10-3. 帝国の成立 3
……というのが、殿下の説明だった。
「『星影の帝国』という呼び名が好みだなんて、殿下は意外とロマンチストなんですね」
私が言うと、殿下は咳払いして、
「ゲイジュツを嗜む者なら、こういう感性があって当然でしょう」
と答えた。私は付け加える。
「ロマンティックとおっしゃるなら、シュテルンリヒト家とわがグランシャリオ家の関係に、触れないわけにはいきませんね」
企業としての帝国グループの基礎を作ったのは、カイザー・シュテルンリヒトの研究チームであることは確かだが、その全員がカイザーの方針に賛同していたわけではなかった。
ジルベール・グランシャリオは、帝国グループの急速な事業拡大路線や、民間軍事会社を用いた強引ともいえる方法に反対していた。カイザーとジルベールの対立が決定的となったのは、同じく研究者であった女性、ノール・ファン・ヘーメルトをめぐる問題だった。下世話なことであるが、カイザーとジルベールのどちらが彼女と付き合うか、という話である。男女の問題というのはいつの時代も難しいようで、結局ノールと結婚することになったジルベールは、帝国を去ったのであった。
欧州連合解体時に独立した勢力は、反帝国という点では一致していたものの、民族や文化的背景も異なっていたので、まとまりを欠いていた。そんな中注目されたのが、帝国に反対する立場から発言を続け、技術的支援も行っていたジルベール・グランシャリオであった。当時の独立勢力は、彼を反帝国の象徴的存在として担ぎ出すことで、勢力を統合しようと考えたのである。彼が、かつての貴族の血筋であったことも、影響していたかもしれない。
ジルベールは、本当はこのような、民主主義を後退させかねない求めは、断りたかったのだろう。自分を担ぐなら、世襲制の国王にでもしてくれ、国民投票で認められれば受けよう、と吹っ掛けたのだった。果たして結果は、賛成が反対を上回り、彼は国王に担がれたのだった。帝国に対抗するために王国を作るとは、物笑いの種だが、ひとまず反帝国の流れを絶やさないためには必要なことだと考えられたのだろう。国号は、かつてこの地域にあった古代ローマの属州名を持ち出して、ベルジカ王国とされた。
王国は、国営企業による生産で帝国の製品に対抗し、品質面で優れた製品を送り出したので、世界的にはそれなりのシェアを得て、大きな利益を国にもたらすこととなった。帝国にとっては、まことに邪魔な相手だったことだろう。カイザーからすれば、ジルベールは鼻持ちならない奴だったに違いない。
一方で、王国は帝国のように、国として世界の紛争に介入するような真似はしなかった。国際貢献という面で力を尽くしたのは、王妃のノール・グランシャリオ個人であった。彼女はもともとそうした方面に関心を持っていたのであろう、自らの立場をある意味利用して、紛争や貧困といった問題を抱える地域を訪れては、人々の関心を喚起して支援を得ようと活動していた。
悲劇は、彼女がアフリカの某国を訪問していた時に起こった。現地の混乱を狙った反政府勢力の襲撃を受け、彼女は殺害されたのであった。跡には、悲嘆にくれる父子が遺された。
このとき、直ちに対応したのは、民間軍事会社『帝国軍』である。すぐさま現地政府の協力を取り付けると、たちまち反政府勢力を壊滅させたのだった。カイザーは何も言わなかったが、彼の強い意向があったことは確かだ。やはりカイザーも彼女への愛を捨てることはできなかったのだろう。結局、カイザーは死ぬまで誰とも結婚することはなかった。
これ以降、帝国は、安全保障こそが帝国の利益であるという姿勢を明確にし、平和の構築や人道支援も進めていくことになる。そこには営利企業としての計算があったことは確かだが、ノール妃の遺志を受け継ごうという意図も、感じられないだろうか。
「ジルベール王とノール妃は、私の曾祖父母ということになるようですね。あまり実感がわきませんけど」
私は肩をすくめて言った。
「帝国を築いた初代カイザーは、金銭欲や権力欲が強かったとか、冷徹な人間だったと言う人がいますが、このエピソードを聞くと、人間味のあるロマンチストだったんじゃないかという気がします。素敵な話だと思われませんか? 殿下」
私が問うと、殿下はいぶかしげな表情をした。
「そうでしょうか。どうも未練がましいように思えて恥ずかしくなるのですが」
「はぁ~、わかっておられませんねぇ、殿下は」
私はため息をついて見せた。彼がムッとするので、私は問いかけた。
「では、この世界で皇帝は、どうあるべきだと思われますか? 殿下は、将来、どのような皇帝になられたいのですか?」
ここには、私がどのような女王であるべきか、という問いも含まれているのだが。
「それは……」
彼は目をそらせた。
「その問いに対する明確な答えを、まだ持っていません。自分が玉座につく姿が、イメージできないのです。皇族のくせに情けないとお思いなら、笑っていただいて結構です」
思った以上に率直な答えだった。ま、そうかもしれないよね。お互いまだ若いんだし。でも、彼の悩みは少し贅沢かもしれない。
「笑いはしませんよ。私なんて、あなたのようにじっくり悩む間も、十分に覚悟を決める間もなく、明確なビジョンもないままに、今の立場に就いてしまいました。どうぞお笑いください」
殿下は答えた。
「ご苦労お察しします、女王陛下。あなたはよくやっておられると思います」
うーん、なんだか、自国の人に言われるよりこそばゆい気がする。ちょっとうれしいのかな、私は。
「私からもお聞きしたいことがあります」
殿下が切り出した。
「私がたまたま乗艦していた空母に、友人が勤務していました。彼の生死を知りたいのですが」
殿下から聞いたクライド・ヘリオット少尉について調べたところ、王国の捕虜の中にはいなかった。帝国軍でも消息は把握していないようである。
このことについて、後日殿下に伝えたところ、彼は消沈して一言発した。
「そうですか。死んでしまったと考えた方がよさそうですね」
この状況では、そう考えざるを得ない。
「この方とは、親しかったのですか」
私が尋ねると、殿下は答えた。
「ええ。彼は、皇族である私にも気さくに接してくれる、貴重な友人でした。彼は私に、その…… 『マンガの素晴らしさ』を、教えた者です」
「ああ、それは…… まことに惜しい方を亡くしました」
皮肉でも何でもなく、本心だった。
「最後に会ったとき、彼が言っていました。ワカミチ・アイというマンガ家の作品が素晴らしいから、読むようにと」
「おお……」
私は驚いた。こんなところで叔母さんの名を聞くことになろうとは。彼女も喜ぶだろう。
「では、若美智愛の作品をここで殿下に読んでいただけるように対応しますので、そうして故人を偲びましょう。ご友人は、敵国の女王からの弔意など、迷惑でしょうか」
「いいえ、彼でしたら、女王陛下のような女性からのお気持ちであれば、どのようなものでも受けるでしょう」
いいご友人をお持ちで。私は、念のため付け加えた。
「残念ながら、若美智愛は成年向け作品を描いておりませんが」




