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例えば竜の国で  作者: 月島朝
第一章
2/8

1:赤麦屋

 

 ティアは果物を入れたバスケットを両手で抱えながら、駆け足で坂道を下っていた。

 途中で路地に入ると、入り組んだ裏通りをはっきりとした足取りで進んでいく。初めの頃は道を覚えるのに苦労したが、今ではどの道がどこに通じているかが、手に取るように分かる。

 そういう風にしていくつかの角を曲がりながら、鉄の薄板に麦の穂を透し彫した看板を掲げる、一軒の酒屋の前にたどり着いた。少し息切れしたいたが、以前ほどには体が疲れていないことを確認し、一人満足気に頷く。そして、

 

 「ただいまです」そういって扉を押し開け、中に入っていく。


 「あらぁ。おかえりなさい。早かったわね」


 店内に入ると、目の前のカウンターから、背の丈二メートルはあろうかという巨漢がティアにそう語りかけた。およそ体のサイズに合わないエプロンを身にまとい、あごひげは乱雑に伸び、頭の天辺以外をきれいに刈り上げた奇抜な髪型が目を引く。何より特徴的なのは、その見かけに似合わない女っぽい話し方だった。


 「これくらい朝飯前です」

 

 ティアはそう言いながら手に持ったバスケットをカウンターに置くと、そのまま近くの椅子に腰掛けた。

 店内には二人以外の人影はない。まだ営業時間外なのだからそれはあたりまえだったのだが、毎晩の賑わいを考えるとなんとなくティアには物寂しく感じた。

 

 「仕事を覚えるのが早くて助かるわぁ。ちなみに、もうすぐお昼ごはんになるんだけどねぇ」 

 

 「ローワンさんは私のことを子供扱いしすぎだと思います。ティアはもう大人です」

 

 ローワンと呼ばれた大男は、カウンターの向こうで立ったりしゃがんだりしながら、クスクスと笑っているようだった。

 

 「ティアちゃんが来てからもう一月になるかしら。来たときに比べると、いくらか健康的な体にはなったみたいね。最初はガリガリだったからすごく心配したけど、もう大丈夫みたいね」

 

 「はい。ローワンさんのおかげです。ありがとうございます」

 

 彼はティアの方を見ていなかったが、彼女はそう言って小さく頭を下げた。

 

 実際のところ、ティアはローワンに言葉にはできないほど感謝していた。身よりもなく、さらに《記憶》さえない、そんな素性の分からない彼女を迎え入れ、家に置き、あまつさえ仕事まで与えてくれた彼には、簡単な言葉で感謝を伝えきることはできなかった。「何か辛いことがあったのかもしれないし、無理に思い出すこともないんじゃないかしら」。奴隷商に運ばれていたことを知ったローワンは、ティアにそういってくれた。

 

 「それよりローワンさん」ティアは続ける。「それはつまり太ったということでしょうか?」

 

 膨れ顔でそう言ったティアの方を言葉を聞いて、ローワンは今度は口を開けて大声で笑った。ローワンほどの巨漢が目の前で大声で笑うと、小柄なティアにとってはそれなりの迫力だ。

 一通り笑った後、ローワンはティアの頭に大きくゴツゴツとした右手を乗せると、「可愛くなったって意味よ」と言って、何度かポンポンとそこを叩いた。

 二人がそんな風に談笑していると、ふと店の入口がバタンという音とともに勢い良く開かれた。

 

 「ただいま!」

 

 両手に大量の紙袋を抱えた赤い髪の少女――リタ・クルスが、ローワンに負けんばかりの大きな声とともに店内に入ってくる。

 軽い足取りでカウンターの方まで歩み寄ると、持っていた紙袋をテーブルの上に置く。ドスン、という音が、その荷物の重さを物語っている。とても自分には持てそうにないな。ティアは内心でそんなことを考えた。

 

 「愛しのティアちゃん! お姉ちゃんが帰ってきましたよー!!」

 

 ティアの隣に座ると、リタは両手を広げてティアに抱きついてきた。

 

 「は、はい! おかえりなさいリタさ……」


 「いい加減お姉ちゃんって呼んでよぉ。もう姉妹みたいなものじゃない私たち~」

 

 ぐへへへと声に出さんばかりのゲスな表情でティアに詰め寄りながら、リタはティアに頬ずりした。さらさらと気持ちのいいぬくもりを肌に感じながらも、ティアは気恥ずかしさで顔を赤くしながら、ふぇぇと小さな声を喉から絞り出すのがやっとだった。

 

 「こらこら。ティアちゃん困ってるでしょうが」

 

 見かねたローワンがリタの頭上にげんこつをお見舞いする。ゴツンッという音がリタの頬を伝ってティアにも響く。痛そうだなーと思いながらも、ティアは心のなかで小さくローワンに感謝した。

 

 「痛いなーもう! か弱い女の子に手を挙げるなんて最低!! 訴えてやる!!」

 

 「あんたみたいながさつな女をか弱いとも女の子とも言わないのよ! そういうことは家事の一つでもできるようになってからいうのね!」

 

 ローワンの言葉に反論できないのか、リタはぐぬぬぬと小さく唸り、洗濯できるもん、とせめてもの反抗の言葉を口にしてテーブルの上に突っ伏した。

 

 「ねー。それよりおなかすいちゃった。お昼ごはんまだぁ?」

 

 「あんた今の話が全く響いてないみたいね……」

 

 やれやれと言わんばかりに大きなため息を一つつくと、ローワンはリタが持ち帰った紙袋を持って、その中から調味料だとか食材だとかをひとつひとつ取り出しながら、棚の中にしまい始めた。

 

 ここ、ローワン・ドレイクが主人を務める《赤麦屋》は、この当たりでは知らない人はいない人気の酒屋だ。酒屋と言っても、お酒以外にかなり本格的な料理も出しているから、料亭と言っても間違いではないかもしれない。

 ただ、営業時間は日没後から日付が変わるまでの時間だけで、とても家族連れが訪れてくるようなお店ではない。一度営業が始まれば店内は酒と男の匂いで溢れかえり、営業時間ギリギリまで毎晩騒がしい。

 

 ティアは、毎晩その赤麦屋で働いている。といっても、料理ができるわけではないので、注文を聞いたり、酔っぱらいの愚痴を聞いたり、閉店後の後片付けを手伝ったりというのが彼女の主な仕事だった。ほんのひと月前まで、その仕事をリタが一人で引き受けていたと知った時は、とても敵わないなと痛感したものだ。

 

 ――もっとこの人たちの役に立ちたい。

 

 「あの! 私に料理を教えていただけませんか?」

 

 そういう思いが、ティアにそう発言させていた。いや、実際には好奇心、といった方が正解に近いかもしれない。

 料理。作ったことはない。いや、正確には記憶が無いのだから、作ったことはあるのかもしれないが覚えていない。

 ただこの一月の間、ローワンが料理を作るところをよく観察してきた。食材や調味料の種類もいくらかは覚えたつもりだ。できないことはないと思った。

 

 ティアのその提案を聞いたローワンは、はじめこそ驚いた表情を浮かべたが、すぐにその顔には笑顔が戻り、「じゃあやって見ましょうか」と大げさなウインクをして、「リタもやるのよ」という言葉を、鋭い眼光とともにもう一人の少女に突きつけた。

 

 「えー! 嫌よ料理なんてめんどくさい!」

 

 「嫌じゃないのよ! 全く。あんたぐらいの歳の子なら結婚しててもおかしくないのよ! 家庭的なことの一つや二つくらいできないといつまでも結婚できないんだから」

 

 「結婚しないから問題ありませ~ん!」

 

 「あんたは子供か!」

 

 そんな不毛な言葉の応酬が何回か続いた後、結局リタを含めた三人でキッチンに立つことになったのだった。

 

 


 アスカ・クルスが剣の稽古から戻ってきた時、店内には今まで嗅いだことのないような異臭がただよっていた。



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