5-3. 女王様の簡単なお仕事 3
王宮の外でさんざんカメラのフラッシュを浴びせられた後、閣僚たちが集まった。
大きな長方形の机を挟むように閣僚たちが席につき、私はその短辺に座った。
最初のうちは、会議は思いのほか淡々と進んだ。
「帝国との合意案について、まずは外相から説明を」
副首相の司会で、先日聞いた話について、外相から改めて報告がなされた。それが終わると、
「次に、本件について、各省庁の所管事項に係る影響について、説明を」
とのことで、各閣僚からの説明があった。具体的な影響に関する説明は、想像はしていたが、やはり衝撃的なものだった。
財務相から、国営企業からの収益が入らなくなることによる減収見込みの説明があった。
経済相から、国内総生産の大幅な低下について、説明があった。
金融相から、国内の金融市場に及ぼす打撃について、説明があった。
厚生相から、社会保障制度の維持が困難になることについて、説明があった。
労働相から、失業率の大幅上昇と失業保険財政に与える打撃について、説明があった。
教育相から、無償化されている教育制度が維持できなくなることについて、説明があった。
内相から、治安・防災担当の公務員を削減しなければならなくなることについて、説明があった。
農相から、食料自給率の低下と国内市場の縮小による農業・水産業への悪影響について、説明があった。
これでは、誰も帝国との同盟に賛同しないように思われる。
「では、首相から、本件を受け入れる理由について、説明をお願いします」
ファン・アスペレン首相が口を開いた。
「いま、本件を受け入れた場合に生じる、様々な困難について説明しました。それを踏まえても受け入れる理由は、ひとえに帝国との戦争を回避するためです。国防相、説明を」
先ほど説明がなかった国防相から、帝国と戦争に突入した場合の、人的・物的・経済的損失について説明があった。多くは以前、軍・国防省の担当者から聞いていた話だったが、付け加えられていたのは、他の閣僚たちが先程述べた悪影響が、軍事費の増大等により、戦時下においても起こる恐れがある、という点だった。
でも、これについては疑問がある。汚い話だが、国内の軍需産業が潤い、雇用情勢も改善し、景気が好転する面もあるのではないか。もっとも、敵から攻撃を受けるのだから、そんな呑気な話ではないのかもしれないけれど。
首相が言う。
「このように、戦争ともなれば、わが国に大きな損失が生じるのは必至です。特に人命の損失は取り返しがつきません。さらに、帝国に敗北した後、今よりもさらに厳しい条件が帝国から課されることでしょう。帝国側が譲歩しない以上、戦争を避けるには、痛恨の極みですが、今の条件を飲むほかありません。それにともなういかなる代償にも、我々は責任を持つ所存です」
首相はぶち上げたが、どうも受け入れがたい。
「発言してもよろしいですか」
私が言うと、近くの席にいた教育相が話した。
「女王陛下。ご発言いただくのは構いませんし、この席上の発言は記録されませんが、ご自身の発言には、自ら責任を負わなくてはなりません。そのことをご理解いただきますよう」
クリスティーネ・フリーダー教育相は、40代半ばくらいだろうか。言葉の厳しさとは裏腹に、眼鏡の奥に柔和な表情を浮かべていた。
「理解しております。というかあなた方は、わたくしは国政に関われないにもかかわらず、わたくしか署名する行為について、責任の一端を負わせようとなさっているではありませんか。どちらにしろ責任を負わされるのならば、発言するくらい良いのでは?」
閣僚たちが顔を見合わせる中、教育相は微笑んで言った。
「確かにそうですね。どうぞ陛下のお気持ちをおっしゃってください」
私は発言した。
「わたくしはこれまで、即位の前にも後にも、文書に署名するにあたっては、わたくし自身の意思に基づいておこなうと、繰り返し申し上げてきました。これは、国政に介入しようなどという意図ではなく、政府や議会が決定なさる内容は、十分な議論と合意に基づいており、国民の全員が異議を持たないということはありえないにしても、それなりに理解できる内容になっているはずです。それが民主主義というものです。そのことに対する常識的な態度を述べたに過ぎないつもりなのですが」
首相は答えた。
「陛下はいま、大変婉曲的な表現をされましたが、陛下ご自身は、この案には署名できないとのお考えをお持ちだと理解いたしました」
……私だって発言にはきわめて気を遣っている。遠回しな言い方を考えるの、大変なんだから。
「このような態度で臨んでいるわたくしでさえ、疑問を感じる案について、国民に広く受け入れられると、皆さんはお考えですか」
「国民に広く受け入れられる案がいつも正しいとは、限りません」
「いつも何が正しいかわかっていれば、苦労はしません。話し合いに基づく多数決の結果が、とりあえず正しいということにして、物事を進め、その責任を負うのが、民主主義ではありませんか」
「おっしゃる通りです。私どもの党派は、民主的な選挙の結果、議会で過半数の議席を得ておりますので、この案を可決することが可能です」
「それが健全な民主主義だと?」
「ええ。認識の相違ですかな」
「進める内容が『正しい』とお考えであれば、その内容について、もっと国民の理解を得る努力をすべきではありませんか」
「これまでにも行ってきました。もう時間がありません」
首相との議論は、堂々巡りになりそうだ。私は論点を変えた。
「あなた方は、なぜこの方法が『正しい』とお考えなのですか。もう一度詳しく説明してください」
首相は、再度さっきの説明をするとともに、こう付け加えた。
「確かに国民全体の意見を見ますと、帝国との同盟は受け入れられないとする考えが多数のようです。議会や政府庁舎の周辺に加え、国内各地で連日、反帝国の大規模なデモが行われています。しかし、彼らのうちのどれほどが、真剣に戦争を自身の問題として考えているでしょうか。実際に彼らが戦争の脅威と負担に直面し、犠牲を強いられることになったとき、彼らがそれに耐えられるとは、我々には考えられません。我々の決断は、彼らのためでもあるのです」
国民の多くが、『戦争』を真剣に捉えていないのではないか、という危惧的な感触は、私も抱いていた。
欧州では、第二次世界大戦が終結してから、大きな戦争を経験していない。戦争経験者がいなくなって久しい。もちろん、歴史教育で戦争のことは教えられているし、克明な記録映像をいくらでも見ることができるのだが、現実的な問題としての戦争は、遠ざかってしまっているのかもしれない。
だが、私は首相に同意しなかった。
「あなた方は、戦争の問題を真剣に考えていないのは、わたくしも同じだとお思いですか」
私の突っ込んだ質問に、場の空気が冷え込んだ。だが、その空気をさらに凍らせたのは、首相の答えだった。
「違いますか? 陛下」
……言うじゃないか、首相。彼はさらに続けた。
「戦時に敵の指導部を破壊するのは常套手段です。その目標には我々だけでなく、陛下も含まれるでしょう。そうでなくても、戦争で多くの犠牲が出るのは、先ほど説明申し上げた通りです。戦争ともなれば、国民を団結させ、戦場に送り出さなければなりません。その旗振り役をするのは、陛下です。これらのことを、理解しておられますか。その責任を負う覚悟が、おありですか」
私は拳を握りしめた。冷や汗が、背筋を伝うのがわかった。
この会議は1時間半ほどで終わった。通常の閣議は、1回当たり十数分程度だから、随分長かったことになる。
王宮から出てくる閣僚に、記者たちはフラッシュを浴びせ、何が話し合われたのか、何が決まったのかと問うたが、閣僚たちは何もコメントしなかった。
だがほどなくして、政府が帝国との同盟受け入れ決定を正式に発表したので、多くの人はこの場で何が決まったのか、悟ったことだろう。
その後、議会での議論は、きわめて白熱したものになった。右派が反発するのは当然だったが、与党内からも、テロ組織討伐という帝国の主張が失われたのに、要求を呑まなければならないのはおかしい、との意見が出た。左派は、帝国との同盟は大きな社会不安を招くとして反対したが、では戦争を受け入れるのかという点で意見が分かれ、党内の意見集約ができない状況となってしまった。
結局、抗議の怒号が飛ぶ中で採決が行われ、与党の賛成多数で帝国との合意案は可決された。右派は反対、左派は戦争容認派が案に反対したが、戦争反対派は議場を退席し採決に加わらなかった。
かくして、帝国との同盟受け入れについては、政治手続上は一応の決着をみた。
続いて、王国首相が帝国欧州軍司令長官と会談した。帝国の「外交」は軍が担当しており、王国のカウンターパートは帝国欧州軍である。欧州軍の外交から戦闘部隊の指揮までを一手に担う責任者のマルティナ・K・シュテルンリヒト司令長官は、皇帝の従妹にあたる皇族だ。首相は帝国との同盟を表明して両者は合意に達した。
しかし、各地で繰り広げられる反帝国・反政府のデモは、収まるどころか、ますます規模が膨らんでいった。一部は暴徒化し、治安部隊と衝突の末、多くの負傷者が出た。王国が受け入れを表明したにもかかわらず、帝国軍が軍事的威嚇をやめなかったことも、反発に拍車をかけていた。
9月15日。帝国との調印式は、このような騒然とした雰囲気の中、厳重な警戒体制の下で行われることとなった。
王国側で署名するのは、首相ヨス・ファン・アスペレン及び女王カオル・A・グランシャリオ。
帝国側で署名するのは、帝国欧州軍司令長官マルティナ・K・シュテルンリヒト上級大将及び皇帝カールハインツ・K・シュテルンリヒト。
国家の主権に関わる重大な内容の合意であるという点に加え、調印と認証や発効を一度にやってしまおうということで、双方の国家元首も出席するという布陣である。
「緊張していますか? 女王さま」
調印式に向かう前の王宮で、彩香が言った。
「当たり前だよ」
「お疲れのようですね」
「それも当たり前だよ」
むしろ、これから後の方が大変な気がするけれど。
「大丈夫。カオルが決めたことだから。自信を持てばいいよ」
彼女はそう言って、私の肩をたたいた。
「ありがとう」
私の一筆によって、一国の運命が決まる。私の人生で、これほど重い署名をすることは、後にも先にもないかもしれない。
いずれにしろ、私にとってだけでなく、王国にとって、いや、世界にとって、今日は歴史的な日になるはずなのだった。
自分のしでかそうとしていることの大きさに、私は震えた。




