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城の調薬室にメルーシャはいた。一緒にいる白い髪にルビーのように赤の瞳を持つ幼く見える少女は無表情でメルーシャに小瓶を渡す。
あの街での出来事から暫くして、国王からメルーシャとレイモンドが婚約することを正式に発表された。王族がしなければならない婚約式まであと二週間程度という、国王のせっかちな性格が大いに盛り込まれたスケジュールだ。
メルーシャにとっては堪ったものではなかった。あと二週間で悪事をはたらかなければならないのだ。メルーシャは事の元凶になった王子達に会ったら殴ってやろう、と心に決めている。
「これでどうかな」
「これが、そうなのか?」
メルーシャは小瓶に入っている透き通った濃いピンク色の液体を眺め、調薬師のエリスに尋ねる。
「そうです。殿下が望んでいるもの」
「………すごく、ピンクだな」
「お嫌いですか?」
「好きではないな、青が好きだ」
「でしたら、三倍の濃さにしたら、青にできるけど。効能も三倍になる」
「それがいいな」
そう言うと、エリスは表情一つ変えずに今度はポケットから青い液体の入った小瓶を取り出した。
「おお!!」
「これをあげる」
「これで、レイモンドを倒せるのか?」
「うん、それを殿下が飲めば、シュトーレン伯爵も全然敵じゃないと思う」
「ありがとう!」
メルーシャはエリスに礼を言って、足早に調薬室を出て、自室へ向かった。
「アルフレート、シュトーレン伯爵家に行くぞ!!」
「はいはい、馬車の用意をしてきますね」
メルーシャが要望を伝えると、アルフレートはさっさと行ってしまった。
「ふふん」
メルーシャは小瓶を取り出し、中身を一気に飲み干した。遅効性だと言われたので、出発前に飲むことにしたのだ。
これでレイモンドを倒せる、レイモンドと結婚せずに済む、そう思うとメルーシャの気持ちは弾んだ。
✳︎
「レイモンド様!」
「アルフレート、どうしたんだい?」
「こんにちは、アルフレート」
アルフレートがレイモンドとルーシィのいる部屋に入ると、二人とも二言目には絶句した。
「………アルフレート、君、メルーシャに何を」
「俺は何もしてないです!勝手にこうなったんです!!」
アルフレートは赤い顔でくったりしたメルーシャを所謂お姫様抱っこで連れてきていた。それを見るレイモンドは笑顔だが、視線が冷たい。
「一番の敵が君だったとは……」
「違いますって!俺はルーシィ様一筋です!!」
それを聞いたルーシィは顔を赤くし、そわそわと落ち着きをなくした。
「……ん、どうしたんだ、アルフレート」
そして、事の元凶であるメルーシャが目を開く。その目はトロンとしていた。
「……あ、そうだった。アルフレート、降ろして」
そして、メルーシャは未だに赤いままのルーシィのもとに向かった。アルフレートは自分が口走ったことを忘れて、何故赤くなってるんだ?、と心の中で首を傾げる。
「これ、この間街で見つけて。ルーシィに似合うと思うんだ」
髪飾りを差し出しながらメルーシャがはにかんだ。いつものキリッとした笑みではなく、はにかんだのだ。
それを見たアルフレートもレイモンドも珍しいものを見たような顔になった。
「あ、ありがとうございます、メルーシャ様」
「メルーシャ、僕には無いのかい?」
レイモンドがメルーシャを後ろから抱き締めた。いつもなら、瞬時に何か飛んでくる。
だが、メルーシャは切なげに息を漏らすだけだった。
「あの、な…」
「ん?」
「レイモンドに助けて欲しくて……」
「……あざとい」
メルーシャが上目遣いでレイモンドを見る。明らかにおかしい。普段のメルーシャなら即座に引き剥がしたはずだというのに。メルーシャの様子にレイモンドは戸惑う。
「からだ………変なんだ」
「…どう変なの?」
「熱くて……」
レイモンドの気を知ってか知らずか、レイモンドを見るメルーシャの目に羞恥の所為なのか、涙が溜まっていく。
「まあ………寝室行こうか」
「メルーシャ様は頼みました」
「ルーシィは頼んだよ」
✳︎
レイモンドはメルーシャを自分の寝室に運び込んだ。今日のメルーシャは何かおかしい。いつもの可愛い顔だけど、と思いながら考える。
メルーシャをベッドの上に横たわらせ、柔らかい頬に自らの指を触れさせる。
「ん……」
メルーシャがピクリと体を揺らす。悩ましげな声を出し、ぼんやりとこちらを見つめる金の瞳が一層艶を帯びる。
やはりおかしい。メルーシャは一度だってこんな声を出したことはなかった。まず、メルーシャがこんな状態にも陥ったことはレイモンドの経験上なかった。
効果としては媚薬のようだが、どこでそんなものを体内に入れたのかがわからない。
(妄想は、したことあるけど)
色々真っ盛りな十九歳としては健全なことだ。まあ、現実は妄想よりも破壊力が大きかったのだが。
二人きりになってしまったのは失敗だったかもしれない。でも、あの二人にメルーシャのこんな姿を見せ続けるのは勿体無い気がしたのだ。レイモンドは、それが独占欲だとわかっていた。
不意に、引っ張られた。
メルーシャの力は普通の女性よりは強くても、流石に男であるレイモンドよりは弱い。
でも、考え事にふけっているレイモンドを引っ張るには十分な力だった。
ベッドのスプリングが軋む。
レイモンドはメルーシャを押し倒したような体勢になっていた。
「……どうしたんだい?」
「一緒に、寝てくれ…」
メルーシャがそういう意味で言っているわけではないとわかっていても、レイモンドの理性は今にも摩り切れそうだった。
今更ながら、男だと思われていないのかと不安になってくる。
「…僕は、男だよ?」
「……?知ってる…よ」
本当に何も考えていないのが分かって、レイモンドは少しばかり……いや、かなりがっかりした。
「いいよ」
考えたことはおくびにもださずにそう答えて、レイモンドはメルーシャの隣に寝転んだ。
「聞きたいことが、あるの………」
眠たそうに、メルーシャが言う。
「何で、私とけっこん………」
メルーシャは眠気に勝てなかったらしく、寝てしまった。
でも、レイモンドには続く言葉を想像することは容易かった。
『何で、私と結婚したいんだ?』
自分の気持ちは、メルーシャに伝わっていないのだろうか。伝わっていなくても、仕方がない。レイモンドは明確な言葉で伝えたことがないから。
愛してる
レイモンドがメルーシャに、そう伝えたことはない。本気で言って拒絶されるのは怖かったし、今の関係も心地よかった。
ずっと、ずっとずっと。
恋に落ちた日から五年経っても、誰かと体を重ねても、ずっとこの想いは消えなかった。ずっとメルーシャだけを見て、恋をしていた。
メルーシャが憎くないと言えば嘘だ。愛しくて愛しくてメルーシャを見ているのと同じように、憎くて憎くてずっとメルーシャを見ていた。
何よりも憎んでいるのに、何よりも愛しいと感じている自分が滑稽だった。
あの人が死んだのは自分の所為だと。
そう言えるようになったなら。そうしたら、言葉にできる気がする。
愛してると。
✳︎
その頃、ルーシィとアルフレートの間には普段通りではない空気が流れていた。
ルーシィはアルフレートといると、告白を思い出してしまい熱が冷めない。
アルフレートは告白してしまったことに気づかないまま、好きな人と二人きりになってしまったこの状況に戸惑っていた。
主人のメルーシャには執事にあるまじき不遜な態度をとるアルフレートも、ルーシィのこととなるとただの十八歳になってしまう。
お互いを意識してしまい、十八歳と十六歳の間に少し___本当にほんのちょっぴりだけピンク色の空気が流れていた。
「きゃあっ!」
「!?」
向かい合って座っていた二人の間に白い閃光が走った。そうやって派手に現れた少女はアルフレートの見知った人だった。
「驚かせないでくださいよ、エリス様」
「別に、驚かせようとはしてないのに」
ルーシィは悲鳴まで可愛い、と思いながらルーシィを落ち着かせ、急遽乱入してきたエリスを咎める。
「普通にドアから入ってください」
「じゃあ、ドアの前に転移すればよかったかな」
「いえ、こちらに転移してくださって結構でした………」
普通なら転移は軽々と使えるものではないのだが、エリスは特殊だ。
それを知る自分がいたからよかったものの、何も知らないシュトーレンの使用人達の目にでも止まれば混乱が起こるだけだ。もっと普通の手段で来てほしかった……とアルフレートは心から思った。
「何の御用で?」
「殿下はここにいる?」
「あーと…えーと……うーんと………」
いくらもう直ぐ婚約する相手だとしても、寝室に二人きりにしてしまっているこの状況をどう説明すればいいのか、頭を悩ませる。
「その調子だと、殿下は上手くやったみたいだね」
「何をですか?」
「あれ?知らない?まあ……アルフレートならいいよね」
そう言ってエリスはアルフレートの耳元で言った。
「(殿下がレイモンド伯爵を倒したいって言うから、媚薬をあげたんだよ)」
「はい?!」
「(しかも効力三倍のやつをあげたんだよ。その分遅効性だし、効き目は直ぐ切れてしまうんだけど)」
「何やってるんですか、あの方は……」
メルーシャの倒したい、をベッドに引き込みたいだと勘違いするとは。中身は意外と大人だったエリスにアルフレートは驚きを隠しきれなかったし、メルーシャのしたかったであろうことに呆れた。
アルフレートの予想だと、メルーシャが欲しかったのは決して媚薬などではなく______。
腕力増幅など、そっち系の手段だ。
おそらく、アルフレートの知るメルーシャだと、レイモンドを脅して婚約をあちら側から破棄させようと画策したに違いない。
しかし、所詮男と女。力の差がある。そして、それを埋めるものを欲しかったに違いない。
メルーシャなら、レイモンド相手に色仕掛けでもどうにかなるとアルフレートはわかっているが、メルーシャにそんな器用なことができる気がしない。まず、そんなこと思いつきもしないだろう。
今現在、生殺し状態になっていそうなレイモンドに同情を禁じえない。
「じゃあ、用はこれだけだから」
そう言ってエリスはまた白い閃光と共に消えた。二回目だが、転移は軽々と使えるものではない。エリスの天性の才能だ。
✳︎
「ん……」
なんだか苦しくて、メルーシャは目を開けた。
目の前には見覚えのありまくりな綺麗な顔がある。
「?!」
飛び起きようと思ったが、体を戒めるものが邪魔で、無理だった。
苦しかったのも、飛び起きることができなかったのも、全てはこの男の腕のせいだった。
メルーシャはレイモンドに抱きしめられる形で知らないベッドの上に寝ていた。なんだか、記憶が朦朧としている。
しかも服が違う。動きやすい服装だったのが、身体の線が透けそうな薄い夜着になっている。そのため、レイモンドの腕の感触がいつもより生々しい。
自分の置かれている状況に混乱する。
「……あれ、メルーシャ起きたんだ」
この状況になった理由を知るだろう男が目を開けた。
「な、なんでこんなことに?」
「大丈夫、何もしてないから」
「おおおお、お前がっ着替えさせたのかっ?!」
「僕が着替えさせてたら君が無事なわけないよ?」
ルーシィだよ、とレイモンドは言った。
「あと、記憶がないんだが……?」
「それは君が飲んだ媚薬の所為だね!」
「び、媚薬?」
一瞬ポカンとしてからメルーシャは叫んだ。
「お前が仕込んだのか?!」
「僕が仕込んだならそのまま食べてるからね?」
「食べるだの無事じゃないだのってなんなんだ?」
「君が飲んだ薬が媚薬だったんだよ」
レイモンドはメルーシャの問いをスルーしつつ、真実を伝えた。
「はあ?!エリスが私にそんなものを渡す必要なんてないだろ」
「あるよ、君が頼んだんだから」
「私はお前を倒す薬って言ったんだ!!」
「勘違いしたんでしょ」
うっかり倒そうとしていたことを白状していることに気づかないメルーシャにレイモンドは笑いながら答える。
メルーシャは相変わらず、素直で純粋だ。
「責任とって、婚約してもらうよ」
「絶対に嫌だって言ってるだろう?!」
レイモンドの心はあの時から時間が止まってしまったかのように変わらない。メルーシャの所為だ。
「絶対に、責任は取ってもらうよ」
今回もありがとうございました(^∇^)