2:双子
しばらく歩いた後、その日は野営をすることになった。リタが火をおこし、アスカとローワンがテントを張った。ティアも何か手伝おうと、周辺から枯れ木を集め、焚き火の薪にした。
上空を流れる雲のシルエットが、風に流されながら少しづつその形を変える。そうやってできた空の隙間から、まぶたを開けたり閉じたりするみたいに、時々月明かりがのぞいていた。そうやって照らされた世界は、見渡す限りの草原で、まるでそれが世界のすべてであるかのように、ティアには思われた。
ティアは冷えた両手を焚き火に当て、揺れる炎に目を落とす。
「思ったよりも進めたわね。この分なら明日の午前中には着くんじゃないかしら」
肩に担いだ大剣を下ろしながら、ローワンがそういう。
元奴隷刈り。
以前アスカが言った言葉を思い出す。それが一体どういうことなのか、その言葉の意味するところを、ティアはまだ理解しきれていなかった。
「このまま何もなければ、ね」
焚き火に枯れ木を足しながら、リタが眠そうに答える。
「そん時はそん時だ。俺は先に寝るぜ」
リタの隣で寝っ転がっていたアスカは、そう言って起き上がると、その場で大きく背伸びをしてテントの中に消えていく。一行の荷物の殆どはアスカが背負っていたので疲れたのだろう。ティアはその背中に小さくおやすみなさいとつぶやき、少年は小さく手を上げてそれに答えた。
「私ももう寝るけど、あなたたちも早く寝なさいよ。明日は日の出と一緒に出発するからね」
「はいはい」
ローワンの言葉にリタがめんどくさそうに相槌を打つ。ローワンは少し呆れた顔をしたが、それ以上は何も言わずにテントの中に入っていく。
残された二人は、お互い何を言うわけでもなく、ただ隣り合って焚き火の前に座っていた。
何を考えているんだろう。ティアは隣に座る少女の表情をちらりと伺う。凛とした横顔は微動だにせず、その瞳の中では赤い炎の影が揺れている。長く伸びた赤髪はうなじのところでゆとりも持って束ねられ、火に照らされたその美しい毛並みは、リタの容貌をより一層際立たせる。
(不思議な姉弟だな)
ティアはふと、そんなことを思った。
双子。その割に、二人の容姿が似ているようには思えなかったからだ。
燃えるような赤髪をした眼の前の少女。一方で、アスカのそれは月明かりのない夜みたいな漆黒だ。鼻や口元も、あまり似ているとは思わなかった。
ただひとつ、二人が共通してもつのは、青く透き通るような、そのキレイな両目だった。
「不思議?」
ふと、まるでティアの心の中を読み取ったかのように、リタが呟いた。ティアは驚く。
「あんまり似てないもんね。私とアスカって。でも安心して。私たちは正真正銘の姉弟のはずだから。そのことについて隠し事はないわ」
相変わらず炎だけを見つめながら、リタは続ける。姉弟のはず。煮え切らない答えだったが、そう言った横顔が、少しだけ悲しげに見えたのは、気のせいではないだろう。ティアはなんとなく、この姉弟には自分の立ち入ることのできない『何か』がある気がした。
「私とアスカはね、もともとあの街の人間じゃないのよ。そのことは、前に言ったかもしれないけど」
その話は、以前にもう聞いていた。ローワンは、彼らの育ての親でこそあれ、血のつながりはないと。
「私たちは、街の外にあった小さな村に生まれ落ちるはずだった。でも、いろいろあってそうはならなかった。私たちの母親は、私たちを産む前に死んじゃったから」
淡々と説明を続けるリタの言葉に、ティアは驚いた。直接聞いたわけではなかったが、おそらく彼らの両親は死んでいるのだろうと推測はしていた。しかし、産む前に死ぬ? それはどういうことだろうか。
「死んだ母親のお腹から、ローワンが私とアスカを取りだしたの。最初に取り出されたのが私。だから私が姉で、アスカが弟。ちょっと違ってたら逆になってたかもね」
リタはそう言って小さく笑う。
「その時何があったのかは、私もちゃんとは知らない。奴隷狩りが村に来て、村は壊滅。私とアスカだけ、生き残った」
ティアは息を飲む。元奴隷狩り。その言葉の意味が少しだけ分かった気がした。
「じゃあ、ローワンさんが元奴隷刈りって話は本当だったんですね」
「ほんとよ。その日以来、足を洗ったみたいだけど」
ローワンが彼らを助けたのは、贖罪の気持ちからなのだろうか? そのあたりのことは、ティアには想像することしかできない。しかし何にせよ、彼はこの姉弟を助け、今日まで育てている。その事実が嘘でないことは確かだ。
そのことを、リタもわかっているのだろう。ローワンの過去を気にするような素振りはみせない。
「それからずっと、ローワンは周辺部族との交流を続けてる。食べ物とかビールとか、そういうものを届けたり、最近だとかさ張るからパン種を持ってくことが多いわね。軽いし、街で作れるパン種の方が、ずっと良いものだから」
ようやく今回の旅の目的を理解できた気がした。ティアはリタから視線を外し、先程よりも少し小さくなった焚き火に目を移す。ぱちぱちと木が弾ける音が静かな夜に響き、二人の間の時間を埋めていく。
「たぶんローワンには、私たちに隠してる事があると思う。それが何なのかはわからないけど、たぶんそのことがアスカが魔法を使えないことと関係があるきがするの」
「隠していること……」
「うん。でも、きっとまだ言えないんだと思う。理由はわからないけどね」
そうなのだろうか。ティアはローワンという男について思い返してみる。しかし、彼女がこの一月で彼について学んだことは少ない。
世の中には理由がわからないことが多すぎるな。ティアはそう思った。
「それより不思議なのは、ティアも魔法を使えないってこと。私が知る限り、この世で魔法を使えない人間なんてアスカ一人だったのに、なぜかティアも使えない。あなたたちの共通点っていったいなんなのかしら」
「それは、私にも分かりません……」
「でも、それにはなにか大事な意味があると思う」
リタはそう言って頷くと、静かに立ち上がってティアを見下ろす。
「だから、いつかきっと、その秘密を暴いてやるんだ」
そう口にしたリタの瞳は、真っ直ぐにティアを見つめていた。
あぁ、この人はとても強い人なんだな。私なんかとても敵わない。ティアは、そう思いながら、ただその瞳を見つめ返すしかなかった。