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「なあ、アルフレート」
「なんですか、メルーシャ様」
いつものように主人より優雅に茶を飲む執事を睨みつける。
「解雇状がほしいな……」
「そんなことをいうなら、メルーシャ様もどうぞ?」
解雇したところで、伯爵家の息子なのに行儀見習いとしてやってきたこの男が困ることはないだろうし。
「お前、一応行儀見習いだろ?それらしくしたらどうだ」
「執事として、一通りはできますよ?それに、王女らしさの欠片もないメルーシャ様には言われたくない言葉です」
「私だってやろうと思えばどうにでもなる」
「四年前まではちゃんと王女だったのに、それまで十年間積み上げてきた王女としての成分はこの四年でどこに飛散したんですか」
「ルーシィあたりにじゃないか?」
「ルーシィ様はメルーシャ様の成分が飛散しなくても、もともと超完璧で美しくて可愛らしい淑女ですよ」
一通り言い合って二人は一息ついた。
「で、メルーシャ様言いたいことはなんですか?」
流石にこの執事には敵わなかった。何しろメルーシャとアルフレートは幼馴染だ。ルーシィとレイモンドもそうだ。それに、アルフレートはいつも______大体傍にいる。気づかれても仕方がなかった。
「______レイモンドは私のことが好きなのか?」
「何故そんなことを?」
側から見たら、少なくともアルフレートから見ていても、ただのケンカばかりするカップルにしか見えなかったので、メルーシャの疑問は意外だった。
「お前は知ってるだろ。………私があの人を殺したって」
別にメルーシャの所為じゃないと言ってもよかった。でも、そういったところでどうにかなるものならとうに解決している。仮にいったところで本当にしたい話をしなくなるだけだ、アルフレートはわかっていた。
「……殺したから、なんだって言うんですか」
「レイモンドは、私を憎んでいるのではないか?」
✳︎
四年前、メルーシャは十歳、ルーシィは十二歳、アルフレートは十四歳、レイモンドは十五歳だった。
四人は幼馴染だった。メルーシャが五歳の時から一緒にいた。
ある日、用事があったアルフレート以外の三人でレイモンドとルーシィの母親___カーミラと一緒に川遊びに出かけた。
「カーミラ様!私、川遊びは初めてです!連れてきてくれて有難うございます!!」
王女だったメルーシャは、自由に遊ばせてくれるカーミラのことが大好きだった。
「そう、お礼を言ってくれるなら、代わりにレイモンドのお嫁さんになってくれないかしら?」
「いいですよ!そしたらカーミラ様を母様って呼んでいいですよね?それに、ルーシィの妹になれます!!」
満面の笑みで答えたメルーシャにカーミラは苦笑した。レイモンドのことは?、と。
「あ、そうですね!レイが私のことを好きじゃないと、結婚できませんね!!」
「ふふ、それは心配ないわ」
あんなことが起きると思ってなかったあの日。
ルーシィが川の岩場から滑り落ちたのだ。
「ルーシィ!!」
反対側の岸にいたメルーシャはルーシィが頭を打たないように、ルーシィを自分の方に引き寄せた。
「よかった……」
メルーシャはほっと一息ついた。
でも、メルーシャを戒め続けているのはその後の出来事だ。ルーシィを岸に上げた後。
「きゃあっ?!」
今度はメルーシャが足を滑らせた。
頭を打つことはなかったが、川の深い方へ滑り落ち、そのまま流されていく。
メルーシャは自分を呼ぶ声が遠くなっていくのを止められなかった。
「レイ!」
咄嗟に出たのはその名前だった。
服が水を吸い込み重くなっていく。
息が、できなかった。必死に水面に手を伸ばす。
その手を掴んだのは、
「メルーシャ!!!」
カーミラだった。カーミラはメルーシャを背中から抱きかかえるようにした。
その後、急に大きな衝撃がメルーシャを襲い、ぎゅっと目をつむった。
「きゃっ」
そして、そのまま流されていくのは終わった。
助かったのだ。
メルーシャは背中側にいたカーミラの方を振り返った。
「カーミラ様、本当にありがとうございまし、た……」
お母さま、母上、そうカーミラを呼ぶ悲鳴のようなルーシィとレイモンドの声がメルーシャの頭を通り過ぎていった。
カーミラは、メルーシャを抱えたままレイモンドとルーシィの力を借りてどうにか岸に上がった。
助かったのだ。
メルーシャの中ではそんな思いではなくなってしまった。
私だけが、助かってしまった。
そう塗り替えられた。
カーミラは岸に上がって、安心したように倒れてしまった。
レイモンドと、ルーシィと同じ金髪は朱に濡れていた。
カーミラはメルーシャを庇って岩に当たったのだ。そうすることで、流されるのを止めた。
自らの命と引き換えに、メルーシャを助けた。
父親が既にいなかったレイモンドとルーシィの母親をメルーシャが奪ってしまった。
メルーシャはその時から変わった。
泣かないと決めた。
✳︎
『あなたを憎むなんて、ありえません』
ルーシィが何度言ってくれても、あのことがメルーシャを縛り続けている。
レイモンドは、あのことに触れることはない。互いにその話題を避けている。
レイモンドが何故自分から母親を奪ったメルーシャと結婚したいと言うのか、わからない。
一生傍にいることで忘れさせないためなのか。
一生傍で憎み続けるためなのか。
それがレイモンドの幸せなのか。
そう考えてしまうと、駄目だった。
レイモンドも、メルーシャも、幸せな未来など描けなかった。
「幸せになるとか、無理だろう」
「だから、そんなに婚約を破棄したいんですか」
アルフレートはもう呆れ気味だ。アルフレートはレイモンドの気持ちを誰よりもわかっている、というのもあるのだが。
「その態度、どうにかするべきだな」
「然るべき方には然るべき態度、が俺のモットーですので。で、今度はどんな悪事を働こうとしてるんですか」
「それをお前に聞きたいんだが…」
「なんで俺」
「脅す材料があるからな」
「例えば?」
優雅にお茶を飲みながらメルーシャは答えた。
「今のお前の噂を知っているか?」
「知るわけないでしょう」
「私に虐められて喜んでいる男だそうだ。まあ、悔しいけど見た目がいいからな、別に気持ち悪がられてはないな。マゾヒストだと思われてるぞ」
それを聞いてアルフレートはお茶を吹き出した。
「なんだ、汚い」
「なんだじゃないでしょう、なんだじゃ!!なんなんですかその噂!!」
「宮廷で生きる者は噂が好きだからな…」
「というか、宮廷にあまり出ないメルーシャ様が知ってるのはなんでですか!!!」
「私が侍女に言ったからな」
「あなたのせいですか!!」
「これに、男色家を付け加えてやろうか?レイモンドとでも噂になるといい」
「横暴だ!!!」
「お前が協力してくれればいい話だろ。悪事のための第一歩だ」
「俺に対する仕打ちが既に犯罪ですよ!!」
アルフレートは観念したようで、メルーシャを睨み、溜息をつき、案を思いついたようだった。
「………浮気とか、如何でしょう?ほら、もうすぐ舞踏会もありますし、その時に公にすればいいですよ」
「いや、浮気も何もないだろ」
まずそんな関係ではないし、とメルーシャは言った。
「好きな人がいるとか」
「いや、いないものをどうするんだ」
「それを偽装するんですよ、偽恋人です」
「ほう………私にその当てがあるとでも?」
「ですよね……頼みますか?」
「だから誰に」
「俺の知り合いに」
「いいのか?」
「エリュウ!!」
「何?アルフレート……」
「?!」
そう言って天井から少年が降りてきた。白い髪に、赤の瞳で。
「エリスに似てる……?」
「あれそちらの方、エリスを知ってるんですか?僕はエリスの双子の兄なんですよ!」
確かに幼く見える顔立ちもエリスに似ている。
「エリュウ、こちらはメルーシャ様です」
「メルーシャだ、よろしく、エリュウ」
「メルーシャ……?うえええ?!おおお王女殿下ですか?!」
「まあ」
そんなに王女に見えないのか、とメルーシャは少し落ち込んだ。
「で、恋人役を頼めばいいんじゃないですか?」
「そうだったな」
「は?!恋人役?!」
「駄目か?」
「情報収集とか暗殺をする影をやってる奴です。こんな感じですけど一応十五歳だし、背もメルーシャ様よりはギリギリ高いですよ」
「アルフレート!どういうことなんだ!!」
「婚約したくないから、恋人になって欲しいそうです」
「おま、省きすぎだよ!!偽物の恋人になってはくれないか?!」
そういうわけで、メルーシャはエリュウに舞踏会でエスコートとして出てもらうことにした。
✳︎
メルーシャの部屋にて。
「メルーシャ!」
「なんだ」
「今日はいつもに増して照れ屋だね〜」
「いつ、私が照れたというんだ!」
レイモンドが抱きつこうとするのを避けながらメルーシャは話す。
「もうすぐ舞踏会だから、今回こそ僕がエスコートするからね!」
「断固拒否する!」
いつもはアルフレートにエスコートを頼んでいるのだ。だが今回のメルーシャは違った。
「私は、エリュウにエスコートしてもらうんだ」
「エリュウって、誰?」
「わ、私の恋人だ!」
「へえ?」
レイモンドに簡単に腕をとられた。さっきまではただの戯れのようなものだったのだと、メルーシャは気付く。
レイモンドは笑っているが、目が笑ってない。それに、メルーシャは心から恐怖した。
「レ、レイモンド?」
「恋人?僕がそんなことを許すわけがないだろ」
「レイモンド、手、痛い……」
レイモンドの手に掴まれたメルーシャの手首は折れるんじゃないかと思うほど痛かった。
「そんなに…私が、嫌いか?」
そう、メルーシャが言った時、レイモンドの手から力が抜けた。
「なら、なんでっ、私と婚約するなんて言うんだ!!」
力が抜けたレイモンドの腕を振り払って、メルーシャは部屋を出て、走った。
レイモンドはメルーシャを追いかけなかった。
「……好きだって言っても、まだ信じてくれないでしょ」
✳︎
「メルーシャ様……?」
「…エリュウ」
走って行った庭園に居たのはエリュウだった。
「何があったんですか?」
「何も、なかった」
「そんな顔で言われても、信じられるわけが無いじゃないですか」
どんな顔をしているのだろう、とメルーシャは少し首を傾げた。
「泣きそうですよ」
「それは、駄目だ」
メルーシャは自分の両頬をパンっと叩き、言った。
「泣かないって、決めたんだ」
そう言って、メルーシャは笑った。
「メルーシャ様……」
「?!え、エリュウっ?!」
メルーシャはエリュウの腕の中にいた。エリュウの顔が目の前にある。
「我慢しないでください」
そう言ったエリュウの腕にこもる力が強くなった。
抱きしめられながらも、メルーシャは泣かなかった。
二日後は舞踏会だ。
今回も読んでくださり、ありがとうございます*\(^o^)/*