1159年 12月 25日 京義朝屋敷から京の辻 二条大宮
1159年 12月 25日 京義朝屋敷から京の辻 二条大宮
平清盛が伊勢、伊賀より大軍勢を引き連れて帰京して一週間、何事も無く過ぎ去った。ただ、ただ、毎日寒いだけであった。雪がちらつく日まであった。このままだと平治の乱とは名がつかず、三条殿の襲撃事件としてのみ歴史に記されることになったかもしれない。
時刻は昼過ぎ、門のあたりから義朝のやたら大きな声がしている。内裏から屋敷に戻ってきた義朝はえらく上機嫌だ。というよりそれ以上である。小躍りしている。
束帯をごそごそ脱ぎながら、笑い声を上げている。脱いだ内裏に出仕するための束帯のすべてを拾い上げながら後をついてまわる下男下女たちが可哀想だ。
「義平の阿呆に、朝長、頼朝や政清を呼べ、ついに清盛めが頭を垂れおったぞ」
「おめでとうございまする」
こんな時真っ先に駆けつけ、お上手を言うのは頼朝である。誠に如才ない。
義平は、都めぐりにも飽きたのか、頭をポリポリ掻きながら自室より出てくる始末。昼寝していたらしい。
義朝は廊下で義平の肩をつかむと頭がぐらぐらするくらい義平の肩を揺らし
「この阿呆が。なにがそれがしなら、攻むるじゃ、そのような事を言うておるから悪源太などと謗られるのよ、少しはその出過ぎた口を慎み改めよ」と顔に唾が飛ぶぐらいの距離で言う。
「兄者、何事でござる?」義朝の乳母子の鎌田正清も寅髭をいじりながら出てきた。
「清盛がのう、白旗を上げおったわ、こんな心持ちの良き日は知らぬ、酒じゃ、酒を持って来い後、女もじゃ それより、常磐じゃ、常磐を呼べ、この阿呆の義平にも紹介しておこうと思うておったのじゃ。それに季実に師仲や重成、光保にも遣いを出すのじゃ、もう一切の心配は要らぬとの、後でわしが花押を記す故、さきに家令の二三郎に書かせよ」
「この頼朝が書きまする」
こんなに調子がいいやつは知らぬと、頼朝を横目で見る義平。
義朝の大声のせいで、滅多に自室より出てこぬ義朝の大叔父にあたる曾祖叔父の義隆まで出てきた。
しかしどうだ、こんなにうれしそうな義朝を義平は見たことがない。
「何事ですか」いつもどおりどこか挙動不審で怯えた感じの朝長が尋ねる。
「おう、朝長そこに居ったか」
この寒さの中、義朝は、大紋の入った直垂まで脱ぎ捨て、ふんどしに単一枚である。寒さも感じないようだ。
踊りながら、歩を進める義朝に家族全員付き従い、気がつけば藤原信頼を向かえ除目を行った大広間である。
「遠きものは音に聞け、近きものは目を見はれ、耳の穴をかっぽじってよっく聞け、河内源氏の一族一門の方々よ」
皆立っているが、義平は、やや離れて胡座をどかっと組み座っている。胡座を組んでいないと足先が冷たくてかなわない。下男下女が簡単な食事の用意を御膳に用意し酒を運び
入れだした。
「清盛めが頭を垂れた」
「もう聞きましてございまする」と義平が小さな声で答える。
「この阿呆の義平は放っておけ」
「今日な、清盛の家臣、一ノ郎等家貞が内裏の信頼殿のもとに平家一門全員の名簿を差し出したのじゃ」
名簿を差し出すとは、降参したことというより、家臣に成ることを約しことを示すことになる。つまりうこの名簿に書かれている全員は貴方様のものです。と誓っていることと同義なのである。
平家貞といえば、清盛の父忠盛、清盛と二代にわたり伊勢平氏に仕える重臣中の重臣である。話半分ぐらいで聞いていた義平であるが、どうやら内容は本当らしい。
「清盛も諦めたとなると、これで、まことの我等が天下よ、なにが平家じゃ所詮は帝、上皇の前では犬も同然よ、額づくしかないのよ」
義朝は、もう手酌で杯を重ねている。
「おめでとうございまする、誠に祝着至極にございまする」
義朝の近くに一番に侍り頭を深々と下げ、祝いの言葉をのたまう頼朝、もうにじり寄って義朝の杯に酒を波々と酒を継ぎ足している。
方々から
「祝着至極に御座いまする」の声が上がる。
「おう、おう」義朝は、その祝いの言葉に尽く返答する。
「お前のご贔屓の清盛公も存外に大したないのう。どわはははは」
「贔屓になどしてございませぬ」
「よいわ、お前も飲め、この帝も恐れぬ阿呆の義平め」
義朝が、義平に杯を注ぎ、酒を勧めた。
あまり上手い酒ではなかった。
その宴は、義朝のみ上機嫌のまま、その勢いにその場のものが従い仕方なくだらだらと続いた。常盤御前は乳飲み子もおり夕刻にもかかわらず夜も遅いのでと丁重に断りを入れ現れなかった。義朝が怒リ出すかとおもいきや、義朝の上機嫌は一切関係無かった。
艶福家の義朝である。他にももっといい女が居るのだろうかと義平は訝った。もう敵は居ないのである。義朝の上機嫌を諌めるほうが野暮というものだ。酔いが回り、夕方から宵の口あたりで義朝を始め、みな各々性格をさし示すように寝入ってしまった。政清は飲んでていた位置からひっくり返っただけそのまま。義朝も上座の畳の上で器用に畳から手足をい出ないようにし、朝長は音もなく誰に知られる事もなく自室に戻り、曾祖叔父の義隆は厠に行った後に自室へ。頼朝は文具四宝を自室より持ってこさせ、源師仲らへ届ける文を丁寧に書きだした。ちらっと義平は書面を見たが驚くほどの達筆である。
頼朝は覗き込んでいる義平に気づくと「字は体を表すと申しまする」と自慢気に答える。
まずい酒ほど、あまり回らないものである。義平は、一行に酔わない体が恨めしく家令の二三朗や下男下女と宴の後片付けである。
義平はすぐに志内景澄を呼びつける。景澄はや盃や銚子に残ったお流れを片っ端から頂戴していく。
「さすが、元追い剥ぎだな」
「知らんのか、米から作る酒は、米作りを生業とする百姓の専門分野だ」
「飲むのと、作るのは別だろ」
「どっちもおんなじだ、うすーい粥を煮るだろ、んで、その家の一番年取った歯のないばあちゃんのつばをぺっといれて発酵させるんだ。どうだ飲む気がしなくなっただろう」
景澄は、どんどんお流れを煽っていく。
「ぐだぐだ言っていないで、さっさと片付けろ」
「おまえみたいな若殿も片付けなんかするのか」
「誰かがしなければならんだけだ、仕事そのものはなくならないし勝手に片付かない」
「お前は、口さえ悪くなければ、そこらの御武家の中では一番いいやつなのにな」
家令の二三郎が寝込んでいる義朝と政清に着物をかけていく。
「若様も、もう宜しゅうございまする」下男下女もぺこぺこして礼を言う。
「そうか、すまぬ」
ほぼ残った酒を飲みきった景澄が言う。
「お概ね聞こえていたぞ、もう戦はなくなったんだろ」
「さーね、親父殿の言葉のままだったらな、俺みたいな下っ端に難しいことを訊くな」
「結局、信西とかいうやつから信頼様とかいうやつに変わっただけじゃないか」
「そうだな」
「あれ?否定しないのか」
「実際そのとおりじゃないか」
「そうなのか」
「悪いが、俺も寝る、今日は俺の日じゃないらしい、ちっとも楽しくなかったからな」
「なんだ、折角、酔いがいい感じで回ってきたところなのに、なぁ、少し焦げ臭くないか?」
「知らんね、もう寝る奴にいうことじゃないぞ」
「いやぁ、この屋敷じゃなくて、もっとあっちの方のさ」
「お前も酔って全部忘れてよく寝ろ」
「ああ、そうするよ」
火事は実際に起こっていた。二条大宮で。