8-2. 女王様と帝国の捕虜 2
ベルジカ王国の王宮に閣僚たちが集まった日、彼らは帝国との戦争を回避するため、帝国の要求を呑む形で、同盟締結を受け入れるよう、女王を説得した。そしてファン・アスペレン首相は、こう言って女王に迫ったのだった。
「戦争で多くの犠牲が出るのは、先ほど説明申し上げた通りです。戦争ともなれば、国民を団結させ、戦場に送り出さなければなりません。その旗振り役をするのは、陛下です。これらのことを、理解しておられますか。その責任を負う覚悟が、おありですか」
女王は拳を握りしめて、答えた。
「もちろんです。わたくしは自分の役割を果たします」
首相はしばらく女王を見つめていたが、閣僚の1人が言った。
「女王陛下。わが国は立憲君主制です。陛下も憲法に忠誠を誓われたはず。なぜ憲法に反し、国政に介入しようとなさるので?」
「確かに、私は国政に介入しようとしているのかもしれません」
女王は開き直った。
「国政に介入しようとするような非常識な女王は、退位させてはいかがですか? ああ、後継者がいないのでしたね。いっそ、王位を廃止なさっては? そしてあなた方ご自身が、自身の責任において、帝国との関係をお決めになったらいかがですか。そして国民の信を問えばいいでしょう。それが本来の姿です」
閣僚たちは顔を見合わせた。
「しかし……」
「やめよう」
反論しようとする閣僚を、首相が制した。
「我々の負けだ。追い詰められているのは、陛下ではなく、我々の方でしたな」
首相はため息をついた。
「陛下。我々は、帝国との同盟締結に当たり、国王という権威の後ろ盾が欲しかったがため、陛下にわざわざ即位していただいたのです。王位を廃するなど、できるはずがない。意味がなくなってしまいますから」
「そうでしょうね」
首相はぼやいた。
「ああ、前国王陛下は同盟に反対しておられた。帝国の同盟国で暮らしておられた女王陛下であれば、帝国との同盟に対する抵抗も小さいだろうと、そう踏んでいたのですが。我々は賭けに負けたようです」
「そんな目算もおありだったとは」
女王は、呆れと感心を同時に覚えながら、言った。
「しかし、わたくしはアウトサイダーです。国家の一大事において、王国民以上に王国民らしく振舞おうとするのは、当然ではありませんか?」
「それもそうかもしれませんね」
首相は笑った。
「だが、なぜそこまでこの国に尽くそうとなさるのです? 陛下にとっては、この国には来られたばかりで、過去のいきさつも考えれば、決して良い印象ばかりをお持ちとは、思えないのですが?」
「それは……」
その気持ちを、一言で言い表すのは、難しかった。しかし、この時の女王の回答は、こうだった。
「ある人から聞きました。国家というのは、簡単に言えば、国民の生活を守るために、国民ひとりひとりではできないことを、するためにあるのだと。わたくしも、その通りだと考えます。わたくしだって、当然ながら、戦争がしたいわけではありません。そうした国家の役割を果たせるかどうかを、判断基準に置いているだけです。わたくしは、それがこの国や社会のためになると信じます。言わばこれが、わたくしの良心です」
「なるほど。我々の取ろうとしていた道は、王国民らしくもないし、戦争回避を目的として意識しすぎて、国家の役割を放棄しているというわけですな」
女王の言葉を辛辣に翻訳した首相に、女王は苦笑した。
「閣僚の皆さん。失礼ながら、アウトサイダーの若き女王陛下に、ここまで熱の入ったお叱りをいただくとは、我々は政治家として失格ではありませんか。我々は、もう一度奮起しなければならない」
首相の言葉に、閣僚たちも同調した。
「まあ、仕方ないな」
「やはり、このまま帝国に黙ってひざまずくわけにはいかない」
閣僚たちが口々に言う中、フリーダー教育相は女王を持ち上げた。
「陛下。ベテランの政治家たちを翻意させてしまわれるとは、流石です。陛下が王族でなければ、政治家になるようお勧めするところです」
女王はさすがに恥ずかしくなった。
「そんな。わたくし自身ではなく、わたくしの立場と権威の力です。これがなければ、わたくしはただの未熟な小娘にすぎません」
教育相はほほ笑んだ。
「正論や情熱を堂々とぶつけることができるのは、若者の特権ですよ」
この場で決まった方針は、こうだ。
帝国の要求を受け入れると表明する一方、帝国軍に対抗する準備を進め、同盟協約調印式の場で、要求拒否を表明。同時に軍事行動をとる。
これは、強大な帝国軍に攻撃を加えるのであれば、奇襲でなければ十分な効果を上げられないと考えたためであった。だが、いったん外交により解決したと見せかけながら軍事行動を起こすことは、背信行為であり、非難は免れない。また、憲法が原則として戦争を禁じている以上、戦端を開くとすれば自衛が目的でなければならなかった。そこで、帝国の要求を拒否した場合、帝国が設定した期限、すなわち9月15日正午をもって、戦争状態に突入したとみなすことにしたのであった。
ただこのような理屈も、帝国が期限を撤回して敵対的行為を完全にやめた場合は、通用しないので、これもある種の賭けなのだった。
結局帝国は、期限を撤回することも軍事的圧力を解除することもないまま、9月15日正午を迎えた。
調印式の場では、批准書を交換した後、首相が、あらかじめ用意してあった『宣戦布告』の文書と手元ですり替え、首相と女王が素早く署名したのだった。
女王が、皇帝に向かって発言した。
「皇帝陛下。わたくしの署名は終わりましたので、いま署名した文書を読み上げます。どうぞお聞きください」
女王は横にいた首相に文書を渡すと、首相がその文書を読み上げた。
「『ベルジカ王国政府は、帝国による同盟締結の求めを、拒否する。帝国及びその同盟国がわが国に与え続けている不当な軍事的脅威から、国民の生命及び財産を保護するため、政府はいまより、軍事的手段を含むあらゆる方法をとることを、ここに表明する。』
以上です」
皇帝は立ち上がり、王国の首相と女王を見つめ、
「残念です」
と一言述べた。皇帝が、驚いた様子も見せないのは、意外だった。
会場が騒然とする中、降壇した皇帝は、欧州軍司令長官のマルティナ殿下とすれ違いざまに、彼女の肩に手を置くと、
「あとは貴官に任せる」
と言い、会場を後にした。
マルティナ殿下は、王国の2人に向かって、険しい表情で言った。
「皇帝陛下に恥をかかせるとは! 同盟を受け入れる素振りをしながら、だまし討ちとは、なんたる裏切り。あなた方は恥知らずだ!」
首相が答えた。
「何とでも。もう御用はありませんね。どうぞお引き取りください。ああ、わが国の国境を出るまで、あなた方の帰路の安全は保障しますので、ご安心を」
王国の立場からすれば、要求受け入れを表明したにもかかわらず、敵対的軍事行動を続けている帝国の側に非があり、王国は自衛的手段をとったにすぎない、という理屈だった。
殿下は2人を指さして、こう応じた。
「次にお会いするときは、わが軍とともにこ貴国の領土を切り裂き、貴国の民の屍を踏み砕いて、あなた方を捕らえに来ることになる。必ずや後悔なさるでしょう!」
だが、女王は気にしなかった。なぜならすでに少し後悔していたし、どんな方法をとったとしても、多かれ少なかれ後悔することは、もうわかっていたからだった。そこで女王は、
「再びお会いできる日を、楽しみにお待ちしております。殿下」
と言って頭を下げた。これで『後悔』すべきポイントが、ひとつ終わったのだ。女王は安心した。




