だれも、しんじてくれなくて。
「……帰る」
「え、あ、うん」
「また明日」
なんだか落ち着かない様子の西島くんをその場において、僕は屋上を後にした。
「遥ちゃん……」
「あー、うん。西島くんはあんなこと言ってたけど、僕は樹のことちゃんと見えてるし、信じてるから」
心配そうな顔で隣に立つ樹ににこりと笑って、僕は階段を下り始めた。
「待って、遠藤さん!」
踊り場まで下りたところで屋上の扉がバンッ! と開き、西島くんが階段を駆け下りてきた。
「ごめん、俺、やっぱり無神経だった。でも遠藤さんが辛そうだったからつい」
半分泣きそうな顔で必死に言う西島くんの顔を見て、あー、この人悪い人ではないんだなぁ、とは思った。だけど。
「うん、分かってる。けど今日は帰るね」
「……そっか。本当にごめん。また明日」
項垂れた西島くんにそっと手を振ってから背を向けた。
階段を下りきって、校舎を出てからも樹は何も言わない。
いつもは樹がいつも通り喋って、僕はつい反応を返してから不審者に見られてないかとあたりを見回す、なんてことを繰り返していたのに。
「僕、遥ちゃんにも見えない方が良かったかな」
樹がポツリ、とこぼした声が妙に響いた。
「そ、そんなわけないだろ! 僕は、僕はどんな気持ちで病院に行って樹を見たと」
「うん、そうだよね。でも」
それが普通だから。
いつもの困ったような顔で告げられた言葉に、なんて返せばいいのか分からなくて僕は唇を噛んだ。
そう、大抵の人は心の準備なんか出来ずに、ある日突然親しい人を亡くす。亡くした後にまた言葉を交わすなんてことは異例中の異例。
――――その異例ですら、本当かどうかも分からない。
今そこに見えているはずの樹ですら、僕が見ている幻かもしれない。そう思い至ったら、なんだか急に足元がぐらついた気がした。
「……西島、余計なこと言いやがって」
「え、樹? 何か言った?」
「ううん、なんでもないよ、遥ちゃん」
そんなことより、と樹は僕に目線を合わせるとにっこりと笑った。
「僕はここにいるよ、遥ちゃん」
樹の手が僕の頬の輪郭をなぞった。ひんやりとした空気が頬を滑ったような気がした。
「例え、僕がユーレイでも、マボロシでも、遥ちゃんの心の準備が出来るまでの支えになれるなら、それでいい」
清々しいくらい綺麗に樹は笑った。
「いつきいぃぃ」
「あー、もう遥ちゃんまた女の子の顔じゃなくなってるよ」
べそべそと涙をこぼす僕に、困ったように笑う樹。最近の僕は泣いてばっかりだし、樹も困った顔で笑うばっかりだ。
「さてとー、思ったよりも遅くなっちゃってお腹も空いたし早く帰ろ、遥ちゃん」
「幽霊でもお腹空くの?」
「そこは言葉のあや、ってやつですよ」
涙の跡を頬に残したまま笑う僕と、ふよふよと浮いたまま笑う樹。
「そういえばさ、樹は自分の家に帰らなくていいのか?」
「え?」
ピキリ、と樹が固まった。すごい、幽霊なのにカチンコチン。
「あ、いや、だって僕のこと遥ちゃんしか見えないし、帰る必要ないし!」
「いやいや、そういう問題じゃないだろ」
どんだけ樹のお母さんとお父さんに苦労かけてると思ってるんだ。たとえ見えなくても一度は帰らなきゃダメだろ。
「明日の放課後は樹の家に行かないとなー。浩樹さん、いるかなー」
「兄さんはいない方がいいかと!」
「だって僕、ちゃんと慰めてもらったお礼してないもん」
なんというか、本当に樹は浩樹さんが苦手だよなー。僕には優しいお兄さんなのに。
「だいたい、樹はもう幽霊だし浩樹さんには見えないし別に良くない?」
「いや、遥ちゃんは分かってない。あの兄さんなら死んでも弄られる」
見えないのにどうやって弄るんだよ、なんて呆れる一方、浩樹さんなら出来そうかもなぁ、なんても思う。
まあ、もし出来たとしても樹がどんまい、ってことで。
「よし、明日浩樹さんいたら樹の家にお邪魔しよ」
「僕の話聞いてた!?」
慌てて僕の周りをくるくると飛び回る樹を面白く眺めながら、帰り道を歩き始めた。