下
「………」
イザベルの告白が終わったが、マリウスはどう言っていいのかわからなかった。
夢の中で婚約破棄をしでかした挙句破滅し、自業自得の末路を迎えたという自分。
彼にはイザベルの夢を所詮ただの夢と一蹴することはできなかった。
何故ならば、彼女が夢の中でなっていたというベアトリーチェやミカエル殿下、自分も含めた取り巻き達も、彼女が名前しか知らないはずの子爵家嫡男まで容姿と名前が一致していたからだった。
暫し考えたのち、彼は優しくイザベルの手を取って言葉を発する。
「イザベル、君はどうしたい?」
「え…?」
彼女は思わず顔を上げてマリウスを見つめる。
「今、君がその夢を見てどう思っているのか、全て聞かせてほしい」
彼の真剣な眼差しを受け、彼女は口を開いた。
「わ、私はマリウス様に捨てられるのは嫌です!」
「そうか…」
「でっ、でもマリウス様がヒロインとやらを好きになるなら今のうちに婚約破棄してください!!」
「そ、そうか…」
彼女の答えは至極当然だ。
将来婚約破棄すると知った男でも嫁ぎたいと思うような者はほぼいない。
ただ、彼女は必要と有らば躊躇いなく自分を切り捨てる事も出来ると知り、マリウスは大いに感心すると同時に戦慄した。
マリウスは一息ついて心を落ち着かせると、口を開く。
「イザベル…ありがとう」
「マリウス様…?」
「ありがとう。俺は君の婚約者であることを誇りに思う」
柔らかい笑みを浮かべ、彼は彼女の頬にキスを落とす。
「君がこんなにも感情を出してくれたこと、そして自分の胸の内を正直に言ってくれたこと。俺はとても嬉しいよ」
またひとつ、キスを落とした。
イザベルは真っ赤になりながらも、彼の言葉をじっと待つ。
「ただ、俺は君に謝らなければいけないことがある」
「な、何ですか…?」
やはり今婚約は白紙にしようと告げられるのだろうか、とイザベルは身構える。
しかし、彼から告げられたのは思いもしない言葉だった。
「俺は今まで、君との時間を蔑ろにしていた」
「えっ…?」
「君は婚約者として、淑女としてとても成長しているよ。ただ、君の笑顔が余所行きのものになっていくのが寂しかったんだ…」
今ならば、訪問前の引っ掛かりの理由がよくわかる。そして、自分自身の落ち度も。
「俺は君と婚約前からの知り合いだとか、婚約者だという立場に甘えていて、自分で何も行動しようとしなかった。君と会う時間でさえも、もっともっと色んな事を君と話し合うべきだったのに」
それに気づかなかった俺の未来が、君の見た夢だったのかもな、と彼は夢の中の自分を憐れむ様に遠くを見やる。
「これから俺は、君が見た夢の様に君を悲しませる事はないと誓うよ。それでも、君が俺を信じることが難しく、この婚姻を続けられないというならば、俺が全て責任を取る」
先程の様に彼女の手を取っていたが、先程よりもずっと彼の眼は真剣で、嘘偽りが全く無い真実だった。
イザベルは目を伏せて暫し考え、
「……!」
もう一方の手で彼と自分のそれを包み込む。
「私は、まだ怖いのです。あの夢が正夢になってしまうのではないかと、まだ怯えているのです」
彼女の手は震えていた。
「でも、それでも私はまだ貴方を信じていたい…。貴方を愛したい、貴方に深く愛してほしいです…ッ!!」
彼女が言い終わった瞬間、彼は彼女をしっかりと抱きしめていた。
「イザベル、愛している…」
「私も愛しています、マリウス様…」
「政略結婚だが、共に愛し合う夫婦となろう」
「ええ…」
イザベルの頬には再び涙が伝う。しかし、顔には心からの笑みが浮かんでいた。
二人は互いに短く言葉を交わしながら、暫く抱き合っていた。
使用人のみならず、イザベルの母親のニコラ伯爵夫人と妹までもがいつの間にか貰い泣きして様子を見守っていたのに気づくのは、もっと後の事。
「………」
「?マリウス様、どうしたのですか?」
タイミングを見計らって声を掛けてきた伯爵夫人と妹に一通り弄られ、使用人達からは生温かくも微笑ましく見守られる中、二人は顔を突き合わせて本来の目的であるお茶をしていた。
「いや、貴女の見た夢が気になってな…ミカエル殿下たちの事や、帝国が王国を占拠する事、アルハンブラ嬢が前世の記憶が蘇る事とか…。夢によれば、彼女はもう皇帝と接触しているんだろう?」
「そうですね、確かそうでした……。でもレオナルド殿下はまだ出奔はされていないですよね?」
「ああ。ただあと1年後に暗殺未遂事件が起きる事になるな」
「…もしも、もしもですが、マリウス様以外の方々が夢の様になった場合、私達はどうなります?」
「処刑はされないだろうが、元ミカエル殿下側ということで色々と不利益となるだろうな…いや、最悪の場合誰かの罪を擦り付けられて処刑という事も…」
「ヒッ…!!」
その様を想像してしまったのか、イザベルの体がびくりと跳ねた。
「!!すまない、怖がらせてしまったな…」
「い、いえ…。…マリウス様、今から殿下に進言などは出来ないですか?」
「俺も今それを考えていた。ただ、そのためには君にあの夢を詳しく書き出して貰う必要がある。辛い事を思い出してもらわなければいけないが…」
「私、やりますわ。その代わり、条件がありますの」
「…?何だ?」
「それは…その…」
「??」
真っ赤になり顔を伏せたイザベルだが、ごにょごにょと小声で条件を口にした。
「お、王室御用達と言われているパンケーキ…マリウス様と一緒に食べに行き、たくて…」
「それだけでいいのか?お土産にタルトとマカロンも付けないか?」
「!!!良いのですか!?」
「見返りとしては足りないくらいだろう?いや、見返りという形で終わらせたくないな。他にやりたいことがあったら言ってくれ」
「ありがとうございます…!マリウス様は何かないのですか?」
「そうだな…。俺の前では本音を言ってほしいのと…後は…結婚してからで…」
「…マリウス様、顔が赤いですよ」
「それは心に留めて置いてくれると嬉しいのだが……。概ね君の想像通りだろうし…」
「うふふ…ならばマリウス様のやって欲しい事が出来るように頑張りますわ!」
子爵家の一室で、二人の笑い声が響く。
相手と自分の未来のため、悪夢を正夢にさせはしないと決意を固めた二人は、いつもよりも逞しく感じられた。