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例えば竜の国で  作者: 月島朝
第一章
5/8

4:秘密

窓から差し込む眩しい朝の日差しで、ティアは目を覚ました。カーテンを閉め忘れたのだろう。それは、彼女にとってはいつもより少し早い起床だった。

 

ティアは体を起こして、体の節々が痛むことに気付いた。腕には昨日付いたであろう擦り傷がいくつかあったが、それよりも足、とくに太ももが痛む。筋肉痛、というやつらしい。

 痛みが最小限になるようにゆっくりと体を起こすと、彼女は立ち上げって日の差す窓の淵に腰をおろし、そこから見える湖の光に目を向けた。

 

まるで、昨日のことがウソのように美しい朝だった。

 

結局赤麦屋についたのは、アスカに助けられてから一時間以上あとのことだった。

 ローワンはティアが戻ったことを泣いて喜んでくれたし、リタもその存在を確かめるようになんども力強く彼女を抱きしめた。結局、その日は赤麦屋の営業をしなかったらしい。

 ティアは何度も頭を下げて謝ったが、 三人共気にする様子はなく、そのことが逆にティアを不安にさせた。

 

役に立ちたいと言っておきながら、その思いが空回りしているのが自分でもわかる。ティアは朝日に目覚めたばかりの街を見渡しながら、小さくため息を付いた。

 

ふと、窓のそとで店のドア鈴がなる音が聞こえた。見下ろすと、まさに一人の少年が剣を片手に、店から出ていくところだった。

 稽古に行くのだろうか。それが彼の日課だったから、ティアにも想像はできた。何しろ剣意外なにも持たずに出ていくのだから、推測は容易だ。

 

 しかし、一体彼はなぜ剣の稽古なんてしているのだろう。そんな疑問が彼女の頭をよぎる。

 

 一体、いつ剣なんてものが必要になるのだろうか。

 

 確かに、この街の治安はあまりよくなさそうだった。それは、ティア自身が昨晩体験したことでもある。だからといって、ティアは腰に剣をつけて歩く人を彼以外に知らない。理由は明白だった。そんな自衛の手段を持つ理由がないからだ。それはつまり、剣以上に安全なものを、この街の全ての人は持ち歩いているからだ。

 

 魔法、である。

 

 魔法は、全ての人が等しく使いこなせるものではないらしい。浮かすのが得意な人、壊すのが得意な人、操るのが得意な人、といった具合に、向き不向きが存在するのだ。といっても、その技術の練度は使用量に比例する。練習すればするだけ、得意になる。これもリタが教えてくれたことだ。

 

 しかし、そういった知識とは裏腹に、ティアはその言葉の意味を実感をもってはわからずにいた。

 

 ティアには魔法が使えなかった。

 

 冷静に考えれば、それはおかしな話だ。精霊石が存在する限り、全ての人は得意不得意さえあれ、魔法が使えなければおかしい。リタの話ではそのはずだ。しかし実際問題として、彼女は魔法が使えない。それどころか、精霊というものが一体なんなのか、そのことさえわからずにいた。

 

 展望台での老人との会話を思い出す。彼は精霊石を神様の贈り物だと言っていた。


 贈り物。だとすれば、それは自分のために用意されたものではないらしい。しかし不思議と、ティアは魔法が使えないという事実に負い目を感じることはなかった。

 

 そんなことを考えているうちに、アスカの姿は見えなくなっていた。

 気になる。いつもの好奇心が、彼女を行動に移させる。

 

 クローゼットを開け、寝間着から着替える。そこに入っているのは、リタからのお下がりがほとんどだ。一番のお気に入りだった上着は昨日取られてしまっていたので、仕方なく別のものを着る。すこし大きかったが、問題はない。

 

 部屋の扉を開け、階段を駆け下りる。いや、駆け下りたかったのだが、途中太ももの痛みを思い出しうずくまってしまった。もっと運動しなくちゃと自分に言い聞かせながらなんとか立ち上がり、手すりに捕まってゆっくり降りていく。

 

 階段の先はお店のカウンターにつながっていた。ギシギシと音を立てながら一段一段降りていくと、すでに誰かがいることに気づく。ローワンだ。

 

 「あら、いつもより早いじゃない。ゆっくり眠れた?」

 

 ティアに気づくと、彼は作業の手を止めて彼女の方を向いた。

 

 「はい。ありがとうございます。体の方は筋肉痛なんですけど」

 

 アハハ、と苦笑しながら言うと、ローワンは「若い証拠よ」と言って笑った。

 

 ティアは最後の一段を降りると、カウンターから出て、店内で一番大きな窓の方へと歩み寄る。アスカが出ていった方向がそちらだったような気がしたのだが、そこから見える通りはすでに多くの人がいきかい、アスカの姿を見つけることはできない。ティアの小さなため息は、窓外の喧騒にかき消されてしまった。

 

 「アスカのことが気になるの?」

 

 その様子を背後から眺めていたローワンが、彼女の背中にそう呼びかける。

 

 「はい。なんでいつも剣の稽古なんてしてるんだろうって」

 

 窓ガラスに頬をくっつけて、道行く子どもたちのはしゃぎ声に耳を澄ませる。そこだけ見ていれば、世界はまるで平和であるように見える。そしてきっと、世界は平和だ。ティアは吐息で白くなったガラスを服の裾で軽く撫でた。

 

 「なるほどねー。確かにこの辺じゃ珍しいものね。剣なんて」

 

 「何か理由があるんですか?」

 

 「理由ねー」

 

 ローワンはティアの問に対し、小さくそうつぶやく。

 

 「あってないようなものなのかもしれないわ。あえて言うなら、なりゆき、かしら」


 その言葉には、どこか悲しい含みがあるような気がして、ティアは思わず振り返った。ローワンは相変わらず変わらない表情でキッチンに立って、朝食の準備をしている。

 

 「なりゆき、ですか」

 

 「よく分からないなら、本人に聞いてみたら良いんじゃない?」

 

 「えっ」

 

 予想外の提案に、ティアは驚きの声を漏らす。

 

 しかし、それは至極当然の発想だった。なにかやましいことがあるわけではない。本人に聞いてみればいいのだ。なぜ剣を練習するのですか、と。

 なぜその考えが浮かばなかったのだろうか。ティアは少し考えて、自分がその結論を避けていたことに気づく。理由はわからなかったが、それは、なんだか『触れてはいけないこと』のような気がしていた。

 

 「いいきっかけになるとおもうわよ。お互いのことをもっとよく知るための、ね」

 

 きっかけ。なんとなくひっかかるなと思いながら、ティアはローワンの言葉を頭のなかで反復して、小さく頷いた。

 

 「どこで稽古してるんですか?」


 ※


 (階段と筋肉痛の相性って、よくないな)

 

 朝日を浴びて輝く湖の水面に、水鳥の親子が穏やかに漂っている。その様子を眺めながら、ティアは浜辺へと続く階段を一段一段丁寧に、ゆっくりと下っていく。

 

 ローワンに教えてもらったアスカの稽古場は、赤麦屋から出た通りを湖側に下っていった先にある湖畔だった。周囲に人影はなく、朝の賑わいが遠く聞こえる他には、目立った物音はしない。ティアは階段を降りきると、ゆっくりと周囲を見渡す。が、そこに目的の少年の姿はない。

 

 「何しに来たの?」

 

 「ふぇっ!? わっ!」

 

 想定外の方向から聞こえてきた声に体を向けようとして体制を崩し、ティアは情けない声を出しながらその場に倒れこんだ。

 

 「そんなに驚くことじゃないだろ……」

 

 体を起こしながら見上げると、近くに立っていた木の枝に腰掛けた少年が目に入る。アスカだ。

 

 「そ、そんなところで何してるんですか! 驚かさないでください!」

 

 「驚かせたつもりはなかったんだけどな。俺はただ景色を眺めていただけだよ」

 

 「景色?」

 

 「そ。穴場なんだここ。精霊石がきれいだろ?」

 

 言いながら視線をそらすアスカにつられて、ティアもその先を追う。

 

 水面の向こうに、幻想的な都の景色を真ん中から裂くように、赤くそびえる塔が見える。それは塔と呼ぶにはあまりに不格好で、不規則で、不可解な形をしていたが、まるで街を監視するかのように存在するそれは、まさしく塔のように見えた。

 

 太陽の光を背後に浴びながら、精霊石の赤い輝きは水面をいつも以上に照らし出す。まるで、その一角だけこの街とは違う場所に存在しているようだ。ティアはその景色に息を飲み、しばしの間それに見とれた。

 

 「朝のこの時間が、一番綺麗なんだよ」

 

 「好きなんですか? 精霊石」

 

 「別に精霊石は好きでも嫌いでもないけどさ、きれいな景色を嫌いなやつはいないだろ?」

 

 イタズラっぽく笑うと、アスカは枝から足元の砂場に飛び降りた。手には鞘に入ったいつもの剣が握られている。

 

 「で、俺の質問にまだ答えてないけど?」

 

 「質問?」

 

 「何しに来たのって話だよ」

 

 「あ。そ、そうですよね」

 

 大したことはない。ただ、なんで剣の稽古なんてって、聞くだけだ。ティアは自分に言い聞かせる。が、たったそれだけのことで、心臓の鼓動が早くなるのを感じる。

 

 「あ、あの! 全然たいしたことじゃなくて、つまり、その」

 

 砂を払いながら立ち上がり、アスカの方に向き直る。

 

 「ど、どうして剣の稽古なんてしてるのかなって思って……」

 

 もじもじとうつむきながらそう言うと、ティアは上目遣いで少年の顔色を伺った。彼女の予想反して、アスカはきょとんとした表情で聞き返す。

 

 「剣の稽古に理由っているの? リタが魔法の練習するのと一緒だけど」

 

 あ、違うんです! そうじゃなくって! ティアは途端に恥ずかしくなって、顔の前で手をバタバタと振りながら訂正する。嫌だな。顔、赤くなってないかな。そんなことを思いながら両手の平で隠すように自分の顔を覆う。二、三回深呼吸をして、呼吸を整える。

 

 「剣を持ってる人なんて、あんまり見ないから、つい」

 

 「あー、なるほどね。確かに剣なんてほとんど絶滅寸前の武器だからなぁ」

 

 まあ、武器って言っても、これはほとんどお守りみたいなものだけどな。アスカはティアの問の答えにそう付け足して、何度か頷いた。お守り? どういうことだろう。しかしティアの疑問に割って入るようにアスカは続ける。

 

 「知らないかもしれないけど、城壁の外を守る王国騎士はみんな剣を持ってるんだ。その他には――」

 

 そこまで言って小さく貯めると、アスカはもう一度ティアの目を見て続ける。

 

 「奴隷狩りとかも、ね」

 

 その言葉にティアの背筋がピンと伸びる。奴隷狩り? この少年が? 様々な憶測が頭の中を飛び交う。

 

 奴隷狩り。それは城壁の《外》で暮らす人々を奴隷として集めるもの。初めてこの街にやってきたときに、アスカの口から聞いた言葉だった。たぶんティアも奴隷狩りに捕まって、商人に引き渡されたんだと思う。彼はそういった。

 だとすれば、アスカが奴隷狩りのはずがない。奴隷商人から奴隷を開放するようなことを、するはずがない。

 

 と、そんな風に狼狽するティアの様子を見ていたアスカが、急に吹き出した。

 

 「な、何がおかしいんですか!?」


 「ご、ごめんごめん。俺は奴隷狩りじゃねーよ。変な心配すんな」


 「へ?」


 思わず自分の口から出た間抜けな言葉が恥ずかしくて、ティアはまた口を抑える。


 「からかわないでください!」


 「別にからかってないよ。ティアが勝手に誤解しただけ」


 「ゼッタイゼッタイからかってます!!」


 膨れ顔のティアを見ながら、笑いながら「悪かったって」と言って、アスカはその頭をポンポンと数度叩いた。


 「今のはヒントだ。見張りの兵士と奴隷狩り。彼らの共通点は?」


 「共通点って……」


 ティアはほんのりと赤らんだ頬を隠すようにうつむきながら、アスカの言った言葉の意味を考えてみる。


 「壁の外で働く人たちって、ことですよね」


 言った後で、奴隷狩りを働く人と称するのはなんとなく嫌だなと、ティアは思った。


 「正解! じゃあなんで、壁の外で働く人たちは剣を持つでしょう?」


 「なんでって、それは多分、壁の外だと――」


 いいかけて、ティアはハッとなった。


 壁の外だと魔法が使えない。それがその問の答えだ。


 魔法が使えない。使えないから、自衛のために他の手段を持つ。それが剣。


 彼女はここ一月の生活を思い返してみた。あったかも記憶を探すために。しかし、彼女の記憶の中に思い描いた光景は見当たらない。


 つまり、アスカ・クルスが魔法を使う光景が、だ。


 「お察しの通り、俺は魔法が使えないんだ」


 その言葉はアスカの口から切り出された。

 そんなことは微塵も気にしていない。ティアには、そんな言い方に聞こえた。


 「そ、そうだったんですね」


 嫌な予感の正体はこれかと、ティアは納得した。たぶん自分は無意識にそのことに気付いていたんだ。だから答えを聞くのをためらったんだと。


 「変なこと聞いて、ごめんなさい」


 「なんで謝るの?」


 「だって、嫌な話させちゃったかなって思って……」


 「でもティアも魔法使えないじゃん」


 「え? あっ!!」


 言われて、ティアは気づく。そうだ、自分も魔法がつかえない。

 なぜだろう。ティアは考える。誰にでも魔法を与えるはずの精霊石が、どういうわけか自分と目の前の少年にはうまく作用していない。何か理由があるのだろうか。しかし、答えは出てこなかった。


 「理由は正直わからないんだ。生まれてから十七年、一度も使えたことがない。双子のリタはめちゃめちゃ自由に使えるのにな」


 「それって、よくあることなんですか?」


 「いや、少なくとも俺が知ってるのは、俺とおまえの二人だけだぜ」


 そうですか、と言いながら、ティアはそのことを不思議に思った。二人だけ。そんなことがあるだろうか? きっと、それには何か理由があるはずだ。しかし、ティアにはその理由が何なのか、憶測さえつけることができなかった。


 「だから正直驚いたんだ。ティアが魔法を使えないって聞いた時」


 「そりゃ、そうですよね」


 「案外、俺たちどっかで血が繋がった兄妹なのかもよ?」


 「兄妹、ですか」


 それは、もしそうだったら、少しだけ面白いな。ティアはアスカの言ったセリフについて少しだけ考えてみる。兄妹、か。でも、そうでないほうがいいな、と。


 暫くの間、二人はそんなたわいない冗談で笑いあった。


 ティアには、なんだかそんな時間がとても楽しく、愛おしく感じられた。まるで、世界に二人しかしらない秘密ができたみたいだったからだ。実際のところ、それは二人だけの秘密というわけではなかったのだが。


 「そいういえば一個だけ不思議なんだけど」


 ふいに、アスカが言う。


 「そもそもなんでティアは剣のことが分かったんだろうな。俺しか持ってないはずのものを」


 「あれ? 確かにそうですね」 


 アスカの言葉に、ティアは少し驚いた。


 しかし、言われてみればその通りだった。ティアには記憶がない。つまり、記憶のあるここ一月で、剣を見たのはアスカのものが最初で最後だ。


 なんで、剣だとわかったんだろう。


 ティアはアスカの手の中で鞘に収まるそれをじっと見つめた。


 (私は、これを知っている?)


 ティアの疑問は、しかしどこにたどり着くこともなく、思考の波に呑まれ、いつの間にかなくなってしまっていた。

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