

「あの…… なんかすっごく恥ずかしいんですけど」

「え~っ、だって本当に思ってることだし」

 ずるいなぁ彩香は。そんなに目を輝かせて、屈託のない気持ちを向けられたら…… それに応えるためだけでも、この話を受けてもいいかも、って思っちゃうじゃないか。

 彩香はさらに付け加えた。

「さっき郁は荷が重いって言ったけど、郁が全部背負う必要なんて、どこにもないよ。王国だって民主主義の国だからね。責任を負うのは政府とか、国の代表を選んだ国民であって、王様じゃない。王様には決定権がないんだから。女王様なんて、名ばかりだよ」

 名ばかり女王か…… 確かにそうなのかもしれない。でも、そんなに簡単な話だろうか。君主イコール国家、ではないにしても、君主は国の形と密接に結びついているはずだ。

「ダイジョウブ。降伏文書にサインするだけの、簡単なお仕事ですよ!」

 彩香は軽い調子で言うと、親指を立ててニヤリと笑って見せたが…… これって詐欺だよね。そのサインをするときのペンは、どれだけ重いのだろうか。


「ねえ彩香。私も言いたいことがあるんだけど」

 私も立ち上がった。

「彩香は仕事で私と付き合っていたのかもしれないけど、それだけじゃなかったって、言ってよ。嘘でもいいからさ」

 そして彼女の目をじっと見つめたが、彩香は肩をすくめて言った。

「ハァ~これだから郁は。そんなの当たり前じゃん。いちいち『私たち友達だよね!』って言い合うほど、胡散臭い関係はないよ」

 手厳しいなぁ。

「言ったでしょ。私はいつも郁と一緒だって。郁の味方だって」

「ああ…… そうだったね。ありがとう、彩香」

 さっき別れた時との『ありがとう』とは、かなり違う心境で口にしたことは、自分でもよくわかった。


 彩香の話によれば、また明日返事を聞きに来るということで、王国の2人はとりあえず引き取ったとのことだった。つまり…… 明日までに結論を出さねばならない。

 彩香は、別れ際にこう付け加えることを忘れなかった。

「私もいろいろ言ったけど、結局は郁のことだからね。郁自身がしたいようにすべきだし、そうするしかないよ」

 それは、その通りだと思う。

「今回の話を郁が断ったとしても、私が郁の友達をやめるつもりはないから。ああもちろん、郁が受けてくれたら、私も一緒に王国に行くからね!」

 本当に…… 私にはもったいない友人だ。


 帰宅すると、夕食が用意されていた。そういえば、今日は千絵美さんの当番だったっけ。

「いただきます」

 私と千絵美さんはテーブルに座ると、黙々と食べ始めた。

「……ねぇ郁ちゃん」

 叔母さんが食べながら話しかけてきた。

「まあいろいろ言われたけど、私のこととか、気にしなくていいからね」

「……どういうこと?」

 私も食べながら聞き返す。

「おカネのこと。私も大人だし。自分のことも郁ちゃんのことも、何とかするからさ。いつも言ってるけど、なーんも気にしなくていいんだからね」

「……そう」

 また沈黙が続く。

 千絵美さんとしても、さっき聞いた、私自身が決めるべきという言葉が、『公式見解』ということなのだろう。

「ねえ、千絵美さん的にはさ。私にどうしてほしいと思ってる?」

 私は、叔母さん自身の考えというのも、聞いてみたくなった。


 叔母さんは、意外な問いで返した。

「私がさ、なんでマンガ家になったかって、話したことあったっけ?」

「いや、聞いたことない」

 食べながらだが、千絵美さんは語り始めた。

「お姉ちゃんは…… 郁のお母さんはさ、小さい頃から優秀だった。勉強の成績では、私は何をやってもかなわなかったな。お姉ちゃんのことは好きだったし、尊敬してたけど…… 私は劣等感のようなものも、感じていたと思う」

 私は一人っ子(だと思う)なので、兄弟姉妹がいるという感覚は、よくわからないけど。いろいろ複雑な感情というのも、あるんだろう。

「私は勉強は大した結果は出なかったけど、本を読むのは好きだったし、絵を描くのも、まあわりと得意だった。いつだったか忘れたけど、お姉ちゃんが私の絵を褒めてくれたことがあった。上手だって。うれしかったな。それも、マンガ家になろうと思った理由のひとつ、ってわけ」

 ふーん、そんなことがあったのか。

「親には反対されたけどね。まあ、安定した収入を得るのは難しい職業だし、仕方ないけど」

 それは…… 現状がいろいろと証明しているよね。……今は言わないけどさ。

「でもお姉ちゃんは後押ししてくれた。『千絵美の力をいかせば、きっと世の中の役に立つから』って言ってね」

 うーん…… ちょっと待って。どこかで聞いたようなフレーズだ。

「私、郁ちゃんに何度か、『人間誰しも、何かの形でこの社会の役に立ちたいと思うものだ、私だってそうだ』みたいなことを言ったことがあると思うけど…… あれ、実はお姉ちゃんの受け売りなんだよね」

 千絵美さんは照れ笑いをした。

「お姉ちゃんもきっと、同じように思ってたんじゃないかな。社会の役に立ちたい、ってさ」

 思わず箸が止まった。

 お母さんが抱いていた想いが、千絵美さんに伝わって、それが私にも伝わって…… 私自身が同じ思いを抱くようになっていた。


 人の想いというのは、こうして受け継がれていくのか。

 私は…… 胸の内が、熱くなるのを感じた。


「だからさ。私も、郁ちゃんが同じ気持ちを持ちながら、今日の話の答えを出してほしいと思う。そうすればお姉ちゃんも喜ぶような気がして…… 私もうれしいからさ」


 自室のベッドで横になりながら、私は考えた。

 お母さんが生きていたら、今回の話についてどう考えただろうか。

 母は、自分を捨てた父や王国を、恨んではいなかったのか。

 母が父と結婚できないとわかり、私を産んだ後も、日本へ帰らず、王国のデュッセルドルフに残ったのはなぜなのか。その後、一転して日本へ戻ったのはなぜなのか。自身や私が王室に受け入れられることを、わずかに期待していたが、ある段階で見切りをつけたのだろうか。それとも単に仕事の関係なのだろうか。

 ……ダメだ、母がすでにこの世にいない以上、今となってはわからないものはわからない。

 そもそも、私は母の遺志を酌んで、今回の選択をすべきなのだろうか。選択をするのは私自身である以上、それも考慮する要素のひとつにすぎないのか……

「はぁ……」

 私はため息をついた。やはり私は、彩香の言うように、難しく考えすぎなのだろうか。

 そうして、いろいろありすぎたその日の夜は更けていった。


 翌朝起きると、千絵美さんは自室の机に突っ伏して寝ていた。……また徹夜したのか。

 風邪を引かないよう、毛布をかけておいた。


 その日も学校はあったが、もう大学入試も終わりつつあり、授業も大した行事もない。卒業式に関する連絡などがあったくらいで、その日は終了した。


 帰宅すると、やはり、昨日の2人が待ち構えていた。私が座るなり、参事官が口火を切った。。

「たびたびお邪魔して申し訳ありませんが、カオルさんもよくお考えいただいたことと思います。お答えをお聞かせ願えますか」

 もう、答えは決まっている。


「はい。私は、あなた方のおっしゃる務めを果たします」


 王国の2人は、顔を見合わせた。

「おお! それはまことに素晴らしいことです。わが国の首相以下、国民がそろって勇気あるご決断に感謝するでしょう」

「ただ、ひとつ約束していただきたいのですが」

 私は切り出した。

「何でしょう。我々にできることでしたら何なりと」

「あなた方は、私に帝国との合意文書に署名させたいようですが、署名は、私自身が自分の意思で行います。政府や議会の決定だから自動的に署名するのだと言って押し付けたり、私を恐喝したり、誰かが私の手を持って無理やり署名させるようなバカな真似は、しないと誓ってください」

 2人は、また顔を見合わせる。

「あなた方は、私が『健全な常識人』だと判断しておられるのでしょう? だったら何の問題もありませんよね。普通の人なら納得するであろうという程度の説明がなされれば、私はきちんと署名することをお約束します」

 参事官は言った。

「それは、当然のことです。理由あってあなたをわざわざ王室にお招きするというのに、それを無意味にするようなことが、誰にできるでしょうか。あなたの署名は、あなたの自由な意思によってなされることをお約束します」


 決まりだ。

 信じがたいことだが、私は『女王様』になるのだ。


「そうと決まれば善は急げですね。さっそく出発のご準備を……」

 え? 何言ってるのこの人たち。

「明日の飛行機の席は用意しておりますので。荷物は後からでも」

 まったく! 私は最後に渾身の力で文句を言ってやった。


「急すぎだから!」

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